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ネガティブな自分に執着している

2016-05-18 02:22:25 | 育ての父(女性)

うーーん 相当しがみついてます。

この蜘蛛の巣から出るのが相当いやなんだなぁ・・・・・・

ここまでいやなのかぁー

そんなにいやなら蜘蛛の巣人生にしますか?

まぁ 無理やりやめさせようとするのはよくないとは思いますけど。

すごいしがみついてる自分を見ています。
 

実はお誕生日が近いため、去年もそうですが 浄化が強まるんだろうなぁ
誕生日ごろは 自分自身のエネルギーが強まるって何かで読んだ。
その1年で浄化すべきことが済んでないとお誕生日前に一気に消化しようとするのかもな。
なんとなくそんなことも考え。 

5/24 10:43

 

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そうか、ありのままを愛する というのがよくわからなかったら、まずは
ありのままをそのまま見る ということだったのかもな。

そのまま見ないで、なんとなくぱっと見の印象と、
印象から連想すること、という自分ワールドを 事実、真実 と思い込んだんだな。

そして今は ネガティブな自分に執着していると。

相手そのものより、ネガティブな自分に執着

みじめな自分
捨てられた自分
見向きもされなかった自分
かんちがいの自分
なんの魅力もなく 価値もない自分

みじめの極みの自分に執着しているんだなぁ........

なぜなら そこでぐるぐると 同じことを繰り返していればいいからだなぁ
苦痛を感じたり、悲しんだりしていると、それだけで何かやっているような気になれるので
ある意味充実感があるんだな。
まぁ 錯覚、うそではあるんだけど。
とりあえずその場しのぎの「何かやってる感」がある。 

苦痛が大きければ大きいほど、何かやってる感があり充実します。
だからみじめなほどいいんだな。 


新しい概念とか 新しい状況って たとえ幸せでも、いやだよなぁ
何もかもはじめてだから不安になるし覚えるのめんどうくさいしなぁ。
理解するまで 意味がわからないから、考えるの手間だし。 

知らない天使より なじみの悪魔。 byチャック博士 だな。

それに 不安 というのは 不安定で、ものすごく居心地が悪い。
宙に浮いたようなつかみどころのないわけわからないさなら、「不快」のほうがましなんだよな。
不快 ははっきりしてるから。 と 何かの本に書いてありました。


それに 自分が燃え尽きたのって、元々 自分が周囲をすごく否定していたからなんだな。

元々 世界をすごく否定してる
それが私が元々 持っているものなんだな

闇がすき まぁそれが歪みでもあり
歪みを矯正するのが この人生の目的でもあるな
矯正と 掃除。





2016/5/24 02:22:25


ダブルセッション

2016-01-06 17:49:33 | 育ての父(女性)

ダブルセッションです。私はセレブだなぁ・・・ 

人と接しているとき あたまの中が空白になってくることを掘り下げました。
子供のころ苦しんでいたことが、律儀に全部残っているなぁと思い、またびっくりしました。

子供のころ、自分が女ということにしばらく苦しんでいて、
大人になってからはだいぶ解放されたと思っていたのですが、
実は根っこに全部残っていて 形を変えて、三重四重くらいに形を変えて
問題となって出てくるんですから ほんとにびっくりです。

ちょっとそらおそろしいです。
問題からは、逃げられない・・・・・。 
自然治癒はないのかよ・・・・・・。 という感じで。

父はそういうのを発掘するんですから、ほんとにすごいです。
このお方がいらっしゃらなかったら、私の人生はのたうちまわりながら廃墟で孤独死でしたからね・・・・。

命を何度も助けられているようなもんです。
そういうお方には、どうやってお礼をすればよいかわかりません。

もう一つのセッションは声診断です。
人といると空白になる様子が グラフに現れてます。

まったく別の先生ですが、ちょうど同じテーマが表面化しました。
おもしろいです。
詳細は語ってはいけないのですが黄色が自分軸だそうです。

右が人を意識していないとき、左が人がいるとき。


これは何気ない会話の中で こうもはっきり出てきたのですが、
このように、目に見えるように出てくるのは、とても有意義です。

こんなふうになってんだ、と自分の理解がすごく深まるし、人にも説明しやすい。


私は恵まれているなぁ・・・・

自分の問題に こんなふうに向き合えて 解決していけるんだからなぁ・・・・

こういう人たちに出会えなければ、廃墟で孤独死だもんなぁ
しかも 『塔上の奇術師』みたいに、自分が切り刻まれるのを見ながら
じわじわ苦しみながらしぬところでした。 おおげさではありませんよ。

そういうじごくの苦しみみたいなのを、どうしてそんなすごいのかわからないすごい人たちが助けてくれて、
事なきを得ています。 ほんとにすごいことだ。

ありがとうありがとうありがとう

来週も、別のセッションがあるんだぁ。
セッション情報を提供してくれるお友がいて、
その人を話を聞いていると、自分もやって見たくなるので。

私はなんて恵まれているんでしょう・・・ セッションセレブと呼ぼうと思います。

ありがとうありがとうありがとう

 

 

2016-01-09 17:49:33


今日はいい日だ。

2015-06-27 23:55:05 | 育ての父(女性)

4月から まぁじごくのような日々が続いてたけど でも よいこともけっこう起きてたな。
全面的に最悪な時期は もう過ぎたな。

今きついのとよいのがまぜまぜで、じょじょによい割合が増えていくんだろう。
そんな気がしますよ。

今日の無意識セッションも 深かったなぁ
終わったあと れいきのときみたいに もう限界となってすぐ寝ました。1時間くらい熟睡。
父はほんとにもんげーーや。 匠の技だよな。

今 自分が何をどう変えたいかによって、掘り下げる場所が変わります。
今日は 自分の母親とその父親(私の母、祖父)の関係になった。

そこで見えたものが 自分が直面してたもの そのものだったので
ほんとにびっくりしました。

こういうふうにして 出てくるもんなのかと思いました。
客観的事実かどうか確かめるのはめんどうだけど、そんなことしなくても
自分が超絶ふに落ちて変化できれば 真偽などどうでもよいのだ。

こういう癒しをするとき 自分はほんとにこのへんをやるためにいるんだろうなぁと
思います。
これがあたいの仕事なのだ

ふしぎだけど そう思うんだよな。

なんだろうなぁ この内部に広がってる空間。
エネルギーで満たされていて じごくのようなエネルギーとか
それが変化してすごく軽くなった とか あたたかい光で満たされている とか

笑っているかんじとか 心が閉じててはね返される感じとか。
ほっとする とか 納得がいったとか、プラスの感じでつながった とか しっかりつながったとか。

まぁ 私は こういう 「感じ」を扱うためにいるんだよな。
なんかそういう感じがするんですよ。 そう感じるのがこの存在が存在する意味とか目的なんだろな。


それにしても 手におえないことは手放すしかない。
手放すことは 投げ捨てることと違うんだな

手放すとは 「あるべきところに置いておくこと」 ってチャック先生の本に書いてありました。

あるべきところに置いて、まぁ遠くから見守ってるんですよ。
それで 何かの恩恵がそれに降り注ぎますように と祈るくらいしかできないことはたくさんあります。
なのでそうします。

天 たのみますよ。(まぁ いつもえらそう。) しっかりな。

 

 

 


エーテルコード 2

2015-05-01 23:52:24 | 育ての父(女性)
目の覚める変化ではないかもしれないが 気づくのと気づかないのでは 雲泥の差で

気づく以前の状態を忘れしまうほどに ベースが変化した ということかもしれません。
2016/5/20


以下は 一時的な解放です。 一時的にそう感じたことは事実で、間違いではないのですが

そう 目の覚める変化ではないし、 超絶 落ち着かなさ具合も、また元に戻ってます。まぁ、これの繰り返し。

最近、この落ち着かなさは ヒステリーが形をかえたものではないかと思ってます。
性エネルギー。

しかし このときの胃腸炎のすさまじさは本当です。 あれは人生3本指に入るやばさでした。
2015/11/11


5月半ばに 育ての父の無意識セッションでエーテルコードちゅうのを指摘され
長らく漠然と疑問に思っていたことも理解してもらえて
そこから 自分の状態が 大きく変化しました。

●セッション後、まず胃腸炎になって生死をさまよったのと(毎度おおげさですいません)
すごい雷のおかげで 浄化されたと思いました。

●その後 部屋のそうじができました。

●そのあと 朝はカフェオレではなく 濃いめのみそ汁を飲めばいんだと気づきました。

●何より、自分一人で部屋にいるときの、強烈なそわそわ感が ほぼなくなりました。
これは かなりうれしいです。

意識が体の中に入って、興味あることに触れられる、取り組める ということなので。

それまではですね、意識が体にいたくなくて、出よう出ようとしていて、
その落ち着かなさたるや 言語に絶するものでした。

無理やり体に居ようと集中すると すごいいらいらするのと
怒りのようなエネルギーがぐわーーーと湧いて 落ち着いて何かするというのは程遠かったです。

体に居ようとしなければ何も感じなくなるので ずっとトリップしているような
自分が波動関数にでもなったような気分・・・
何も手がつかない状態なので、人生的にまずいよなと長らく思っていたんですが、
じゃあ どうすればよいのか 誰に相談したらよいものか?

この落ち着かなさ具合は 誰にも理解してもらえない。と勝手に思っておりました。
これが最初に起きたのは19のときですが、症状は軽くなったり重くなったり繰り返して今にいたります。

痛いとか血を吐くとかではないので、一人でいると何も手につかず毎日数時間が経過する、
というだけなので ほおっておいても 生活に支障はないと言えばないし、
そもそも「対処する」とか「手を打つ」とか、それが手に着かないんですから
まぁ放置しかありません。


●「エーテルコード」でつながっている感じ、というのか、
干渉を受けている感じが体感で判別できるようになったと思います。
やっぱりへんな圧迫感は干渉なんだ。
私はそのB氏に取り憑かれた日付まで実感があります。2012年の4月20日です。

その日以来、ずーーーーっとほぼ四六時中B氏のことが頭からはなれない。
なのでこれはてっきりこいなんだと思い込んでいました。

エーテル というのもよくはわかりませんが、
大まかに「人間、個人を形成している物質ではない部分」と捉えると

こい というのとは別に、たんなる「エーテルの干渉」みたいなことがあるんだ、と
今は思っています。

これはこいではないのです。だから頭から離れない割りに何もする気がしなかったのだ。
残念ながら相手にとってもこいではない。執着、または無自覚 のどちらか。
新たな発見です。

そしてそのエーテルの干渉力が強い人、というのも確かにいると思います。
妙なパワーのある人です。A氏やB氏のタイプです。こわーーー
とはいえ相手も無自覚だろうとは思います。

私は 自分の「磁場」みたいなのが狂っていて
自分からそういう人にわざわざ近づいて行った という気がしてきました。

重油の蜘蛛の巣を目がけて 自分から入って行ったんだなと今は思います。
もし似たようなお悩みの方がいらっしゃいましたらご参考まで


●そして 今は まったく人とかかわる気がしません。
今は、というか、私は今までもずっとそういう状態ですが、内容が変化しているのかもと思います。

今までは、何も与えない、受け取らない、というのは表面的で、実は裏では
エーテルの干渉で 与える気ないのに取られ 取る気ないのに奪ってる
という状態だったのでは とふと思いました。

もし、そういう状態から完全にではなくても自由になったとしたら、
しばらくは あえて誰ともかかわらず 素で何も与えず何も受け取らない そんな状態をじっくり味わいたい
と思ったとしても ふしぎでもなければまったく悪くもない。

むしろ 自然。 

じっくり 自分がやりたいこと の中に ひたっていたい。
と思っているだけかもしれない。とそういうふうに思いました。

誰ともかかわっていなくたって 私はまったく 悪くない。
こういう感覚も 初めてだなと思います。
へんな裏の動きがない感じ。


●とはいえ 今朝はエネルギー漏れしてました
このエネルギー漏れ感も 自覚できるようになったと思います。
体のいろんなとこに穴が開いていて すーすーばーばー漏れている感じ。ぐっすり眠れないし。

「エーテルの干渉」を自覚し始めたが、完全にはなくなっていない、
徐々に「自覚し観察しつつ意識的に切っていく作業をする」のかもしれません。

まぁ、次の手も打ってあります。それで自分を強化する予定です。
それやって効果があるのか? その次はそれをやってから考えます。


●あーー すきなことやれるって 幸せだ

2015-06-01 23:52:24




いやぁえらいめにあいました

2015-04-23 00:41:18 | 育ての父(女性)

2015年5月23日になりました。
今週のあたまから突如 胃痛になり、死線をさまよっていました。
またまた大げさです。

しかし、2瞬くらいほんとうにどうしようと思いました
胃痛と、下○とともに吐気があると どうしてよいかわからず
体がパニックになるというか、苦痛でへんな踊りを踊りそうでこわかった。

ふだん健康なもので、こんなことには慣れておらず。とくに吐気がこわかったです。
下からいくらでもすきなだけ自由に出ていいって言ってんのに なんで上から出ようとするんだ。
実際に出てはこないのでのろじゃありません。
肘から下が両手とも感覚がなくなるし。

今はまた、何事もなく戻ってます。あの状態が何事もなく収まるとはこれもまたふしぎだ。

すごい雷も来て まさに青天の霹靂でした。
あの雷のさなか 私はのたうっていたんですわ。すごい光景だぞ~

ちょっとこれは何かエネルギー的なものという感じがしていました。

あの雷が相当な救いになったようで、翌朝は光も空気もすごく透き通って光っていました。
いっしょに私も浄化されていました。

のろいのような苦痛とともにべったりくっついていた妄想も ふしぎと晴れて軽くなっていたからです。
目覚ましが鳴って起きたときすぐ、部屋の片付けをしました。

ほんとうに、ただ部屋のそうじをしないだけ、ということを棚に上げて言わせていただきますと、

私には部屋のぐちゃぐちゃが エベレスト登頂みたいにとても高くて、
かつ自分とは無関係なことに感じていたのです。

自分の部屋に 自分とは関係ないものを持ちこんできてしまってる象徴のように感じていました。

しかし、そうじすればすぐ終わる。
ふだん たったこれだけのことができないのがすごく疑問だし、無理にやると これだけのことがすごく疲れる。


いろいろ過ぎ去って振り返ってみると、やっぱり自分の磁場みたいなのが相当くるって
ひずみがたまっていたからこんなに苦しい浄化になったんだろうなと思いました。

そうじができないことの直接の原因は コミットメント不足と「手放せない」執着なんですが、
そうじがそんなおおげさな話になってしまうくらい 自然な自分がなくなっていた、というか。

数日前に、育ての父の無意識セッションを受けたとき、もー出血サービスだ話しちゃえ
父がいきなり、「これまでにこれこれこういう人に言い寄られたことない?」と唐突に。

今の問題は その人から来てる。と。
実はこれは、私がひそかに感じていたことで、逆にどうやって説明したものかと思っていたことだったのです。
これこれこういう人 という外見的特徴はそのままどんぴしゃです。

過去の どんぴしゃA氏と私の関係を、現在 私とB氏でやっていて、
現在の私の立場は、過去のA氏の立場で、
現在のB氏の立場は、過去の私 という感じがずっとしていました。

それを父から言い出してくれたので このこともすんなり通じました。
父おそるべし。


この妄想のべったりしすぎも 尋常じゃないし湧き上がる怒りも尋常じゃない。
A氏とB氏は星座が同じとか(?) いくつが共通点があったりもして。

A氏とかかわっていたのは10年以上前、B氏とかかわりはじめたのは3年以上前。
べったり重油妄想の3年だったことはたしかです。

私は日常的にA氏のことを思い出すことはほとんどないにもかかわらず、
深層ではべったり重油状態だったとすれば、
その状態を浄化するとしたら あのくらいの苦痛はまぁ仕方ないんだろうなという感じがします。

はっきり言って生霊現象なんだよなぁ。
どうしてこういうことになってしまうんでしょうか。
「因果応報」で考えれば、私がA氏にひどいことをしたんでしょう。
10年前にも相当泥沼で、そのころから生霊の素質十分な方でしたけど
現在の絶賛泥沼中も 真のお相手は実はA氏だったとは。 

なぜ私は、人生の4分の1を生霊とどろどろべったりすることに費やしているんだろうか。

たんに自分を罰するために 隠れてこそこそやってるとしか思えません。

自分に罰 というのも、もうどうなの? 
罰して何かしてる気でいるが、まったく非生産的で何もしてない。いっとくけど。

何もしたくないなら別にしなくていいのに なんで「してるふり」すんだ。せこい。

ほんとは何を隠そうとしてるんだろう。 自分かなり陰湿。

これを気に もうやめます。
違うものを選びます。

 

 

 

2015-05-23 00:41:18