うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

とか言ってるくせに、今日も無駄にゴロゴロします

2018年10月20日 | よねの闘病記録

よしよし、

今日も生きてるな。

 

おはようございます。

よねの通院も、8か月以上続き、

週2~3回の点滴治療を受けてきたが、

そろそろ「通院いやいや期」のような時期がやってきたようだ。

QOLを優先させる事を前提に、病院の院長とも相談し、

状態が安定しているようならと、

通院を週1回に減らして、様子を見ることにした。

 

私は、よねの何を守りたいのか?

これは明確に持っているつもりだ。

1日でも長く生かしたいとは思っていない。

命の期限まで、ご機嫌さんな日を1日でも多くしてやりたい。

私は、よねの心を守りたいのだ。

しかし、これって、実は難しいんだよね~。

だって、猫の気持ちなんて、分かんないんだもん!

 

ただ、面白いもので、

何かを守りたい、そう強く思い始めると、途端に恐怖に襲われるようになる。

私は、9年ほど前、くも膜下出血で倒れたことがある。

処置が、あと少し遅れていたら、

その処置が、脳外科の中でも随一の名医でなかったら、

私は、確実に死んでいた。らしい。

その話を聞かされても、私にはまるで他人事のような気がした。

何度、思い返しても、やっぱり他人事のようにしか感じられず、

自分の命など惜しくも何ともないとすら言いつつ、軽く笑って済ませられる。

ただ、何かを守りたいと強く思うと、

私は、突然全身の血が騒ぎだし、目眩や頭痛を覚え、吐きそうになるのだ。

 

そして、何をしていても恐怖が襲ってくるようになる。

運転している時に、意識が無くなったらどうしよう。

荷物を持った拍子に、血管が切れたらどうしよう。

寝たら、二度と起きられなくなったらどうしよう。

私、今、死んだらどうしよう。

 

なんて、馬鹿々々しい事だ。

そんな事を思ったって、どうにもなりはしないのに。

頭ではそう理解していても、

全身にまとわりつく恐怖は、決して消えない。

 

そうなると、毎日、何をするにも、覚悟が必要になる。

覚悟して寝て、朝、見事目覚めた時、

「今日も生きてる」

そう安堵して、また覚悟を決めて、起き上がる。

そして、猫達の顔を見て、

「今日も生きてる」

それに喜び、守りたいものを守る覚悟を胸に、

今日という日に立ち向かうのだ。

 

こんな大げさな日を過ごすのは、実に愚かで、とても苦しい。

しかし同時に、素晴らしい体験だと私は思う。

今日、生きてる事は、奇跡だ。

死にたいと思える日も、悲しい日も、苦しい日も、

大切な人も、守りたい命も、誰もかれも、

今日、生きてるという事は、奇跡なのだという事を、

この身体の隅々に流れる血管が、教えてくれるのだ。 

 

おい、おたま?

お前、それ息止まりませんか?

大丈夫なのか?