私は しんでも自分はなくならないように思いました。
もし、しんでなくなるのであれば、
私(この意識)は 何もないところから湧いてきているのか?
であれば そもそもなんでこんな苦しみがあるのか?
この「自分では手におえない」と思うようなエネルギーで
なんでここまでがんじがらめになれるのか?
自分が今持っているこの怨念のようなエネルギーは
もし自分が消滅したら、どこへ行くんだ
感情のエネルギーはものすごいですから、
この人生が何もないところからぽこっと湧いて出たとしたら、
そんな大量のエネルギーがなんでここにあるのか
何もないところ というのもよくわかりません。
そもそも 誰が何と言おうと ほんとうのところは 何もわからない。
理屈ではなく感覚で 自分がしんで無になれるとはまったく思えませんでした。
(バシャールによれば、「非存在」はもう満杯なので、
今存在しているものは「非存在」にはなれないそうです)
私は 存在していること自体がいやでしたので、
ただ この世とおさらばする だけではだめでした。
肉体は消えても 「自分」と感じてるこの意識が無くならなければ
私にとってしぬのは 痛い(苦しい)だけで まったくの無意味でした。
しんだらラクになれるなど、そんな楽観的にはどうしてもなれず
意識はぜったいどこに行っても残り、今のまま、
それどころか 自分のこのネガティブ具合からして、
しんだらますます悪くなると思えました。
私はそれでどうしてもしぬ勇気は出ませんでした。
しんだときの気分がそのままが続く、と何かの本で読んだのも影響しています。
悪人とか善人とかは関係なく、
極端な話、他人がみて極悪非道でも、
本人が幸せいっぱいであればその気分が続く、すなわち天国。
献身的な聖者だとしても、苦しみをいっぱいかかえていたら
その気分が続く、すなわち地獄。
だったら自分はどうなるか?
そんな説もあると、とてもこわくてしねません。
その説はうそだという確証はどこにもないので。誰が何と言おうとない。
自分自身からは 決して 逃げられない・・・・・
林さんをつぶしてしまった司くんは、どこにも逃げ場がありません。
(名作 『pet リマスターエディション』)
それから 「しんだときの気分がそのままが続く」のではないかと
よりリアルに感じられるのはこれです。
相当リアルで書くのもこわいですが 何かのお役に立てば(?)
新潮文庫のこの本の、じさつ実況テープの話です。
この本を買うのはおすすめできません。
私は図書館で見つけましたが、その本も「寄贈本」でした。
家に置いておくのはいたたまれなくなったのではないかと思われます。
お近くの図書館で見つけてみては。
しかし、ハイアーセルフが望まないことは決して起こらない、
という説も考えると、
しんでもラクにはならないことを体験するために(?)
じさつすることもあるのでしょうか
2013/4/24
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人によっては、ふらふらと取り付かれたようになって
もうろうとなって 死んでしまう場合もあるようですね。
この本で知りました。
大声で「私はじさつしない!」と何度か叫ぶと良いようなんですが・・・。
でかい音や声で 我に返るようです。 2022-04-29 22:34:08
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じさつ = 自分を殺す = 殺人
じさつをする ということは なかなか
というより 人としては相当な暴力 ということだな
今は しぬくらいであれば のろのろと生きて できることをやろう と思います。
できること といったって、少なくとも呼吸はできる。というレベルです。
やっててしにたくなるようなことがあれば、
しぬのを選ぶのではなく それをするのをやめようと思います。
しんだと思えば どんな状態でも問題ないような気がします。
そういう考えが 別に「良い」とか「正しい」とかはいいません。
ただ しんだら そのあとの展開がどうなるか 見届けられなくなる。
もし あのときしんでいたら、その後のあれや はたまたこれ、
そして一連のあれも まったく 体験しなかったわけなので
それはなんと 自分の人生の中核を体験することがなかったということになります。
だらだらでも天寿?をまっとうしたら、
全体を見渡して、何か意味がわかるかもしれません。
意味がわかると何か反省できる点もあるかもしれません。
意味はわからなくても、何か気づく点があるかもしれません。
全体を通してみないと 正直言ってわけがわかりません。
なので しぬことではなくとりあえず生きてることを選びます。
2015-08-18 08:03:35
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そうだったなぁ わたし「存在している」のがいやでいやでたまらなかったんだった。
きつかったなぁ 一瞬一瞬自己否定だから。
私は 暴力は受けたことないけど 世間や親の考えとか仕組み自体が精神的虐待だったなとは思います。
しかし 自分自身も世の中(盤上)の仕組みの中にいるので、世間や親と、まったく同じことをやっている。
自分だけ「被害者」という見方は 偏っているので 苦しみ解消という解決にはたどり着かないと思う。
歪みに同化して 自分の歪みには気づかない というのは、ふしぎなことだなぁと今でも思う。
歪みに同化した瞬間、というのは痛みとか違和感があったかもしれないけど。
とげは刺さる時と抜く時が痛い。あるアメリカ原住民の言葉
必死で探し回っていると、自分に合うところにふしぎとたどり着くもんだ。
というより、たどり着かないことにはどうしようもないので たどり着くまでやらざるを得ない。
タイプの違う いいセラピストに二人も出会えました。自分の歪みに気づいて 物の見方を変えた感じ。
お金はかけまくりました。そのために生きてるようなものだったので。
よいセラピストに出会えて十数年、大分、相当軽くなった。
とはいえ、「癒し」というのも階段状態なので、行っても行っても癒すネタがある。
癒しても癒しても すこんと晴れることはなかった。いつも、何かしらつらい。
すこんとなったのは しおりちゃんの考えを 納得の上で取り入れて、「進化成長」概念を崇めるのをやめてからでした。
現在は引き続きしおりちゃんの物の見方の理解に努めてるのと、フラワーエッセンスをちょろちょろ。
しおりちゃんが「何を言ってるのか」解読しようとするのは、洗脳解除にとてもよいです。私の場合ですが。
新たな洗脳を自分から受けに行っているとも言える。
2019/1/14
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遺品整理屋さんの話も、いろいろと参考になるかもしれません。
私が読んだのはだいぶ前だけど、『遺品整理屋は見た! 』吉田太一 (著) というのを読みました。
もしかしたら、上中下とか何巻か出ているかも?
これを読んだときは、自分が思っている以上に奇妙な人がたくさんいる、と思いました。
もうちょっと自由に生きていいのかも。とか、生きているうちにもうちょっとなんかできるかも、という気になった気がします。
奇妙な話がいろいろ載っていましたが、一番印象に残っているのは、
白い冷蔵庫に、黒のマジックで大きく「忍耐」 と書かれていた。というの。
どういう状況だと、冷蔵庫に、消えないマジックで 大きく忍耐と書くだろうか。と思って。
書いたあとも、毎日毎日繰り返し見るだろう。そして遺品の引き取り手もいない状況でなくなられた。
すごく孤独な戦いを感じて それで今でも心に残ってます。
2019/1/18
浄霊・・・天国へ強制送還
除霊・浄霊関連も2か所くらいお世話になりました。
いずれもネットで見つけました。
何年だったか、正月早々 闇スパイラルの中にいたときがあって
当時付き合ってた人 ―というより全然「付き合って」はおらず、
霊障の一環でただこじれてもつれてるだけなのですが―
とのぐちゃぐちゃ具合もあり、
先方の要望で送った写真が実際は20代後半だったにもかかわらず
40代後半に見えた、とおっしゃり飛んできてくださいました。
あのときは他に助けを求められる人も話をできる人もいなかったので
ほんとに心強く 心からありがたかったです。
しかし その方と、連れで付いて来られた数名がいて
玄関を開けたとたん その人たちから「集金に来ました~」と聞こえてしまうのが
かなしいところではあります。
集金でも金づるでも あの時は親身になってもらえることが
ほんとにありがたかったです。
そこが1件目で、のちに2件目を受けたということは
根本的な解決には至らなかったんだと思いますが(よく覚えていない)
ほんとにありがたかった、ということだけは覚えています。
いろいろよくしていただき、感謝しています。
こういう力強い人もいるんだ、と思いました。
数年後に2件目を受けました。
そちらは 強制送還方式でした。
未成仏霊はうそをつくし、説得なんかキリがないから、
強制的にお風呂に入れて洗ってきれいな服を着せて
ごちそうをたくさん与えてエレベータに乗せて神様の元に送り返すんだ、って
おっしゃっていました。
私は 元・生ける未成仏霊でしたので、
説得なんか無意味、というの すごく賛成です。
自分の要求が強すぎて
理路整然とした正論や説得など受け入れる余裕はないと思います。
そんな余裕があれば、そもそも未成仏霊なんぞやっていないのではないかと
わたしは思います。
わたしは未成仏霊でも、肉体を持っていたのが幸いなのだと思います。
これで死んだられっきとした未成仏霊となるだろう、というのが
どうしても自殺できなかった理由です。
なぜ肉体があるとちがうのか。これはまた別途。
日本の神様系の浄霊師さんでしたが、効果てきめんと言えると思います。
自分の感性を、未成仏霊→神霊 に向けていただきました。
プラスの気、陽の気、神的エネルギーを受けると
私の場合はすごく楽しくなってきて ちょっとお酒入ったような
お風呂に入ったような上気感です。
やたら楽しい。
宝船上の七福神の絵がありますがあんな感じで
日本のみなさまにはこのかんじはおなじみ?で
おわかりいただけるのではないかと思います。
そのときから、神的エネルギーの合図のようなかんじで
自分にだけわかる形が ぼわっとしたシルエットのように
目をつむると見えるようになりました。
低級なものはやたらハッキリ見えますが
高次のものは説明もしづらくぼんやりと、
またはハートでエネルギーで感じます。
最近では自分のハイアーセルフの図形もわかって
ハイアーセルフとつながっていると同じような感じでシルエットが見えます。
おもしろいです。
でも想念が悪いと元に戻るから。
と何度も言われました。
その後 現在に至るまで霊障は復活してはいませんが
想念 については さらにさらに掃除・洗濯することとなったのでした・・・・。
抜け出して上から自分の体を見た、とか、
空を飛んで自分の家が見えた、とか そういう美しいのはありません。
体験したのは大きく分けて2種類で
体の感覚と意識が抜けるのと、
意識だけ抜けるのと です。
体感覚が抜けるのは、体から1、2m浮かんで、
バク転みたいにその場でくるくる回っているだけです。
そのときあんまり「どこか行こう」とか思いつかないです。
「うわー出た」と思って体が動くまま いつまでやるんだ、と思っている。
でも結構気持ちよかったりします。
ふだんこんな動きはできませんので。。
意識だけ出るのは、どこかにびゅんとワープする感じで
すごくカラフルなチカチカしたところに行きました。
至高体験みたいな、あんまり神々しい感じはしません。
なのでへんな霊の仕業の一環かもしれないと少し思ってます。
幽体離脱し始めのころは、へんな存在もいろいろ来ました。
どこかコミカルだったのは、
体から幽体をはがして、どこかに連れていこうとしたヤツらでした。
2、3人きて、わたしの足の幽体を1、2の3でひっぱって
幽体がずるっとズレました。
頭の幽体を持って「うんしょ、うんしょ」と運ぼうとしています。
私は半分寝ぼけていますが
わたし: あんたら何やってる?名を名乗れ
2、3人: だいじょうぶよ、だいじょうぶよ
わたし: だいじょうぶじゃないよ、名を名乗れ
何度も言っていたら いなくなりました。
手とか足とか、幽体が部分的に宙に浮いてぶらぶらすることも
ありました。
目の前でぐーちょきぱーとか手を動かしつつ、薄目を開けて見るのですが
手が見えないので幽体なんだなと思いました。
私は幽霊を見たことは一度もありませんが、
いわゆる霊媒体質というやつで、一時期たいへんでした。
子供のころは霊感のたぐいはまったくありませんでした。
高校時代に 内面のネガティブが表面化して陰に傾きはじめてから
その性質も出てきたように思います。
のちに浄霊していただいた浄霊師さんには
体質+心の在り方 と言われました。
霊媒体質の人は運動をしないとだめとも言われました。
しかも、激しい運動。格闘技がベストだと。
Noと言えない性格というか、心のどこかで寄ってくる浮遊霊に
OKを出してしまっているからです。
それとやっぱり グラウンディングということだと思います。
それでも、心が陽気であれば、だいぶ違うのではないかと思います。
また、20代前半に、癒しの一環でスピ系に手を出して、瞑想やら
ヒーリングやらやり出したのが、自分には引き金になったようでした。
スピリチュアル系は 自分で身を守るすべを知らない人が下手に手を出すのは、
サメのいる海に飛び込んで泳ぐようなもんだ、と
どなたかに言われたことがあります。
よい霊もいるが、こわい霊も多い、ということのようです。
あるとき瞑想していたら、いろんなところからバレーボールくらいか
球がぼんぼん飛んできて、心の中でいちいちよけていたのですが、
いつまでたっても飛んでくるから、正体もわからないし、
受けないといけないものなのか? もういいやと思ってよけるのをやめました。
ぼんぼん球が体めがけてきて、涙がたくさん出たのを覚えています。
へんな霊って そうやって飛んできて入り込むんじゃないか?と
すごくあとになってから思いました。
憑依も末期症状になってきますと、毎朝 渋谷交差点、
霊のご出勤です。
肉眼で霊を見たことはないですが、目をつぶると今でもいろんなものが見えて、
いちばんひどかった時期は 夜寝るときや目が覚める直前の
意識が半分くらいあるときに
渋谷交差点くらいの人影が 一斉にこっちに向かってぞろぞろやって来ます。
毎朝毎晩ぞろぞろ来て、こっちに向かってくるばっかりで
どこかに帰っていく姿(後姿)は一度も見たことないです。
あとは、なぜか自動車や自転車に乗ってこっちに突っ込んでくるのとか、
物かげから不意打ちみたいにつっかかってくるのもいました。
(全部 あたまの中でです)
目をつむっていると人の顔が次々見えたり
風景がすごくはっきり見えたりしていました。
人形やお面 といった、ヒトガタにすごく興味がわきました。
夜中にお面を創っていたら(ぶきみですな、はは)
頭の中でたくさんの叫び声が聞こえて
正確には「叫び声の気配」なのですが、すごい人数を感じ
あのときはほんとに乗っ取られるかもと思いこわかった。
等身大の人形を作ったりして
今思えば取りつかれているような薄気味悪い行動が多かったと思います。
タイプもいろいろあるのでしょうが、憑依されているときは
こういうエネルギーでした。
狭くて変質的、暗くて不気味、ひとりよがり。
それから 人が怖くてたまらなくなり、外に出られない。
身体が重くてたまらない。無気力。
人間恐怖は霊障の場合もあると言われましたが
私はメンタルなのか霊障なのか自分ではわかりませんでした。
どちらにしても自分の力ではどうしようもない、というのを
すごく感じていて、そうなるとどうしても「ご先祖が何か訴えている」
という方向に行ってしまう。
それでますますへんな霊の方向へ首をつっこんでいき、泥沼スパイラルでした。
身動き取れない というのを感じていました。
30歳ごろ魂との接続が完成するとかなんとかで、
その年齢ごろに表面化することが多く、依頼者もその年代が多いとききました。
私もそのころ浄霊してもらいました。
名作 『日出処の天子』より
陽気なえみしと陰気な皇子
2013-04-21 01:57:40
そういえば、浄霊師さんが、憑依している霊は、「すごく小さい粒」だとおっしゃってたの思い出しました。
粒々が肉体にたくさん入り込んでるって。
素粒子=魂 !?
2016/11/13