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2015一年を振り返りました。

2015-12-30 01:41:44 | 脳内整頓-とりあえず言いたい

今年は後半に思いがけない人事異動があり、そのお見送りが大イベントになって 
私は動画を撮影して記念DVDを作りました。

写真はたくさんいじってきたけど 動画は初めてでした。
しかし Video Pad というソフトを使ったのですが とても使い勝手がよく
思いついたことが直感的にできて、とても楽しく、思った以上によいのができました。

DVDメニューはDVDStyler というのを使いました。
このソフトも フリーなのに、すごい優秀なソフトで驚きました。
完成したDVDは みなさんにも好評で とてもうれしかったです。

みなさんにクリスマスプレゼントみたいにして渡すのがとても楽しかった。

自分にこだわりすぎないよい状態が続いているのですが
やっぱり イベントの類があると 情報量がありすぎて ぐちゃぐちゃになって
残念ながら 疲れ切ります。
これが今の自分だな。
それで リフレッシュしたくて今旅先です。ぐちゃぐちゃがひどいです。

頭を整理しようとすると かなしいようなつらい気持ちになる。

よかったこと、よくできたことではなく、
できなかったことに焦点を当てているんだろうと思います。

でも 今年のお正月付近のブログを読むと、われながらだいぶ成長したと感じ、
つらさがやわらぎました。

こういう記録がないと 自分が変化しているのがはっきりわからなくて
よい面を見つけられない。

今年の3月ごろチャック先生の「地獄」の予言があった。
私は気を抜いた4月ごろに地獄がきて 心は『イノサン』でした。そうだった。

5月は死線をさまよった(誇張)。
その浄化が終わったころから落ち着いてきて 

7月は 偶然 井内さんの本に出合えました。
今 振り返ると ありがたい流れです。
それで、自分の傲慢さと虚勢、なってなさ具合が 少し、自覚できるようになってきました。

11月にピンポイントでまた谷がきて、そのとき恋愛講座を受けたら
自分の考えが 良い考えと反転状態にあることがわかりました。

反転してるので 反転させることを心がけました。

ブログには、反転状態の考えが残っていますから、
(公開していないみにくい下書きがたくさんある)

それを読んで思うことは、「他人を批判している内容は、そっくり自分自身のこと」。
ということです。
これ自体、よく言われることです。(他人は自分の鏡)

なので、他人の悪口を言うことは、自分の欠点を周囲に吹聴することになり、
とてもはずかしいことだとつくづく思いました。

それに、人を批判しているとき、本当は批判なんかしてる場合じゃない。
どうやったら 改められるのか考えないと、自分がはずかしい状態だからです。

私はさんざんどつぼにはまっている人がいるけれど、
自分が変わるしかないと 自覚はしているものの
まだすっきり とは行っていないので もうしばらく 自分の反省と改変を続けるんでしょう。

とまぁ こういう状態になり、あまりわくわくする未来、という感じはありません。
これが今現在の実際のところです。

でも、一通り暗い話をしたら 整理されて若干楽しくなってきました。

やっぱり 疲れたら休まないと 次の遊びにも支障が出ます。

 

 

 


結婚、永遠、他。

2015-12-18 08:39:04 | 脳内整頓-とりあえず言いたい

私はまだけっこんしてませんが、世の人々は ばんばんけっこんしていく。
それも みんなよくさらっとこなしてすごいなと 思います。

けっこんとは 魂の結合です。と私なんかは思うので。結魂。
だって 日本神話とかでも 何とかの命と何とか比売がけっこんし、と、記録されて
未だにずっと残ってる。

なんでそんなことがずーーーっと記録されて残ってて いまだに言われ続けこれからも言われ続けるのか。
それがなぜかすごくおそろしい。

私は 自分に実体がないと感じていて、これまではむしろ存在していたくなかったので
存在してたくないのに伴侶など持つはずもなく、
存在していないものが伴侶を持つこともない。

けっこんには どうしても違和感があります。

でも すきな人のことを考えたとき、まぁ到底けっこんする予定はありませんが、
ふと 「夫」 とは 何なんだ。 と思って またそらおそろしくなりました。

やっぱり この世には違和感がありすぎる。
けっきょく 相手にとって自分は物体で、自分にとって相手は物体なんじゃ?

でなく、Noosでいうところの「あなた」と「私」 なのか

物質ではない 「あなた」と「私」 なのか と思うと、またわけがわからなくて
おそろしい。

この世はいつまで続くんだ
私はいつまでこの世にいるんだろう

すぐ壊れてしまうような「世」だったら 「魂」の表現などできないだろう。
「魂」は永遠なので。

私は今 というより、今と、今までずっと
この世に違和感があって 肯定しきれないです。

この世が幻に感じる。 それは どうしてなんだろう。
すぐ壊れてすぐ消える。だから表現なんかできないし、
すぐ壊れる世で永遠など表現できない 魂など表現できない
だから結魂もできようがない。

この世は魂の表現に向いてない。
なんか、どういう根拠でか、そういうふうに強く思っているんだよなぁ。

壊れて消える軟弱なこの世が悪い、と言っているが、
ただ何かが相当、おそろしいんだろうな。

永遠がおそろしいのかなぁ。
「この一瞬が永遠なんだ」 by ブラックジャック

「永遠」の何かがこわくてたまらないのかなぁ。

2015-12-22 00:18:38


そうだよな。「この世はすぐに壊れて消えて軟弱だと思いたい
だけなんだろうな・・・。

「この世は幻、まぼろし」と自分に言い聞かせているように見える。

あともう一つ気づいたことは

、私は人といることではなく
物といることを選んでいるということだな。

部屋が片付いてすっきりすると、その空白が なんかさみしいんだろう。

空白にものを敷き詰めています。それが今のわたい。

2015-12-22 10:30:50

 

 

 


声診断

2015-12-18 00:18:38 | 脳内整頓-とりあえず言いたい

楽しいことがいろいろあってすごく忙しかったです。
一つは、日本声診断協会の声診断に行ってきたことです。

声でいろいろわかって いろいろできるんですが、
今 私はバランスがよいときで 悩みもなかったので、
好きな人とか嫌いな人に接したときの反応を見て遊びました。

そしたら すきな人のことは 無意識層から思いっきり「愛」が出てて、笑えました。
あとすごい「わくわく」してる。

その人が近くにいるだけ活力が湧くので これは自覚がありましたが
ぼそぼそしゃべっただけで こんなにはっきり現れるのが驚きでした。

「周波数」って いったいなんなんだ。
「周波数」って やっぱりなぞだ。

こういうのを見ると、私はその人がいると 
自分が愛とわくわくの周波数になる、自分が自然とそういう状態になる、ということなので、
それはすごく貴重で、幸せなことだと思いました。

嫌いな人には 思いっきり心を閉ざしていて、ただ黙々と作業してるだけ、
というのも出て 笑えました。

父親とは 「コミュニケーションを取る必要がない」と思っていて
話もほとんど聞き流し、自分自身を表現することもない、というのがわかりました。

全般を通して 今の私は「自己表現」がテーマ ということがいちいち出てきました。
すごくおもしろかったです。

すきの反応も嫌いの反応も ふだん自覚はあるんですが、
こうまではっきりグラフになって表れてくると、なんかうけます。

他にもいろいろあるのですが 全部書くと長くなるのでやめます。


これ以外にも いろいろあって、
心からすきになれる人に出会えることは すごく貴重でありがたいことなんだと、
思うようになりました。

そして 広い目で見ると その人に出会えたということもなかなか絶妙のタイミングで、
いってみれば、「A地点に何時何分に」 と示し合わせたかのように

お互いがA地点にやって来たからこそ出会えた、と思え、
人類は何千年と続いているというのに、その中の1、2年 というのは「瞬間」といえ、

この瞬間にここにいっしょにいるの?! と思うと
まさに 「出会えただけで奇跡」 というのは ちまたのらぶソングではないが
ほんとにそうだ ととても思うようになりました。

ほんとに奇跡だ。すごいことです。

 

 

 


なければ自分で出す

2015-12-06 13:09:18 | チャック・スペザーノ博士の心理学

今までよくわからなかったチャック先生の言葉が 最近ふに落ちてきました。

親が⚪︎⚪︎をしてくれなかった、
まわりの人間がろくでなしばかりでひどい仕打ちを受けた、
そういう不満があるとき、「そこになかったもの」を提供するのは自分のはずだった、

という意味のことです。

「問題に気付く」ということは、それは自分の問題だということ、

「あいつはあれをもってない、こういう態度ができない、思いやりがない、あいがない」
そう気づく、ということは自分が持っている、ということで
持っているんだから自分が提供する立場だった、という意味のことです。

持っているのに出さず、持っていない人を責める、できない人を恨む

自分もそうですが、「できない」ことは責められても困るし、どうしようもない。

持っていないものは、たとえ殺されたって、出しようがないのだなぁ。

そこにまったく無いものを 自分が手品のように出す。
や、自分にとっては手品でもなんでもないんだが、持ってない人から見ると手品のように「見える」。

おおげさなようですが、無かったところに出現させる、ということで、創造 と言えます。
お互いにそうやり合っているのが 人とのかかわりなのだなぁ。

無かったところに自分が何かを出現させてしまうとか、
自分が「何か」になって出現してしまうとか、ものすごくいやだったな。ぜったいに耐えられなかった。
耐えられなかったのが 少し変化してきました。

「明らかに必要だよな」と思うのに その気配がないとき、自分がやるしかなく、

「自分がやる」とはいっても、「明らかに必要」なんだから「自分を通してなされる」ということで、
必要なものが出さえすれば、別に私でなくてもよい。

「よりよくなるエネルギー」が ここにいるこれ(私)を足掛かりにして物質世界に出現してくれればよいのだ。

たぶん、そこにガ(我)が混じることが ものすごくいやだったのかもな。

ガ(我)が混じると、ただ出る杭は打たれるだけなので。


 



 12/6 + 12/8