親子で条件つけるのは よくないけど
彼には条件つけていい。というか、そんなもん。
かわいく思ってるのが伝わるから、傷つかないから平気だよ
自分が条件をつけられたので、自分も同じことをするんじゃないかといや。
かわいがる気持ちはあるけど、相手からよっかかられると、うざくなる。
自分が人に寄りかかることができないから。
自分が人に寄りかかれないのは、寄りかかると 条件付けられる と思っているから。
寄りかかると 条件を付けられる、自由を失うと感じる。これもクセで そう思う。
寄りかかることへの予防線、寄りかかられることへの予防線は、別にそのままでいい。
それで 自分を守っているから。
無理に外そうとせず、自然に外れなければ そのままでいい。
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人の「注目してほしい」に引っ張られる。
子どものころ ずっと合わせて来たから
もう 合わせたくない。
でもクセがあるから、ついそういうのに引っ張られるけど、コントロールされる感じがして、抵抗している。
他人が「注目してほしい」と思うことをなくすのは無理。
それらはちまたにあふれかえっていて そこを変えるのは無理。
自分が引っ張られなくなる、コントロールされなくなるには、
それが「できない状態の自分」も 認めること。
過去のクセがあって 人の「注目してほしい」に引っ張られるんだな。
まる。
を繰り返すこと。
たいていのことは はっきり言葉で言われたことはないです。
しかし私にとっては はっきり言われる以上に強制力があったような。
はっきり言われれば、はっきり「そんなんいやです」と言えるけど
言えなくても、自分の中に反感が湧くのが自覚できると思うけど
はっきり言われないと 自覚されないままそちらに進んでいく時がある。
<一部抜粋>
ついまともに実行しようとしてしまい
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シルエット素材はこちらより拝借。
ほとんどのシルエットはここでそろうのではないかと・・・
http://kage-design.com/wp/
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久々に母に会いに行ってきました。
注目してもらうためにやっている自分
自分が一番だと思いたい自分
自分を見なくてすむ何か楽しいもの を求めている自分
自分じゃない何か に希望を感じていて、その幻想に浮かれている自分
最近 くらぶ活動で会う人の多くに、私は上のいずれかの自分を感じてて、
それで見たくなくて 引き込もり傾向になっていたからです。
同時に、何かに すごく抵抗している感じがあった。
自分を引っ張ろうとする おぞましいものに、すごく抵抗してて
抵抗することに労力をたくさん使っていて、それ以外のことに集中できなくなってる感じ。
その辺が 自分で考えると堂々巡りになるので、
近況報告もかねて 行ってきました。
やっぱり行ってよかったな。
しかし 今日は原因不明の頭痛。
熱中症っぽい痛さ。昨日は普段通り練習に行って、母のところに行く前に
ちょっと雑用済ませるので若干急いだくらいで、
涼しかったし、熱中症になる感じではないんだけど。
水分もご飯もちゃんと摂ってるのに。この頭痛は身に覚えがない・・・。
寝てなきゃなのに ついこんな作業やっちゃって。
とはいえ 時間をかけてコラージュすると、それと遊べるし
身に沁み込んでいくので やりたかったんだろうな。
それ以外にも 母と深い話ができて、やっぱり行ってよかった。
2017-06-19 18:03:31
まぁ またちょっといろいろあって 朝重かった。
エンジェルソードも切れていて ついそのせいで いろいろ受けているような気分になります。
自分がそう思うだけ。
恨みがあるような気がするが、でもやっぱり恨むことで 人と関わりたくないことを隠してるな。
という結論に自分では達しました。
それと、日中も重くて仕方ないので、数か月ぶりに母のところにいきました。
やっぱり、自分にリアルさが戻るんだなぁ。すごいなぁ。
このリアルな感じも 2、3日するとなくなるんですが。ぼやけて人に遠慮する自分に戻る。
もう私は 「癒し」に希望を持つことにも疲れていて、癒す気ありません。
幸せになる気もなく 「自分」でいることも 重いです。
いろいろと、やる気がない。
でも母に、自分が本当に思っていることを自覚しても、
そのために何か傾向と対策を練って、何か対処法を実行する必要はない。
と言われてほっとしました。
自分が感じていることと、ただ つながることだと。
つながったら、それはたいていSOS状態なので、
救済のために何かしないといけない と無自覚に思っており、それでつながるのが面倒くさかった。
別に救済に走らなくてよいのだ。 というのが一つ。
あと、私が人と関わりたくないのは、人と密着(癒着)したくなるためで、
密着は 剥がれる とセットになっている。
その 剥がれる が苦痛で仕方ないために、密着を避ける、
密着を避けるには 人と関わることをやめる。 という筋書きに気づきました。
切実で けなげだなぁ わたい。
その密着したがっている部分が、母曰く「ちっちゃい自分」なのかもな。幼女。
だからって 何かしなくてよい。
そうだった 私子供のころ確かに密着体質で、極度の依存 というか
自己否定 自己不在とかといろいろ混ざってはいたんですが 病的密着で
人から不気味がられていたんだっけ。
そうだったそうだった。
本を読んで、自分が病的密着のせいで人からいやがられているんだ、と
自分で結論づけたために、その辺を直すためにいろいろ努力し、
一般人並みの距離を持てるように なんとかなった。
と思っていたけれど、何とかなっていなかったのかもな。
自然に変化するとか 解消するのではなく 「病的密着」の自分をむりやり剥がしたんだろうな。
あんまり考えず、「こんなんだめだから」と言って 無理やり剥がしたんだ。
だからって そのときはそれ以上 どうしようもなかったな。
一般人並みの距離と保って、人に嫌がられなくなり、人と関われるようになったが、
仲良くなる人とは 密着後、「剥がれる」を体験し、
密着よりも 剥がれる剥がれる剥がれる を体験し 成人していてもトラウマ状態になった。
生爪剥がされるのと同じくらいの苦痛だな。
生爪剥がし痛いだろ。
それで結局、すごい距離を取ることで、密着が起こらないようにするしかなかったのかもな。
うんそうかもな。
やっぱり切実で けなげだなぁ わたい。
とくに対策は不要。
仮定ではあるけれど そんな感じの経緯があり
もうさ こんな訳のわからない経緯を「正常値」に自力で戻すなんて無理
というより そこまで剥がれるが痛いのは、自分で変えようがないし、
生まれつきの 癒着体質も、体質だから変えようがない。
今自分がこうしているのは、自然な流れだな。
剥がれるが痛すぎて、人とかかわれないのが自分。まる。
でもこれって あいつにも似たところがあるんだよな。
私があいつに対して感じてたことだ。
自分のことだったとはな。 よくあることだけどな。
とくに対策は不要。
2016-10-04 00:36:58
「部屋がちらかっている」というのは一例です。
「1+1がわからない」とか「人と会話ができない」とか なんでもいいんですが、
たんなる自分の実像に、自分でいろいろ判断を加えることから、
実像とますます遠ざかり 架空の自分を生きようとする。
ということがわかりました。
「部屋が散らかっている」ことは ただ「部屋が散らかっている」だけで
それ以上でも以下でもないんですが、
自分で「これは人としてあり得ない」という意味を付け加えます。
意味を付け加えることは ほぼ自動的で、
自分はそれが当たり前と思っているので そう思っている。
誰でも、人としてあり得ないダメ人間にはなりたくないし 誰にも見せたくない。
なので 隠そうとするし、真逆の自分になろうとする。
実像から遠ざかることのデメリットは、現実に対応できなくなることです。
どんどん 青色の点線の自分を生きようとして
グレーの実線の自分は 自分には まったく見えなくなります。
何か行動したとしても、実像とは関係ない幻想を追っかけた行動なので
実像に働きかけることがない。
実像と的外れだと、実像が変化することはないのだなぁ。
今日たまたま見たメンタリスト5th 15話 に出てきたエピソードが 実にタイムリーでした。
リグスビーはほんとはヴァンペルトがすきなんですが、
いろんな事情でそれを認めることができない。
で、かのじょを探すぞ、おれは行動を起こしてる、前進してる、と言って
出会い系サイトで相手を見つけるんですが、結局 誰ともデートしない。
(しかも 選んだ5人がみんなヴァンペルトと同じ赤毛)
というふうに、行動しているから目的に近づく、ともいえない と思いました。
この場合、ほんとに前進するとしたら 自分はやっぱりヴァンペルトがすきなんだなぁと
認めることなんだろなと思いました。
今までおそろしいから認められなかったわけで、
まずは認められる ということがすごいステップだ。
そして 認められると 何か行動を起せるかもしれないし、
おそろしくて行動なんてとても と思うかもしれないし
どうあれその後も 自分でおかしな意味を付け加えることなく
ただ自分の実像を把握していれば、
実像に合った自分自身でいつもいられるということだな。
でもむずかしいことなんだよね と先生は言ってました。
「あれはだめ」「これはだめ」はみんな幻想で、
縮小するから反動で拡大し 拡大するから反動で縮小します。
つかれる
で たぶん 縮小の度合いが大きいほど、反動で同じくらいの度合いで拡大するんだと思います。
バブルだ。
バブルがはじけた状態が 燃え尽き、灰人 なんだろうなと思いました。
2015-04-08 18:08:08 ←たまたま押したらこの時間。すごい
1週間くらい前に、なんとなく整体に行って たまたま当たった人が上手でした。
独特なやり方 というか。
もみかえしもなかったなぁー
そいで すごいうまくこりが取れてびっくり。
説明もうまくて、これまでに何度も何人もの人から肩甲骨がゆがんでるみたいなことを
言われていたんだけど、ぱっと見それほど猫背でもないので
ほとんど実感がなく 実感がないのでほとんど聞き流してあそうすかくらいでした。
でもその人の説明はうまくて、肩が前に出ているのを実感できて、
思えば最近いつも寝るとき右側を下にして それが妙に安定するのでずっとそうしてて
すると ますます肩が前に出るのが定着する寝方だったのだ!と気づきました。
ほんとに気にしてると、寝ている間も潜在意識が働いてくれて
右側を下にすることなく上を向いて寝るようになりました。
そいで感動して、週末にご指名でもう一回行ったのだ。
日がたってなかったので 1回目よりほぐれてて さらに奥のこりをほぐしてくれました。
肩甲骨の動き具合が 完璧にちがう。
それに背中の筋肉は顔筋にもつながってるので 見た目マイナス5歳になりますよ、と言われて
実際その効果も出ている気がします。
それで、こういう体のクセ、特に骨の形、姿勢 というのは、
心の在り方に影響していて、心といっても潜在意識みたいな 無自覚な部分に影響していると思うのだ。
これまたちょっと迷うことがあって 3か月ぶりくらいに先生のとこに行った。
そしたらやはり 深い部分の話になり、私は
肩身がせまく、かつ かなり肩肘を張っていたことにとても気づきました。
これは まったく無自覚でした。
うわー 肩だ とびっくりしました。
整体で 長年の肩甲骨が解放されたら 心の肩問題も浮上してきた。
これがふしぎだと思いました。
どちらも そんなに深いつもりなく行ったのですが。
体の解放は、心の解放でもあると思うのだ。
そして今回のことで、心から「どうしても見たくない」 と思っていることは、
どんなに考えても ぜったいに見えないと、思いました。
きっと気づく時期だから気づけて、整体師の方と、先生のお力があって気づけた。
自力では まず気づけない。
そいで そういう部分が見えたときは とても不安定になります。
まあ、「当たり前」のことなんでしょう。
長年 どうしても見たくなくて隠し続けてきたことを見てしまったんですから。
それはやっぱり 子供時代の廃人時代につながっていて
それもやっぱり無自覚でやってて 気づいたら灰になっていた。
誰も悪くないし、無自覚にしろ自分から率先してやってたことで
それはつらく せつない記憶なのだ。
それと同じことを 気づくとまた繰り返していて
子供時代ほどはひどくはないから平気ですが
諸行無常を感じ 愛とかなしみと せつなさを感じました。
先生風にいうと、「無自覚にそれをやってしまう、それがあなたなんだよ」
そこに いい、悪い はなく、 それがあなたという人です、と。
それで ますますせつなくなりました。
そういえば 先生のとこに行って、何が ということもなく1日中涙が止まらない時があって
それも 桜の季節だったなぁ。
季節の変わり目で涙も止まらなくなりやすいんだろうか。
芽吹く時期 というのは 心の中に隠しているものも
むずむずと出たがる時期 という気がします。
セミの幼虫は 土の中に8年でしたっけ。
幼虫は 土の中から様子をうかがって 出たいなぁー と思ったら 出るんでしょうね。
かわいいですね。
今の心境にメロディーがぴったり。プレスリーの I've Lost You
I've Lost You - Elvis Presley
https://www.youtube.com/watch?v=yIWdBA47TBo
Il voloが プレスリーを何曲かうたってるので興味持って
3枚組のやつ借りてたまに聴いてたら 今回ジャストフィット。
歌詞はちょっとちがうけど。
歌詞は、結婚後子育てに追われてロマンスが失われた、みたいな意味です。
チャック先生のヒーリングを受ければ 何度でも恋に落ちるみたいなんですが。
私はまだ相手がいないので 自分で確認できません。
2015-04-06 22:22:55 ← たまたま押したらこの時間。すごい。