青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳

2021-08-05 09:20:38 | 日記
柳田国男著『禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳』

この度、私が読んだのは、2021年3月に出版された文庫版だ。
柳田は、「多くの言葉が、永遠に忘れ去られる日は近い。なんだかもう既に無くなってしまったものが、大分にあるのではないかという気もする。急いで之を存続する事業に、参加する人々を今少しく多くして見たい」という強い危機感を動機に、昭和13年(1938年)4月にこの書を出版した。

“我邦では現在イミという一語が、かなり差別の著しい二つ以上の用途に働いている。極度に正常なるものは祭の屋の忌火であるが、別に或る種の忌屋の火はこれに交わることを穢として避けられる。忌を厳守する者の法則にも、外から憚って近づかぬものと、内に在って警戒して、すべての忌で無いものを排除せんとする場合とがある。かように両端に立ち分かれているものだったら、最初一つの語によってこれを処理しようとするわけが無い。以前は今よりも感覚が相近く、かつその間にもっと筋道の立った聯楽があったのではあるまいか。”

柳田は日本各地から集積した忌にまつわる事実を本書の中で、「一、忌の状態」、「二、忌を守る」、「三、忌の終り」、「四、忌の害」、「五、土地の忌」、「六、物の忌」、「七、忌まるる行為」、「八、忌まるる日時」、「九、忌まるる方角」、「十、忌詞」の十項目にわけて、整理、排列した。
これにより、それまでは全くかけ離れた二種の現象のように見えていた習俗が、いくらかは関連付けられるようになった。
とはいえ、柳田自身が「序」で述べているように、「これから尋ねてみようとしても、資材は滅び失せたものが多かろう」というのも事実だ。
本書が國學院大學方言研究会から出版された1938年の時点でそうなのだから、現在なら猶更。民俗語の解説に記載されている習俗など、老人の昔話にさえ出てこないものが大半だ。
使用されている道具も、博物館や民俗資料館などで見たことがある物もある、というくらい日本人の日常生活から遠くなってしまっている。

農業、漁業、狩猟などを生業にしている人たちの間では、まだ生きている言葉はあるかもしれない。
だが、私の実体験だと、実父が「夜爪を切ると親の死に目に会えない」とクドクド言っていたことが印象に残っているくらいで、当時、その理由を父に聞いても答えてもらえなかった。知らなかったのだと思う。
本書の記述も、「夜爪 ヨヅメ 夜爪を斬ると親の死に目に会わぬというのが普通で、かなり大きな制裁を附しているのだが、やはり今ではその理由が失念せられている」なので、もう既に言葉としての生命は終えている気がする。
爪に関する禁忌は色々あるらしくて、「爪や髪を火にくべてはいけない」は、聞いた記憶がある。しかし、くべようにも火鉢も囲炉裏も日常から消え失せてしまっているので、こちらも既に死んだ言葉だろう。

道具や器具が失われると、それを使う習俗が廃れ、言葉も死ぬ、という流れだろうか。
いや、習俗が廃れたから、道具が使われなくなり、言葉も消えた、だろうか。順序は何であれ、これらには密接な関連性があるはずだ。
「爪や髪を火にくべてはいけない」については、解題で火葬を連想させるからではないかと指摘されている。なるほど、そうかもしれない。
本書に載せられた「忌」の多くは、死を連想させる行為への禁戒ということもあって、この指摘には説得力がある。

「忌」に、穢れと差別の根源があるという。
分かりやすいのは、「一、忌の状態」に多い、出産の「忌」だ。
数えてみたら、「一、忌の状態」の21語中、12語が産の穢れに関する「忌」だった。間接的に関係する語も含めたらもっとあるかもしれない。
「火が悪い ヒガワルイ」、「火の内 ヒノウチ」、「火のかかり ヒノカカリ」、「お火延べ オヒノベ」、「産火 サンビ」など、火と産を結び付けているのも興味深い。
多くの場合、「忌」は妊婦本人だけでなく、家族にまで掛かり、禁戒を破ると制裁が附く。
妊婦が出産を挟んだ一ヶ月前後、家族と離れて一人籠る小屋を「産屋」という。
この習俗はおそらく日本の全地域の及んでいて、中には昭和40年代まで残っていた地域もある。
また、月経中の女性が籠る小屋のことは、「アサゴヤ」という。

なぜ出産が穢れとされたのかを考えると、出産が死と直結する行為だからだろう。
出産で命を落とす母子が今よりはるかに多かった時代には、出産は祝事であると同時に凶事でもあった。
そして、出産や月経が連想させる死への畏れが、出産や月経という状態に対してのみに留まらず、女性という存在そのものにかかっていったのではないか。
出産の「忌」は、この何十年かで急速に廃れていったように見受けられる。
かなり急な変化なので、日本人の死への恐れが薄れたというよりは、核家族化の進んだ現在、一家の主婦が一ヶ月も家を空けるのは難しいということもあって、これらの習俗が意識的に排除されていったと考えるのが自然だろう。

出産の「忌」以外で興味深かったのは、「五、土地の忌」に出てくる「縄目の筋 ナワメノスジ」、「ナメラ筋 ナメラスジ」などの魔の通った土地を表す語だ。
これらは、ホラー映画や漫画の題材にされているのを見たことがある。
エンターテインメントに使われるくらいには、大衆心理に訴えかける力が残っているということだろうか。

「六、物の忌」に、触れてはいけない、拾ってはいけない石が16種も出てくるのも面白い。
忌の対象になっているのは、子供が喜んで拾いそうな珍しい石ばかりだ。
特に、石の周囲に白や黒の筋が一周している「鉢巻石 ハチマキイシ」なんかは、ダメと言われても、見つけたら絶対にこっそり拾うだろうなぁと思ったり。

物の忌は、忌まれた理由も結果の害もよくわからないものが大半だが、「七、忌まるる行為」の忌は、「買切裁ち カイキリダチ」、「素縫い スヌイ」、「一本箸 イッポンバシ」など、葬儀を聯想せしめるものが多い。
また、「十、忌詞」に出てくるマタギが使う山言葉、漁師の使う沖言葉には、技術の秘密や伝達、職業を重視せしめる手段など、それ相応の根拠があるように思われる。

先に述べたように、本書に紹介されている禁忌は、既に関連する道具や器物が廃れているものが多いので、不可解でイメージしづらいかもしれない。
しかし、その根底には日本人の精神生活の歴史が潜んでいる。
急速に失われていくそれらが、確かに存在していたことを証明する手段の一つとして、本書のような用語辞典の意義があるのだろう。
コメント