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Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

がんサポート誌の連載

2015年03月12日 15時53分40秒 | 乳がん

お知らせで~す

ブロ友さんの雨あがりのポーさんが、

闘病記を書かれ、「がんサポート」という雑誌で4月号(3月16日発売)から3回連続掲載されます。

ご本人は、闘病生活といっても明るくをもっとうに過ごされてきたとのこと、その支えとなってくれた

出来事やご家族、人との関係などを書かれているのかな?

「いつもみんなが助けてくれた」というタイトルのようです。

ご謙遜で、ブログで書いてきたことをまとめただけとおっしゃってますが、

そもそもブログとはいえ、きっちりとした視点や表現力もあって書かれているし、いつわりない心も行間にあふれてる読みごたえあるブログです。時には直球できます。

闘病の頃のことは、最近ではあまり書かれていないので、その当時を知らない雨あがり読者さんにも興味ぶかいですね。

私も、乳がん同期なのでその頃は知ってるようで、もう忘れてることもある(笑)

がんサポートという雑誌自体も割と私は好き。患者目線で分かりやすい。

ご本人の写真いりということで、これはおおきなおまけつきね 楽しみ

エビデンス社のがんサポートこちらから、購入もできるし、どんな雑誌かの参考にもしてください。

ブログ雨あがりは左ブックマークから。

骨転移はビビりでもいいと思う。

2015年01月08日 19時27分06秒 | 乳がん

 

乳がんの骨転移の対策・特徴など丁寧に現場観点で書かれてます

今回、即、整形外科にいったのは、これを改めて読んだこともある。

骨転移を多くみてきた橋本伸之先生。整形外科の現役先生の分かりやすいお話です。

以前に読んではいたけど、まだまだ、頭がいろいろいっぱいいっぱいで、その時の感覚とは違う、5年クリアしたいまだからこそ、読んでよかった。読み直すいい機会で、今回よかったと思っている。

ここで、骨転移の麻痺についても、先生は書かれています。バックナンバー送っていけば、たどれますので、気になる方は麻痺だけでなく、初めからゆっくりでも、読んでみてほしいな~。

癌の転移は、どこの部位であったとしても、それぞれの苦しさがあるのは容易に想像できるし、現に闘って、向き合っている友人もいる。

その苦しみは、治療やQOL,死も含めて大きなくくりで「癌」の苦しみなんだと思うけど、

骨転移の脊椎・脊髄圧迫による麻痺に関しては、それとはまた別の観点で、だけど、「癌」と同価値的な苦しみだなとわたしは感じた。

先生いわく、脳梗塞などで下肢が麻痺した場合は脳の傷害が原因だから、リハビリとかで程度はべつとして回復していくことも可能だけど、癌の骨転移の脊椎.脊髄圧迫での麻痺は本当にもう動かないとのこと。

その脊椎.脊髄の場所によっては半身麻痺になる場合もあれば、その支配してる領域によってかわってくるだろうけど、とにかく、麻痺してしまってうごかないということは、治療のレベルを超えた、癌とは別の苦悩だよ~

私が身動き一つできないからだになったら、介護は夫がするだろう。家族に精神的な苦労だけでなく、肉体的な苦労までかけてしまうことになる。自分も辛い。「癌」とは別の意味で辛い。そう感じた。

でもね、それが、事故とかでないことが「癌」ならではとあえていいたい救いでもある。48時間以内の処置が大きく麻痺の予後を左右するみたい。

それを、再びの今、読んだからこそ、意味もまた全然ちがって受け止められた。思いおこせた。

漠然と癌転移を治療との向き合い方ととらえていた告知当時より、深まる。あせる。びびる。

でも、それでいいのだ!そうすべきだと思ったのよ~

 なので、アップしとこ!

転移は早期発見しても、生存率かわらないとかいう説もあるけど、医学の進歩でそれもどうかな?という疑問もあるところ、特にこれに関してだけは、全くちがうと強く思った。私は思った。


付け毛

2014年12月07日 20時17分04秒 | 乳がん

 

さて、寒い、めんどうといいながらもクリスマス真っ盛りの美容室へいってきた。

 ちゃんとお出迎え。季節を感じる。

でも、あまりに急激に寒すぎて、ホントにドタキャンが多いんだって~

私はりちぎだ!

そして、りちぎにイスに座ってる間にメールがあった。

あの着物ヘアは付け毛なんだ!?と。

そ~~だよ~~

その前のサンゲタンかぶりついてる、カチューシャの写真も後ろの髪増えたといわれたけど、あれも同じ付け毛。

ちょっと、付ける位置を着物と洋服カチューシャで前後しただけなのだ。

これ、

こんだけのぶん、頭頂部増えてくれれば、もう申し分ないのよん。

でもね、1年半くらいまえまではこれ。

もしくは、これかふりかけ(笑)

比べると。

コンだけ違うのよ~~

 

今でも、もう付け毛なくってもいいんだけど、多つむじだから、なんか割れるんだよね。

あと、冬の服のボリュームにちょっとのエッセンスなんざんす。あと、旅の時は楽

だから、美容院はほんとにりちぎでいってるのよ~~。ま、気持ちよくスカッとしたけどね

 

薄毛治療関係は乳がんカテゴリーで。


しみじみ12月

2014年12月01日 22時29分18秒 | 乳がん

 

カレンダーも今年最後のページになった。

華やかな12月。

この1日、今日、乳がん5年無事クリアとなったこと、今、しみじみ良かったとおもってる。

本当は、もしかしたらという思いもあった。その時は、ま私は私、そこからがまた人生の仕切り直しで、最期の時期を意識した生活を生き切るしかないなと。

おぼろげながら、そんなことも片隅におきながらも、実際は怖さだってあった。

でもね、

ま、クリアして、いろんな人にお祝いいってもらうと、

誕生日ってのは時とともにやってくるけど、癌からの毎年をクリアしていくのは、

宿命とかではなく、自分の意識、そんなことも多少なりとも影響してるんじゃないかな~と。

再発転移が悪いとかそういうことではなくってね、まだ、癌が体をおかしていないでいるってことは、

治療がないからこそできる事、私にはやるべきこと、やっておきたいと願う事があるのではと。

それが、5年クリアしたことで、現実的にみえてきたおもい。

あ~5年って重みがあるなって感じてる。自信というか・・・・・・。

この5年の重みは、おおくの人との出会いもあったし、別れもあったけど、全てが色んな意味を持って私の中に力になっているなって感じる。

ほんと、12月のカレンダーめくって、しみじみと。

 

大野君が、お誕生日に(11月よん)「お母さん、いつも産んでくれてありがとう」という不思議な名言を言うが、

まさに、いつも、いつもの重なりで、この5年があって、あらたな思考が生まれた感じ。

 

今日、送られた「マダムりこ画」。私がなんかたくらむときのイメージなんだって~

笑ってる。まわりには、きらきら、はらはら桜。

こんなふうに、今、心から、5年が嬉し。10月10日ならぬ、5年の歳月でこの「マダムりこ画」のような今の私が誕生した。

意味不明文章でしょ?

むふふ、こころひそかに、たくらんでるのさ~~

きゃはは~~

 


念力か!

2014年12月01日 12時31分06秒 | 乳がん
乳がん五年目、なんとか、クリアした。心配して下さったかた、ありがとうございました。

乳腺に少し炎症と、脇はやはり良性みたい!経過観察していくけどね。
あと、肝臓にやや陰。でも、これも大丈夫みたい、以前からあるから、ま、経過観察。

その観察は、どこの病院でするかは、思案中ですが、、、、

ここで書いたことが、意味があったのかどうかはわからないけど、
あの衝撃診察室はレイアウト変わっていた(゜ロ゜;ノ)ノ
医者、態度もよくなる。やればできるじゃないか!

患者念力かな(笑)

とにかく、今は炎症もかなり収まり
関係は無いだろうけど、腫瘍マーカーも安定範囲に。

(’-’*)♪ホッと一息。

まだまだ、したいこと、すること、沢山あるからね。

元気でいたいよ。そう思った念力かな。

熱が出たついでに、

2014年11月20日 18時20分02秒 | 乳がん

熱だからね、
ちょっと、のろけとこ。

今日は、私の乳がん手術から五年目。
俗にいうセカンドバースデー

クリアかどうかは、別の話しで、とにかく、五年生きた。それも、楽しんでね。何だかんだ言っても、楽しんでたよん。

で、今日のお祝いのプレゼント。

旦那っちから。

健康にご飯食べられるようにか?な?









綺麗なご飯茶碗いただき。

やるなぁ(*^^*)

さすが、この人えらんだ、あたし。


さて、お粥を初盛りも、なんなんで、早く風邪治そ。


エコーで、

2014年11月18日 01時57分17秒 | 乳がん

 

検査のときまで不安をかかえててももったいないよ~

ドクターショッピングでも今はするべき

などなどの頼もしい友人の声におされたのと、あまりに体がしんどくって、

これは乳がんと言われた後のだるさににてるとおもい、今日、先ずはかかりつけの地元の内科医にみてもらった。

乳腺専門ではないけど、

乳腺も腋下リンパ節も内臓もエコーでみてくれる。

その結果、

腋下もおもっていたそこに、腫れがあった。でも、その状態は反応性リンパ腫というものらしく、

楕円のかたちでつながって腫れている。癌はまんまるでつながっているものらしい。

ま~、いろんな例外もあるから、専門医でないから絶対とはいえないけど、この先生の顔とお話の丁寧さだけで安らぐ。

乳腺にも、炎症があった。やはり全体にはれているらしい。

左上の腋側。ここなんだけど、異常に乳腺が密集しているみたいで、一方下の方から、乳腺が少なくなり脂肪がまざってきているようだ。年齢による変化なのだろうね。

そんなことは、乳腺主治医はひとことも言ったことなし。

この先生はあくまで専門外でも、こうして、先ずは、癌転移とか新たな癌ではないと思うということを、その場で話してくれる。血液検査の結果からも合わせての推察でけど、ウイルスが入ったあとに上昇する数値があがっていたことから、なんらかのウイルスで、慢性的な風邪とか吐き気とかもあって、リンパ節もかたほうしかないから、退治するのにがんばったのかな~と。

子供に説明するように、丁寧だし、図もかいてくれる。

あくまで、一般的内科の領域ではなしてるから、乳腺の検査はぜったいにうけてとのことだけど、

心配してるともったいないよ~といってくれる。

便秘は、相当ひどいらしく、吐き気止めに胃腸を正常に働かす作用もありということで、

ひさびさ、プリンペランも処方される。あとは、整腸剤などなど・・・・

先ずは、ホントにあれこれ考えてるのがもったいない!

この先生はいつも私の薬だ。

 

なにかあるなというところに、何かはあった。でも変なもんじゃなきゃ、なんかあってもいいし。

ひとまず、嵐コンもあることだし、正式乳腺結果きくまで、楽しい誕生日月間にしなきゃね~


目撃者

2014年11月12日 02時16分05秒 | 乳がん

 

ちょっとこの頃、乳がんな日々をおくっている。

5年検診を前に恒例のってわけではなく、

不安を客観的に支えてるあやしさがあったりするんだな。

左の胸と腋になにかあたる。

これが全ての始まり。

 

そこへきて、主治医や病院のマイナスな出来事。たまってた私の思い。

再発転移確定か、または無事クリアかでも、病院をどうするか、どんな形で動くか、などなど違ってくる。

 

今は、もしもの時のために、ちょっと心ととのえ、情報も収集中。

 

で、昨夜、医師の友人に忌憚のない友達としての話をした。

彼の言葉で、印象的だったこと。

外科医は最初に自分がメスを入れたとき、「そいつ」をみてる。

そいつとは、私の中にあった癌。

10人いれば10人の顔があるという癌。どんな顔してどんな態度で、術前のケモでどんなよわりかたしてたかって、みてるんだよ、唯一の目撃者なんだよ。その情報は大きいと思う。

 

そっか・・・・・・・・・・・・・・

あの頃の主治医は確かに真摯でまじめだった。

私の中の癌をきっといまでも覚えてるだろう。と思った。

大きさはあまり変わらなかったけど、中がすかすかで、胸筋や鎖骨のしたにはれてたのは、

スイカの種みたいに、ぽろりととれた。

そういった。

あれからもうすぐ5年。

覚書。


診察室

2014年11月06日 01時02分24秒 | 乳がん

 

久々の更新?

忙しいのと、気忙しいのとかさなっていた。

気忙しいというのは、乳がんのことや、仕事がらみや、友達のあれこれ、ほんとに、あれこれ。

で、気分的にブログに向けなかったんだけど、

今日はちょっと、乳がんに心乱れるときの、その中の奥底まで入ってみた。扉を少し開いた。

う~~ん、そんなんで、少し開いただけだから、沢山は言葉で書けないんだな~

だから、先ず、お絵かき。

これ、どこにでもある、普通の診察室の間取りだとおもうの。

絶対、何時の時代でも、どんなにハイテクになっても、すくなくっとも私の病院人生ではずっとこの構造で、医者の横顔をうかがいながら、ときどき見せる表情に和んだり信頼したり。そして、真正面をむいて、大切な意思確認をしあって数分が終わる。

たとえ数分間でも、顔が見せあえる。患者の顔を診て、自分の医師として人としての顔を見せるという事で、白衣はどれほどの力をもつか。良いときも悪いときでもね。

それが、たったの数分診察でも信頼につながるのだ!と、気が付いた。

いつのころからか、私の乳腺の診察室がこう変わった。

このころから、私はただでさえ寡黙な主治医と意思の疎通困難になった。

ずっと、彼の背中しかみえない。首だけ、半回転させて、次の予約のことだけつげる。

首だけ半回転だから、顎があがる。その姿は、白衣とはちぐはぐな横柄な金貸しみたい。

前に、書いたことある。私の身体触診後、すぐ手を洗う場所も、背中をむけてる。

おい!お~~い!

こんな診察室での乳がん日々が、辛いとおもうようになってきた。

どうすればいいのだろう。

患者ってよわいんだな・・・・・・と思う。

前記のこの診察室での出来事、リンパ浮腫指示書の記事も、同じ一文で終わった気がする。

 


乳がん後の身体のメンテ

2014年08月19日 21時28分01秒 | 乳がん

 

昨日に引き続き今日も鍼にいってきた。

今日は酸素カプセルのあとにした。

ひょ~~凄い!

昨日は最初だから、軽めに様子み。

今日も基本はそのスタンスなんだけど、酸素カプセルの後のせいもあってか、術側肩甲骨まわりに、ぴりぴりぴりっとした刺激とともに、なんだか知らないが、きっと神経とかつながってるのでしょうね、再建胸の周り、まさに胸を作ったところの周りがぴりぴりぴりと、普通なら痛みととるのかもしれないけど、そうとは思えず、心地よいというか、感覚が目覚める感じがした。

私、顔を三叉神経痛になってるから、神経のトリガーポイントというのかな、神経の細かな刺激にけっこう敏感というか、神経ソムリエとでも表現しようか?これが異常な神経の痛みなのか、神経がどういう状態なのか、区別くらいは自分の身体ではできる。

今日のは、まさに蘇っていく感覚って感じがした。再建した胸のちょうど後ろが肩甲骨になるわけだけど、

そこから鍼の刺激で、胸の中のいきわたってない毛細血管やリンパ管、神経などにツ~~~ゥと刺激がいきわたる感じかな。

 

さてさて、

女性はみんなエステとか好きだよね~

私も好き。

でも、乳がん以降は、リンパ浮腫がきになって、エステいっても、デコルテされるとき、うわ~反対にながしてよ~~と心の中でさけんだり、(最初に言い忘れて)どうも、おちつかない。

すべてそれ。

ヘッドスパでも、肩から腕くらいまではもんでくるけど、うわ~~~右腕はあかんで~~とさけんでいる。

そんなこんなで、お酒とか飲めない私の唯一の快楽系の楽しみのエステやマッサージも、足のリフレが一番気が楽であった。

でも、やはりここ48歳も最終コースをまわり49が近づくと、CMじゃないけど、7の倍数には体に異変といってるあれね、49歳はしんどいのだ!

この夏は、特にいろいろあって、しんどさが体にだだもれ~~

そこへ、思い切っての鍼と酸素カプセルはけっこうナイスだったかも。

酸素カプセルに限っては、触られることない。

昨日も鍼のあとゆっくり寝れたし、今日もこんなつらつらブログかいてるのは久しぶり。

酸素カプセルの効能は気になる方は検索してね。私が書くより沢山くわしい。(笑)

 

つまり、まとめとしては、

リンパ浮腫も体全体のリンパの流れが大切で、腕だけではなく、先ずは体を流すことに専念するのがドレナージでも基本なわけだ。

そのドレナージはなかなかしてもらえる施設もなく、自分で全身するのは無理無理。

加えて、やはり病後の体力低下や、乳がんの性質というのかな、左右対称を崩すわけだから体の歪みもあるだろう。

そういうこといろいろ含めて、たまには鍼と酸素カプセルでケアするのは凄くいいな!

とばりばりいい気分

 

 

☆ここに書いてるのはあくまで私の場合の私の感想ですので、その辺は自分の身体と相談してくださいね。


ここはフンパツしたい

2014年08月13日 22時54分29秒 | 乳がん

美容というより、薄毛および抗がん剤あとの髪のこと。
ここは是非フンパツしたい事思いだしたので書いておきます。
それは、ドライヤー。

いま、ナノ系の髪や地膚に優しいもの、沢山でてますよね。

少ないからと、あなどるなかれ、少なくか弱い髪だからこそ、良いドライヤーを使いたい。

これは、ただ乾かすだけのと、全然ちがうのだ!

私は、ドライヤーには贅沢して良いと思う。再建の入院の時に自前を 持っていかなくって激しく後悔した。

それくらい違うのだ!

ハンドルの遊び

2014年07月03日 02時18分32秒 | 乳がん

 

近藤理論や、なんだかんだと「がん」再発転移治療を巡る世間も荒れている。

私は、今の時点でがん患者ではあるが、まだ転移をつげられたわけではなく、他人事と思うかたもいるかもしれない。が、これは、そもそも他人、人それぞれの死生観、価値観でどの選択が正しいとはいいきれないところがあるとおもう。もちろん、治療として、医学者としての職業人としいの正誤はあると思うけどね。

が、医療人としての正しさが全ての場合で、人として正しいかというのとは別の話だ。

あやまちではないけど、正しかったかと問われれば答えはでないだろう。

だから、今夜は、患者である、一般の人として私個人のことを、今の思いをかきのこしたい。

もしも、私が乳がんで転移したら。

抗がん剤はしたくない。

でも、まったく捨て切れる自信はどうだろうか?

心底問うてみても、答えはでない。

だってまだ転移が目の前ではないから。

だけど、初発のときにした抗がん剤の辛さはもういやだ。

髪をうしなうのもいやだ。

それをして、10年、15年生きられるなら、考えるかもしれない。

あくまで考えるかもというレベル。

抗がん剤の後遺症は5年たった今でもねけてないのに、こんだけ体参ってるのに、これ以上は自分のからだには無理だとおもう。

無理を重ねて、生きるのは私にはできないな。

だけど、だまって死を待つのも

勇気がない。

だから、中をとる。

半端だっていいじゃないか!

車のハンドルには遊びがある。あの遊びがなければがんじがらめで、ハンドル切ったとたんに事故多発だとおもうよ。

一人の個人が、自分の命を懸けて、命を守ろうとするとき、ゆれてゆれて、それに身を任せて、

ぐらついてもいいとおもう。

中とって、無理のない少しの抗がん剤もして、分子標的薬もしてみて、しんどいならやめて。

遊んで(悩んで)

時間は短縮されても、苦しみや、自分らしさとかけはなれた時間の長さならなくていい。

ほどほどのところをとってね、命を延ばすことより命を活動させることを選ぶだろうな。

それには、がちがちのハンドルでは危険すぎる。その都度の修整しながらそれはそれでつなわたり。

つまり、どんな道をえらんでも、懸命に生きることとの戦いだと誇りをもちたい。

 

そんな患者のそれぞれの道を受け入れてくれる病院。これをさがすのが一番たいへんなんじゃないかな。

きっと、大病院は、医療制度や診療費、学会などへの結果報告など、大きな機関になればなるほど、

1か月、2か月の延命の長さでも競い合うのだろう。

 

私の心の赴くままの治療のアドバイスだけしてくれ、正確で安全な医療行為だけをしてくれてマウスではない人・私をみてくれる病院を探さないと。

医師というより、病院なんだろうな。

 

6月は、主人の脳梗塞から10年だった。

あのとき、病院はまだ症例のすくないリスクの高い脳幹へのステント装置術を進めた。したがっていると感じた。

全国で2位の症例数だと知ったから、そういう穿った見方になったのかもしれないけど、おおきい病院は仕方ない。結局は拒んだオペだけど、正解だった。でもそれは結果論として10年たった今だからいえること。

実際、大きな医療の進歩を支えてるのはちいさな患者それぞれの命なのだよね。私の今の命も、そうした多くの先達の身体がつむいでくれたもの。

そのお返しを・・・・・なんて気持ちは、まだ、もてないでいる。

でも、ほんとに、まだここでこの景色のなかで息をしていたい、彼をみつめていたいと思ったら、そのときは、この体が未来の人の役に立つならと・・・・・・いろいろ試行錯誤、逃げてく血管にむりやり色んな抗がん剤をいれるのかもしれないね。

そうなってみなきゃわからない。

でも、人は、少なくとも自由を与えられたこの今の国では、本当に嫌なことはしないんじゃないかな。

本当に嫌なことでもせざる追えなかった時代に生きた人たちがいたこと、それに比べたら、私の病気なんて、なんてありがたきこと。

せっかくもらったハンドルの遊び。おおいに遊ばせなきゃ。

つらつらと、まとまりのない今日の終わり。

明日は、夫と同じ病で16年寝たきりで逝った、義父の命日。夫は、父親のような人たちのおかげで、今自分が生きていける薬ができたという。

私が未来に残せるもの。それがこの体だと思えたとき、私はきっと安らかにぼろぼろの身体に色んな薬を受け入れ続けていくのだろ。

ああ、イメージで描くきれいごとなんて意味ないね。

遊び、遊び、ゆれにゆれて、それが人なんだよね。傲慢で美しい。そんな人生を歩きたいと、明日墓前で話してみよう。

答えは降ってこないよね。うなずいてくれるだけかな~

 

どんな選択でも、考え抜いたその私を見守ってくれるだけでしょう。

私もそんな情を忘れないで、自らももちつづけたい。

長い、お参りになりそうだ。年に1度の長話だね~


京都の夜~再会

2014年06月28日 02時25分20秒 | 乳がん

 

2年半ぶりの再会。

富山の彼女の暮らす家でお茶したり、冬の海岸を歩いたり、あの日、車から出るたびに、私達が観た虹は今日の日を教えてくれていたのかな。あの光がとても遠くなつかしい。

今日、nonnnoさんがお子たちと京都にくるというので、再会した。

彼女の元気な様子はつい先日、リレーマラソンの映像を送ってもらって解ってはいたけど、やはり実物の元気な姿は感動だった。

あの富山の最後に、「またね」って言葉がどれほど贅沢か、転移して初めてしりました。りこちゃんに、さよならではなく、「またね」をおくります。帰りのサンダーバードで読んだメールは印象的だった。

ほんとに、「またね」が叶ったね。

しかも、あの頃のウィッグは今はなくなりさらさらのショートカット、肌もよりいきいきとして。

 

友が素敵過ぎて・・・・

という記事の最後で元気に走り輝く姿に、今の乳がんをとりまく医療の進化を感じたと書いた。

が、これは、少し否定しておきたい。

実際その友nonnnoさんに再会して話してわかったことは、医療の進化が彼女を元気にさせているわけではなくって、彼女の自分に合った治療の選択の正しさが、今の元気を支えているのだとつくづく思った。

確かに医療も進化しているのかもしれない。

だけど、自分の本来の身体、体力、どう生きていきたいか、そんなことを真剣に向き合って、考え抜いて、聞きたいことを聞いて、自分の身体に無理をさせないで上手にコントロールしていくこと、

それだけ、自分に責任もたなきゃできないことだけど、ある意味とてもしんどいことだけど、

あの頃、考え抜いて、実際に行動もして(2軒のセカンドをとっている)今があるのだな、と思った。

彼女にはいろんな視点がある。医療をとりまく製薬会社、政治、経済、保険制度、エビデンスという言葉の使われ方のからくり・・・・・

もちろん素人だから、解らなくって当然だけど、でも、少しでも納得したいと思って、癌だけでなく、それをとりまく世の中(世界レベルの話)、も見ようとする姿勢には敬服する。

 

またね。

贅沢で大切な言葉。

何度でもいいたいね。

またね。

 

私からの情報としては・・・・

明日、伊勢に行ったら、nonnnoさんという名前はもういるからHN変えて下さい~といったのりのりさんからの情報!是非「赤福氷」を食べて~~

良い旅をつづけてね~

 

あ、あの頃、8日目の蝉と言ってたね。今は、どんな思いで8日目の蝉を考えるのだろう。また話したいね。

ほんと、またね。

 

 追記

偶然にも、nonnnoさんのお土産買に行ったお店で見つけた七夕飾り。

何度目のお誕生日なんだろ?

少しはやいけど、おめでとう。

お土産試食しながらお茶したよん。これ、うまい~


友が素敵すぎて・・・・

2014年06月10日 02時44分10秒 | 乳がん

 

このブログを始めたころNさんという同病の友ができた。

彼女の地元にも会いにいった。

彼女は初めて、ここで転移したことを深夜にぽつりと、でも気丈に書き込んだ。

私は、深夜に家族が寝静まったあと、PCに向かい、ここのコメント欄にどんな思いで、転移という文字をうちこんだんだろうと、泣けて仕方なかった。弱い私に彼女は強かった。

でも、その強さも、張りつめた糸のような危うさと鋭い牙と隣り合わせのような、私を切なくさせる声にならない不のものがあったとおもう。きっと、Nさん本人も、そんな自分と手さぐりで付き合いながら、時に疲れて、ふっと涙もしたのでしょう。このPCの前で初めて泣いたと素直に書いてくれた。

あの頃のNさんと歩いた、冬の海岸で、はしゃぐ彼女の幼い娘さんが天使のように見えた。

約3年の時がたち、天使の娘さんは強く、大きく、母からたすきをうけとって、あの町をはしりぬけていった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Nさんからの嬉しいお知らせ。

地元の市民参加のマラソンりレーに、彼女の治療・闘いを応援するチームで参加し、走ったという。

昨年は治療で弱った体で走れなかった、その前の年もむりだった。なのに、今年、治療でへとへとの身体のはずなのに、しっかり、「母の元気」のために走る家族でたすきをつないだという。医師から許可されたのだ。

映像が送られてきた。

もう、命ってすごいとおもう。

ゆっくりだけど、前に前にすすむ母Nさん、娘さんも大きくなって、しっかりとした足どりで昨年よりもパワフルに走っていく。その姿も私にはあの海岸でみたのと同じ天使にみえた。

 

命が輝いているなって、感じた。こんなに素敵で強い人を友と呼べてシアワセ。

頑張ったね。

まだまだ。もっとたくさんの輝きの中をゆっくりでいいから進んでいってと願わずにいられない。

というか、私がNさん見習って輝いていかなきゃね。

まだまだ生きろといわれた私の命。このごろ曇ってないか?

友のまぶしさに興奮してる今夜。

素敵な時間は、自分で手にしないと。ね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

精神力もそうだけど、今の乳がん転移をとりまく

医療もきっと、ゆっくりだけど、確実に進んでいってるのだとおもう。

Nさんの走る姿がそう知らせてくれた。


忘れてた(・.・;)

2014年04月21日 17時13分06秒 | 乳がん

 

今日は乳腺の定期診察日。いつの頃からか・・・・3年過ぎてからかなぁ~

半年に1度。それも定かでないが・・・・前回は術後4年検査で11月にしてるから、多分半年ごとなのだと思う。

今日はその日だった。

乳腺と放射線の両輪で私の主治医となってくれてる病院なんだけど、

その予約、すっかり忘れてた~~~

ま、いっか。

そんな気分。

癌を歯医者以下にあつかってる自分がうれしいよ。

一応、近いうちに予約取り直そう。そのつもり・・・