Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

麻酔なしの手術

2010-07-16 02:56:58 | Dr.大福よもやま話
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、北朝鮮では注射針の消毒や麻酔なしでの手術が頻繁に行われていると指摘した、というニュースに際して、ある人々は「北朝鮮に生まれなくてよかった、日本に生まれてよかった」などと思っているかもしれない。確かにそうかもしれない。戦前の日本社会を実感できなかったり、いや、想像することさえ困難になってしまった世代の日本人にとっては、そんな風に思えるのかもしれない。しかし現在の北朝鮮の実態が、かつて日本人にとってはそれほど遠いものではなかったということを、このニュースにより思い起こした。とはいっても、私とて北朝鮮の実態についてほとんど知らないのではあるが、それでもこの、「麻酔なし手術」の話に限定するならば、そんなことを戦争中、平気でされた日本人を私は知っている。それは、まさしく大福先生である。

大福先生に実際に会ったことがあれば一目瞭然の話なのだが、先生は背が高かった。最近でこそ特別に大きいというわけではないが、同世代の人たちと比べた場合、176cmという背丈はかなり高い。一昔前は、「三高」といって背の高さがもてはやされた時期があったが(ちなみにその他の「高」は学歴と収入だったかな)、軍隊生活の中で、周囲の人々と比して体格が規格外に大きいというのは何の得にもならないものだったという。

まずは徴兵されたときに下された判定が、その体格の良さゆえに「甲種合格」である。甲、とは甲乙丙丁の甲、つまり今風にいえば、A判定という感じだろうか。名誉なこと?とんでもない。その結果、人一倍ハンデを負わされるのである。人より重い荷物を背負わされる。他の人が銃を持たされるところ、バズーカもどきの大型武器を扱わされる。労働も人一倍辛い仕事を割り当てられる、といった具合にだ。

しかし中でも、規格外の体格ゆえに先生が一番悩まされたのは、支給される服や靴が合わないことであった。当時の日本軍においては、サイズが合わないことへの配慮など全くなかったのである。サイズが合わないのなら、テメエの方でなんとか合わせろ、という。規格サイズに外れる大きい体の場合、規格の方に体を合わせろというのは土台無理な話で、特に靴の場合はどうしようもない。先生は、背の高さに比例して当然、足のサイズもでかい。だから慢性的な靴ズレに悩まされていた。

当時の軍隊においては、衛生状態が極めて悪かったことはいうまでもない。その、慢性的な靴ズレの場所からはばい菌が入り込み、右脚全体が腫れ上がっていった。8月15日の敗戦の頃には右脚を引きずりながらやっと歩いていたような状態だったにもかかわらず、その直後には、内乱の発生を恐れていた占領軍の命により、先生は横浜で憲兵をさせられることになった。人権保障の手厚い現行憲法下でしか生きたことのない私のような者の感覚からすると、「戦争が終わったのに、なんで即時に軍隊から解放されないの?」と言いたくなるが、当時の混乱した社会にあっては、そこら辺についてはかなりいい加減だったのだろう。

先生の右脚はもう、限界だった。その段階になって、やっと陸軍病院に入ることができた。すぐに手術をすることになった。

「実際、傷の状態は開けてみないと今は何とも言えないけれど、もしかしたら君の右脚は切断しなければならないかもしれないことを覚悟してくれたまえ」

と告げられた。それだけでもショックなのに、その上麻酔はなし。気付けのための、酒さえない。

執刀する軍医は慶應医学部出身で、「おっ、君も慶應か」と言われ、同窓ということを特に気にかけて診てくれたのが唯一、頼りだったという。男4人がかりで先生の四肢を押さえ込み、いざ、メスが右脚の付け根を切り裂いた。

男4人は、大福先生がどれだけ暴れてもいいように、ことさら力をこめて手足を押さえ込んだ。ところが、大福先生は暴れたり、叫び声を挙げたりということが全くなかった。先生は、手術の間中、ただただおとなしく、黙って横たわっていた。

「君は強いねえ」。「脚は、どうにか切断せずに済んだよ」

と、手術後になって執刀医から声をかけられるまでの記憶が、大福先生にはないという。今でこそ、それはエンドルフィンやらといった脳内麻薬物質が、極度の緊張によって分泌されたせいだろうとの推測は可能なものの、その当時はそのような説明さえなかったのだから、いうなればその時の先生は「まな板上の鯉」である。

こうしてその時、先生の右脚は助かった。

先生が歩く時、それはほんの僅かだが、右脚の運びが湾曲した軌跡を描くのに私はある時気がついた。(もちろんそれは、2002年7月に大腿骨頸部骨折という大怪我を負うはるか前の話である。)最初のうちは、それが先生の歩き方の癖なのかしら、くらいに思っていた。しかしどうも気になって、そのことをそれとなく先生に聞いてみた。

「僕の歩き方について、そんなことを指摘したのはあんたが初めてだよ」と言われた。指摘されたことが初めてだったのみならず、本人自身も、自分がそのようしてに歩いているとはそれまで気付かないでいたらしい。でも、言われてみればそのとおり、確かに僕の右脚は真っ直ぐには運ばないね、と仰る。そしてその、戦後直後、陸軍病院での右脚切断の危機についての詳細を、先生は縷々と語ってくれたのであった。

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