青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

騎手マテオの最後の騎乗

2018-07-12 07:01:01 | 日記
フリードリヒ・トールベルク著『騎手マテオの最後の騎乗』

本作の執筆された正確な年は不明だが、ユダヤ人作家トールベルクが1941年にアメリカに亡命して以後の数年間の作と思われる。

“騎手ジュゼッペ・マテオは、もう一度だけ大レースに出て走りたいと願ったのだった。もう一度だけでいいから大レースに出て優勝したい、そのあとはどうなってもかまわない、競馬からであれ人生からであれ、自分はそれ以上何も願わなくなるだろう――そう彼は思ったのだった”

マテオは全盛期にはヨーロッパ中に名を馳せた名騎手だった。
しかし、それも過去の話だ。マテオの騎手生命は本当のところ、一昨年には終わっていたのだ。それでも厩舎のオーナーであるオッテンフェルト伯爵は、お情けで彼を引き留めておいてくれていた。しかし、遂にマテオは引退を通告されてしまう。

わざわざ一騎手への解雇通告の為に早朝から事務所に出向いた伯爵の態度は、親切以外の何物でもなかった。
伯爵はもう長らく呼んでいなかった「ペピー」という愛称でマテオを呼んだ。その優しさがマテオには堪えた。飽きが来て別れようと思う愛人みたいに扱って欲しくなかったのだ。
「ペピー」という愛称は、勝利の時期を思い出させるのだ。マテオが「疾風のようなイタリア人」と呼ばれた全盛期、伯爵からはいつも「ペピー」と呼ばれていた。解雇の日に最も幸福な時代の愛称で呼ばれるのは辛かった。

もう二度と騎手としては立たないだろうことは明々白々だった。
マテオは引退の時期を見誤ったのだ。最後の勝利の後だったら立派な花道が用意されていただろうに、その後の不調を一過性のものと思いこみ、新聞から「役立たず」とこき下ろされても現役にしがみ付いていたのだ。

どんな草競馬の騎手であれ、その男ともう騎手ではない自分との隔たりは大きい。
殿堂入りも叶わなくなったマテオは、関係者からの敬意の欠片を求めて、ぐずぐずと厩舎や競馬場の辺りをうろつきまわった。彼らが「ぽんこつになった元騎手」の話など聞いていないことに気づくと、今度は競馬ファンや予想屋が集う喫茶店に通うようになった。自分がかつての名騎手であることが知れて、周りから競馬の予想や見解を求められるとご満悦だった。
しかし、そんなちっぽけな承認ではマテオの情熱を満たすことは出来なかった。
もう一度だけ大レースに出たい。ベラドンナ、あの馬に跨れば…。マテオは伯爵にベラドンナの貸し出しを頼み込んだ。

伯爵はマテオが気が狂ったのかと思った。
しかし、何だかんだでマテオに甘い伯爵は押しに負けて、ベラドンナに乗る予定の厩舎一の騎手ループニクを説得してみることにした。内心ではループニクにごねられれば、それを理由にマテオとの約束を反故に出来ると思ったのだ。しかし、何を思ったのかループニクはあっさり引き下がってしまう。

実のところ、伯爵の厩舎は彼を破産に追い込みかねないほど傾いていた。
次の大レースでベラドンナが負ければ一身上潰してしまう。困った伯爵は年齢と身体の衰えを挙げて何とかマテオを翻意させようと試みるが、マテオは優勝しますと言い切って引かなかった。
今のループニクではライバルのコヴァスクには勝てそうにない。しかし、全盛期にはコヴァスクより遥かに上だったマテオなら奇跡が起こせるかもしれない…。伯爵はマテオの情熱に賭けることにした。


マテオが「レースに必ず勝ちます」と「レースには勝たねばなりません」との間で揺れているのがリアルだった。
41歳という老齢、二年のブランク。伯爵よりも新聞記者よりも、誰よりもマテオ自身が己の試みの無謀さを知っているのだ。ループニクやコヴァスクは自身が騎手であることから、天才騎手マテオの復帰に期待しているように読めた。
特にコヴァスクはこれまで10回マテオと闘った経験から、一般競馬ファンや新聞記者の冷評に反してマテオを本気でライバル視しているようだった。いつもどんなに早くてもレースの前日にならないと姿を見せないコヴァスクが十日も早く下検分に来たことで、マテオに対する周囲の評価も変わっていく。
私は競馬を観に行ったことがないのだが、マテオの生涯最後のレースの描写には圧倒された。観客たちが固唾を飲んだのがよく分かった。
マテオとコヴァスクの壮絶な競り合い。元ヨーロッパ一の名騎手と当代一の名騎手が命を削って闘う。二人だけの世界に誰も入り込めない。
狂気ともいえる執念でマテオは優勝をもぎ取った。伯爵との約束を果たし、彼を儲けさせることが出来た。しかし、その代償は己の命だった。
レースに勝つことが出来たら、マテオは旅に出るつもりだった。
旅の途中から伯爵に真っ青な空を写した絵葉書を送りたかった。「ありがとうございました、伯爵様」と。それだけは叶わなかったけど、意識が霞んでいくほんの数瞬間、伯爵の声を聴き分けることが出来た。「ペピー、ペピー!」と呼ぶ声を。勝利の栄光に包まれ、全盛期の愛称で呼ばれながら、マテオは幸福な死を迎えたのだった。
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平塚七夕祭り2018

2018-07-09 07:01:06 | 日記

日曜日に平塚七夕祭りに行ってきました。
平塚七夕に行く時はこれまで鉄道移動でしたが、帰りがしんどいので今年は車で行きました。10時ごろに着いたのですが平塚駅付近の駐車場はまだ空いていましたよ。


娘の髪はカールさせてみました。


狐のお面を購入。










買い食いも楽しみました。
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銀座幽霊

2018-07-05 07:00:22 | 日記
大阪圭吉著『銀座幽霊』

収録作は、「三狂人」「銀座幽霊」「寒の夜晴れ」「燈台鬼」「動かぬ鯨群」「花束の虫」「闖入者」「白妖」「大百貨注文者」「人間燈台」「幽霊妻」の11編。

大坂圭吉は、1912年に生まれ、32年に甲賀三郎の推薦により「デパートの絞刑吏」を〈新青年〉に発表し、探偵文壇にデビューした。43年応召、45年7月2日にルソン島にて戦病死したとされている。僅か33歳の生涯だった。
当時の探偵小説界を代表する雑誌〈新青年〉でデビューを果たし、24歳の若さにして最初の著書『死の快走船』を刊行。発表した作品は必ずしも好評ばかりではなかったが、探偵小説家として前途洋々だったと言えるだろう。大阪圭吉の活動期間は、日本探偵小説第二の隆盛期と重なっていて、その点でも恵まれていた。
古典的な正統派である作風は、江戸川乱歩の評論「日本の探偵小説」で次のように評価されたと本作の解説にある。

“理知探偵小説と云ふものを、その本当の意味で掴んでゐる点では、先輩作家の間にも多く類例がないほどだと思ふ”

“たゞその作風がドイル以来の正統派であつて異彩に乏しいこと、これまで発表された全部の作品が悉く短編であつて、謎の提出からその解決までの距離が短く、あれかこれかと読者の理知を働かせ、読者を楽しませる余裕を欠いてゐることなどの為に、その着想と論理との優れてゐる割合には、大きく人をうつ所がないのではあるまいか。”

私は推理小説の解説は最後に読むようにしている(たまにツラッとネタバレを書く解説者がいるからだ)ので乱歩の論評に影響されたわけでは無いのだが、読後の感想は概ねこれと同じだった。多分、誰が読んでも一緒だろう。

論理を重んずるあまり怪奇趣味や意外性が薄くなっている点、人物描写が平板な点が大阪圭吉の欠点だろうか。少ない頁数の中でオチまで語りきるために、全体として駆け足な印象になっているのもマイナスなのかもしれない。
ただ、私自身がそれほど熱心に探偵小説・推理小説を愛好してきた者でないせいか、それらの欠点を加味しても、大阪圭吉という作家のフェアプレー精神に則った創作活動には好ましさを強く感じるのだ。
猟奇趣味者の割に、私があまり探偵小説・推理小説を読まないのは、これまでに嫌な意味で騙された気分になった作品がいくつかあったからだ。大阪圭吉の作品にはその嫌な騙し討ちがない。雰囲気で誤魔化しもしない。だからバッド・エンドな作品でさえ読後感がすごく良い。
僅か50枚前後という窮屈な枚数の中で、探偵作家らしく誰が読んでも納得できる論理と謎を構築しているところに、大阪圭吉の才能と人柄を感じる。一度は忘れられかけた彼の作品が、今日、貴重な本格推理小説として評価されているのは、まさしくこの職人気質ともいえる誠実な創作姿勢によるものだ。

収録作の中では、「三狂人」「動かぬ鯨群」「大百貨注文者」が特に好印象だった。
探偵小説なので、うっかりネタばらししないようにさらっと触れておく。

「三狂人」は、うらぶれた私立脳病院で起こったグロテスクな殺人事件と失踪事件。
「脳味噌を詰め替えなくっちゃア」が口癖だった脳病院の院長が頭をかち割られ脳味噌を取り出されるというブラックな笑いと、「トントン」「歌姫」「怪我人」と呼ばれる三人の入院患者の奇行が気持ち悪くて愉しい。
三人の狂人のあだ名はそれぞれの癖や外見からつけられているのだが、これが事件の説くための重要な鍵となる。

「動かぬ鯨群」は、沈没した捕鯨船に乗っていたはずの砲手が妻の前に姿を現したことから明るみになる捕鯨会社の暗部。探偵小説に加えて社会派小説の渋みもある。

「大百貨注文者」は、誰も頼んだ覚えがないのにゴム会社の社長宅にやってきた火薬店の番頭や弁護士、マネキン・ガールなど七人の奇客の話。彼らが、なぜ、誰に呼ばれたのかが、この後発覚する殺人事件の重要ポイントとなる。収録作の中では最もユーモア色が強い。

日中戦争以降、急速に戦時体制を強めた日本において、殺人事件を扱う探偵小説の執筆は困難になった。そんな時世に合わせて大阪はユーモア探偵小説路線に切り替えていくのだが、本作の収録作にもチラホラみられるお笑い要素から、大阪にはユーモア探偵小説の適性があったと思われる。
しかし、戦争の深刻化はユーモア探偵小説の執筆すら困難にした。
1943年、ついに大阪は招集される。満州からフィリピンへと転戦し、終戦の年にルソン島にて戦病死。戦地に赴く前に本格長編推理小説を書き上げ、甲賀三郎に託したと伝えられているが、甲賀の急逝により原稿は行方不明となっている。もし発見されれば、大坂の唯一の長編小説となるのだが、どのようなものであったか。

大阪圭吉は、戦争によって摘まれてしまった多くの才人のなかの一人だ。
若し、彼にもっと多くの時間があったなら、どんな作品を発表しただろうか。本来のフィールドである本格探偵小説で大作を書き上げたかもしれないし、笑いのセンスを生かしたユーモア探偵小説を書いたかもしれない。
何れのジャンルにしても、江戸川乱歩が『死の快速船』の「序」で述べた“その興味と情熱の純粋性に於いては、探偵文壇に比類なし”の大阪の作品は、長く愛されるものになったと思うのだ。
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梅雨明けの藤沢えびねやまゆり園

2018-07-02 07:01:17 | 日記

梅雨明け早々快晴だったので、藤沢えびねやまゆり園に行ってきました。
娘が手に持っているのは、受付でプレゼントしてもらったミニ孫の手です。


入園料は大人300円、子供200円です。この日はサービスで子供料金を無料にしてもらえました。虫よけスプレーと携帯蚊取り線香も貸してもらえましたよ。




憧れだったレンゲショウマを見ることが出来て嬉しかったです。
津島佑子の『火の河のほとりで』で知って以来、ずっと山中に咲いている状態のものを見てみたかったのです。思ったより小さくて可憐な花でした。




















今の時期は葉っぱ状態の植物が多いので、花を楽しみたい方は中旬になってから行くのが良いと思います。勿論葉っぱ状態の山野草も綺麗でしたよ。
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