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義父の四十九日の法要は、日本のゴールデンウィークや香港の連休に重なりエアーチケットが取れずに少し延びてしまいました。博多湾、遠くは玄界灘も見渡せる墓に納骨を済ませる事ができました。イノシシも出ると聞く静かな山沿いの墓です。
四十九日が済むと、頂戴したお香典のお返しをします。葬儀会社が何から何までひとパックにして葬儀を引き受けてくれます。会葬礼状、葬儀後の会食、四十九日の案内状、お香典返しの品々まで葬儀の段階で取り決めます。義父の葬儀一切は、義父の状態が思わしくなくなった時、たまたま帰国していた私が決めました。兼ねてから義母と段取りを付けるのは私がと決めていたからです。何分にも初めて仏を出す家です。私は実家の母を一昨年見送ったばかりです。
葬儀は、義父が組織人でなかった事もあり、家族葬と決めました。家族葬も様々、葬儀会館を借り、通夜、色とりどりの花が波のように見える祭壇を準備しました。。地元の方がそれとなく聞きつけて参って下さいます。主人の勤める会社の本社の方も東京からおみえになりました。親族も高齢者が多く遠くからの参会は無理です。遠くの親族には、葬儀後亡くなった旨の手紙を私が書きました。
お香典返し、印刷された礼状とともに送られて来る品。なぜかいつも決まりきったその形に寂しいものを感じました。同じような礼状の言葉、これまた印刷された熨斗。母のときも、全て私自身の手で手紙を書き、お礼の品も選びました。主人や義母に頼まれたわけではありませんが、義父へのお礼のつもりでお香典返しも私の手で調える事にしました。
四十九日の法要は終わったものの、会社の用事でヨーロッパまで夫婦して出かけました。香港に戻ってもゆっくりなどしてはいられません。お香典返しが遅くなる事に義母は少し焦っています。そんなわけで、ヨーロッパから戻って5日目には、日本に向けて飛びました。
頂いたお香典の額によって粗方目処は付けますが、家との付き合いの程度、義母の思い入れも考えて品を選びます。私としては、小さくとも「これは下川さんの亡くなった後に頂いたものだったね。」と義父を思い出してもらえるものをと思いました。たくさんのお香典を頂戴した方には、黒塗りの通い盆を選びました。長い付き合いの食器を扱う店に頼みました。近隣の方達には、義母が届け易いようにと新茶にしました。お茶はありきたりですが、少なくてもいいものをと思います。お茶屋さんで新茶を味見させてもらい、八女と知覧の新茶です。主人の勤める会社からもそれぞれのセクションごとにお香典を頂いています。これまたありきたりですが、お菓子にしました。数も少なく小さな菓子たちですが、地元の福岡の菓子屋でここのものならと思うものを選びました。
小さなものも含めて、総数70近くになりました。包みを作ってもらう前には、不祝儀の素熨斗をもらい私の手で名前を入れました。配送を頼んだものは、ごく僅か、東京や横浜の方達だけです。大きな大きな紙袋を3つもさげて、主人の実家に戻りました。
私がさげて持ち帰った品は、義母がこの1週間お届けに伺っています。ひとつ、失敗がありました。主人の会社、4つのセクションそれぞれに送った菓子です。今週初め、会社の方から主人の元に一体何の意味のお菓子か、と問い合わせのメールがやって来たのだそうです。お香典返しの品です、と返事をしたのだそうですが、どうしてこんな事になったのかと私も不思議でした。ちょっと考えました、私が書いた不祝儀の熨斗で包まないまま発送したのではないかと思います。つまり熨斗なしの品が届いたわけです。早速頼んだ菓子屋に電話を入れましたが、そんな事は無いと言います。まさか、祝儀用の熨斗で包まれていたら大変ですが、そこは確認のしようがありません。
一昨日義母に電話を入れました。出て来た義母の声が、久しぶりにはつらつとしています。近隣やちょっと離れた所の方達にお返しを届けています。義父が逝って、家にいる時間が長くなりました。外に出るのに、身じまいも調えます。人にお会いすれば楽しい話も出て来るでしょう。「あと三軒よ。」そう話す義母の声が弾んでいました。
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