昨日の午前は、
母の通院に付き添った。
おはようございます。
認知症において名医と名高い主治医は、
口頭で簡単な検査をして
「うん、改善してる」と言ったが、
「かずこちゃん、今日は何月だい?」と聞かれて、
母は「10月ですかね」と答えていた。
本当に、ほんとの本当に、改善しているの?
本音をいえば、私はそれほど改善して欲しいと願ってはいない。
母が楽しそうなら、それでいいと思っている。
背負って来た重荷があるのなら、じゃんじゃん捨て去って、気楽になって、
それが楽しいと思えるなら、それでいい。
それを楽しいと思えるような暮らしをして欲しい。
私は、そのために、今、母さんと関わっているわけだ。
私が実家へ行くと、母さんは毎日、
同じ部屋着を着て、同じサンドウィッチを作っていてくれる。
けれど、お気に入りの部屋着はよく見れば、酷く汚れており、
サンドウィッチも、味が日に日におかしくなっている。
「母さん、そろそろ部屋着、着替えよう。
これは、もう生地がくたびれてるから捨てとくな。」
そう言って、汚れた部屋着を脱がせると、
母さんは
「わし、それ好きなんやけどな。」
と呟いた。
「もっとお洒落なの買ったるで、これは捨てる!」
私は勢いよくそう言って、汚れた部屋着を持って実家を後にした。
もちろん、捨てる気満々だった。
けれど、どうにも母さんのお気に入りの部屋着を捨てる気にならない。
ならばと洗ってみても、やっぱりヨレヨレだ。
けれど、捨てられない。
自分の好きな物を取られるのは、誰だって悲しいことだ。
今更、そんな単純なことに気付いて、捨てられなくなった訳だ。
私は、出来る限り、自分の周りの物は減らしたいと思っている。
不器用でずぼらな私は、そんなにたくさんの物の面倒は見きれない。
ましてや、好きな物となると、別れが惜しくなる。
5年前、別れたサンヨーのことも、今でも忘れられない。
20年近く共に頑張ってきた掃除機のことだが、
あいつは最後、ぼーぼー火を噴いて散った。
まるで、最期まで敵に立ち向かう弁慶のようだった。
そういえば、包丁は、どこで買ったんだろう?
値段は、薄っすら覚えている。2千円もしない安物だ。
もう30年近い付き合いになるだろうか。
私は、こいつ一本で、全てに立ち向かって来た。
こいつ一本しか持っていない。
リンゴもスイカも豆腐も、時にはカニの甲羅も、こいつと立ち向かって来た。
万が一、こいつが壊れてしまったら、
包丁って、どこで買えばいいのかさえ、私には分からない。
包丁なんて、こいつしか買ったことがないから。
好きなものでなくとも、
付き合いが長くなると、別れは惜しくなる。
イマイチだなぁと思いながらでも付き合っていくと、
いつしか、自分の大事なものになっている。
そして、別れが惜しくなる。
これから、私はどれ程の母さんの好きな物を
取り上げて行かなければならないのだろう。
いつか、長く続いてるサンドウィッチ作りも
危ないと思ったら、きっと私は取り上げる。
仕方のないことだ。
けれど、別れの儀式は、丁重に行おうと思った。
さて、私のもっとも大事なものたちは、何をしてるのかしらん?
ねえ、どうしてカーテンをそうするの?
いっつも、そうなってるけど、どうして?やめて!
たれ蔵「こうしてるのが、僕のお気に入りなんだよ、母ちゃん」
そっか・・・そっかそっか・・・
じゃ、仕方ねーな!
かずこさんのお気に入りのお洋服、可愛いですね💓
お気に入りがあるって、幸せですよね✨ 好きな事があるって素敵ですよね✨
たれちゃんは、カーテンを上に上げるのがお気に入りなんだ😆💓 そうしたら幸せなんだ😆💓
かあちゃんも、お気に入りのものに囲まれて生活しようと❣ 今は訳あって贅沢はできないけれど、できる範囲で構わないから、いつも幸せでいたいもんね🥰⤴️
そう思ったら、私にもいくつか長年愛用してる物がありました。
カズコさんお気に入りの部屋着
取り上げたはいいけど、やっぱり、捨てられなくなってしまった気持ち
わかる気がしました。
でも、おかっぱさんが、カズコさんに愛を持って差し伸べる手によって整理され、どんどん身軽になって、その上で、今を楽しんでもらえたら、取り上げてるかも?という思いから解放されるような気もします。
何だか夫の母親の現状と被ります。
ヨレヨレになったとしても
カズコさんが気に入ってるなら
着させてあげた方が良い!ってあたしも思う。
だって、洗濯さえしてれば全然問題ないじゃない?
かずえさんもね、凄く拘りのある人で
でもお気に入りの洋服が多過ぎて
ホント、大変だったんだよ~(ToT)
だけど今回、引っ越しをキッカケにして
殆んどの物は処分した。
けどそれはね、かずえさんが知る由もない事だからね、
出来たんだと思う~。
あたしはさ、施設に入っちまったら
あたしの持ち物全て、娘の思うように
処分して貰ったら良いと思ってる。
だからさ、かずえさんには申し訳ないと思ったけど
二度と着ることのなさそうな洋服
全部処分させて貰っちゃった。
う~!分かるぅ。あたしもね、サンヨーの
乾燥機付き洗濯機のこと、未だに忘れられないんだよぉ。
おかっぱさんちの掃除機みたいに
火を噴いて散った訳じゃなかったけど
洗濯途中に何度も止まるようになってしまって
泣く泣く新しい洗濯機買ったんだけどね、
あのサンヨーに勝る洗濯はないっ!って
今でも思ってるもの~。笑
たれのんちゃんもそうか~。
そうなんだよね。皆それぞれ、大事な物がある。
出来る限りそれを守ってあげて
そんでどうしようもなくなったら処分する。
そういう時さ、認知症になってると
あったこと自体を忘れちゃうから、助かるってこと
あるんだよね~。
そうなんですよね。
好きな物は手放しがたいですよね。
母さんにもそういう気持ちがあるんだってことを、
ふと思い出しました。
そういうの、忘れちゃいかんですね。
おいら、うっかりうっかり(笑)。
贅沢しなくっても、慎ましくても
「これ素敵」って思えれば、
心はうんと、豊かになりますよね。
たれ蔵みたいに、カーテンをペロンとするだけで
幸せになれたら、最高ですよね~(笑)。
私も、物に執着をしないようにって思ってたつもりだったんです。
母さんは、すごい執着してんな~とか思ってて、
でも考えてみたら、私もあるんですよね。
これが無いと困るとか、いて欲しい存在とか
すごいあるじゃん?っと気が付きました。
母さんの大事なものを、何の感慨も無く
取り上げちゃ、絶対ダメだよなってことにも気づいた。
それに健常と認知の違いなんて、ないんですよね。
尊厳って、こういう事なのかもしれないなって
改めて考えさせられました。
お義母さん、お元気でしょうか。
離れているからこそ、心配も募るでしょうが、
そうやって思ってくれる存在がいるってだけで、
お義母さんの気持ちも、うんと上がりますよね。
私ね、ままんがお引越しの時、
いろんな物を手放していたでしょう?
記事にも書いてくれていたじゃない?
ままんの手放す気持ちってのを知らなかったら、
かずこさんの気持ちに気付けなかったと思うんだよね。
かずこさんが惜しそうに汚れた部屋着を見た時、
ふっとままんが過ったんだよね。
そして、自分を顧みて、
「俺にもあるやん。
手放す惜しさとか寂しさとか悲しみとか、あるやん」って
思い出したの。
ほら、私って、スットコドッコイじゃん?
だからほんと、ギリセーフって感じで
助かりました(笑)。
そうそう、忘れてくれるって、すごい有難い。
酷い事言っちゃって、それを後悔する時も多いんだけど、
「でもきっと、明日は忘れてくれてる」って思うと、
切ないだけど、すごい救われるんだよね。
だってほら、オレ、スットコドッコイじゃん?
だから、やらかす頻度は減らないからさ(笑)。
この年代の人たちって 使わなくなったものを捨てられず 大切にしまってありますね
物がない時代だったので 大切にしていて捨てられないんですね
実家のものがあまりにも多くて 片付けが大変でした
何でこんなものまでとってあるの.. と思いながら ほとんど処分しました
その教訓から私は終活で断捨離しようと心に誓いました(ので今 頑張ってます)
でもおっしゃるとおり 捨てられないものってありますね
特に思い出のものたち..
他の人にはそんなに価値がないものでも当人にとっては思い入れがあってお気に入り
お母さまのお洋服もとってもお気に入りだからずっと着ていたいのですものね
洗濯して アイロン掛けしてあげたら パリっとして復活しそう..
また着ていただきたいですね
(コメント遅くなってごめんなさい
お返事不要です
昨日から 頭痛が酷くて.. 遅くなりました)
頭痛のほうは大丈夫でしょうか?
そんな中、コメントを下さり、ありがとうございます。
そう、私の実家も、物が多いです。
捨ててもいいような物もたくさんあるある。
今から、少しずつでも処分していきたいと思うのですが、
捨てられないんですよね。
この年代の人は。
もしかすると、そういう年代になれば、
自分もそうなるのかもなって思ったりします。
私も、まだ今のうちに、手放すということに
慣れて行かないと出来なくなるかもですよね。
でも、大事なもの、好きな物ってのは、
あった方が、心が豊かになりますね。
そこをちゃんと、残しつつ、
生きていきたいなって思います。
部屋着は、一応、実家のタンスに、
しまっておきました。
汚れたら、また洗えばいいですもんね。