よしよし、
今日も生きてるな。
おはようございます。
よねの通院も、8か月以上続き、
週2~3回の点滴治療を受けてきたが、
そろそろ「通院いやいや期」のような時期がやってきたようだ。
QOLを優先させる事を前提に、病院の院長とも相談し、
状態が安定しているようならと、
通院を週1回に減らして、様子を見ることにした。
私は、よねの何を守りたいのか?
これは明確に持っているつもりだ。
1日でも長く生かしたいとは思っていない。
命の期限まで、ご機嫌さんな日を1日でも多くしてやりたい。
私は、よねの心を守りたいのだ。
しかし、これって、実は難しいんだよね~。
だって、猫の気持ちなんて、分かんないんだもん!
ただ、面白いもので、
何かを守りたい、そう強く思い始めると、途端に恐怖に襲われるようになる。
私は、9年ほど前、くも膜下出血で倒れたことがある。
処置が、あと少し遅れていたら、
その処置が、脳外科の中でも随一の名医でなかったら、
私は、確実に死んでいた。らしい。
その話を聞かされても、私にはまるで他人事のような気がした。
何度、思い返しても、やっぱり他人事のようにしか感じられず、
自分の命など惜しくも何ともないとすら言いつつ、軽く笑って済ませられる。
ただ、何かを守りたいと強く思うと、
私は、突然全身の血が騒ぎだし、目眩や頭痛を覚え、吐きそうになるのだ。
そして、何をしていても恐怖が襲ってくるようになる。
運転している時に、意識が無くなったらどうしよう。
荷物を持った拍子に、血管が切れたらどうしよう。
寝たら、二度と起きられなくなったらどうしよう。
私、今、死んだらどうしよう。
なんて、馬鹿々々しい事だ。
そんな事を思ったって、どうにもなりはしないのに。
頭ではそう理解していても、
全身にまとわりつく恐怖は、決して消えない。
そうなると、毎日、何をするにも、覚悟が必要になる。
覚悟して寝て、朝、見事目覚めた時、
「今日も生きてる」
そう安堵して、また覚悟を決めて、起き上がる。
そして、猫達の顔を見て、
「今日も生きてる」
それに喜び、守りたいものを守る覚悟を胸に、
今日という日に立ち向かうのだ。
こんな大げさな日を過ごすのは、実に愚かで、とても苦しい。
しかし同時に、素晴らしい体験だと私は思う。
今日、生きてる事は、奇跡だ。
死にたいと思える日も、悲しい日も、苦しい日も、
大切な人も、守りたい命も、誰もかれも、
今日、生きてるという事は、奇跡なのだという事を、
この身体の隅々に流れる血管が、教えてくれるのだ。
おい、おたま?
お前、それ息止まりませんか?
大丈夫なのか?