フリードリヒ・トールベルク著『騎手マテオの最後の騎乗』
本作の執筆された正確な年は不明だが、ユダヤ人作家トールベルクが1941年にアメリカに亡命して以後の数年間の作と思われる。
“騎手ジュゼッペ・マテオは、もう一度だけ大レースに出て走りたいと願ったのだった。もう一度だけでいいから大レースに出て優勝したい、そのあとはどうなってもかまわない、競馬からであれ人生からであれ、自分はそれ以上何も願わなくなるだろう――そう彼は思ったのだった”
マテオは全盛期にはヨーロッパ中に名を馳せた名騎手だった。
しかし、それも過去の話だ。マテオの騎手生命は本当のところ、一昨年には終わっていたのだ。それでも厩舎のオーナーであるオッテンフェルト伯爵は、お情けで彼を引き留めておいてくれていた。しかし、遂にマテオは引退を通告されてしまう。
わざわざ一騎手への解雇通告の為に早朝から事務所に出向いた伯爵の態度は、親切以外の何物でもなかった。
伯爵はもう長らく呼んでいなかった「ペピー」という愛称でマテオを呼んだ。その優しさがマテオには堪えた。飽きが来て別れようと思う愛人みたいに扱って欲しくなかったのだ。
「ペピー」という愛称は、勝利の時期を思い出させるのだ。マテオが「疾風のようなイタリア人」と呼ばれた全盛期、伯爵からはいつも「ペピー」と呼ばれていた。解雇の日に最も幸福な時代の愛称で呼ばれるのは辛かった。
もう二度と騎手としては立たないだろうことは明々白々だった。
マテオは引退の時期を見誤ったのだ。最後の勝利の後だったら立派な花道が用意されていただろうに、その後の不調を一過性のものと思いこみ、新聞から「役立たず」とこき下ろされても現役にしがみ付いていたのだ。
どんな草競馬の騎手であれ、その男ともう騎手ではない自分との隔たりは大きい。
殿堂入りも叶わなくなったマテオは、関係者からの敬意の欠片を求めて、ぐずぐずと厩舎や競馬場の辺りをうろつきまわった。彼らが「ぽんこつになった元騎手」の話など聞いていないことに気づくと、今度は競馬ファンや予想屋が集う喫茶店に通うようになった。自分がかつての名騎手であることが知れて、周りから競馬の予想や見解を求められるとご満悦だった。
しかし、そんなちっぽけな承認ではマテオの情熱を満たすことは出来なかった。
もう一度だけ大レースに出たい。ベラドンナ、あの馬に跨れば…。マテオは伯爵にベラドンナの貸し出しを頼み込んだ。
伯爵はマテオが気が狂ったのかと思った。
しかし、何だかんだでマテオに甘い伯爵は押しに負けて、ベラドンナに乗る予定の厩舎一の騎手ループニクを説得してみることにした。内心ではループニクにごねられれば、それを理由にマテオとの約束を反故に出来ると思ったのだ。しかし、何を思ったのかループニクはあっさり引き下がってしまう。
実のところ、伯爵の厩舎は彼を破産に追い込みかねないほど傾いていた。
次の大レースでベラドンナが負ければ一身上潰してしまう。困った伯爵は年齢と身体の衰えを挙げて何とかマテオを翻意させようと試みるが、マテオは優勝しますと言い切って引かなかった。
今のループニクではライバルのコヴァスクには勝てそうにない。しかし、全盛期にはコヴァスクより遥かに上だったマテオなら奇跡が起こせるかもしれない…。伯爵はマテオの情熱に賭けることにした。
マテオが「レースに必ず勝ちます」と「レースには勝たねばなりません」との間で揺れているのがリアルだった。
41歳という老齢、二年のブランク。伯爵よりも新聞記者よりも、誰よりもマテオ自身が己の試みの無謀さを知っているのだ。ループニクやコヴァスクは自身が騎手であることから、天才騎手マテオの復帰に期待しているように読めた。
特にコヴァスクはこれまで10回マテオと闘った経験から、一般競馬ファンや新聞記者の冷評に反してマテオを本気でライバル視しているようだった。いつもどんなに早くてもレースの前日にならないと姿を見せないコヴァスクが十日も早く下検分に来たことで、マテオに対する周囲の評価も変わっていく。
私は競馬を観に行ったことがないのだが、マテオの生涯最後のレースの描写には圧倒された。観客たちが固唾を飲んだのがよく分かった。
マテオとコヴァスクの壮絶な競り合い。元ヨーロッパ一の名騎手と当代一の名騎手が命を削って闘う。二人だけの世界に誰も入り込めない。
狂気ともいえる執念でマテオは優勝をもぎ取った。伯爵との約束を果たし、彼を儲けさせることが出来た。しかし、その代償は己の命だった。
レースに勝つことが出来たら、マテオは旅に出るつもりだった。
旅の途中から伯爵に真っ青な空を写した絵葉書を送りたかった。「ありがとうございました、伯爵様」と。それだけは叶わなかったけど、意識が霞んでいくほんの数瞬間、伯爵の声を聴き分けることが出来た。「ペピー、ペピー!」と呼ぶ声を。勝利の栄光に包まれ、全盛期の愛称で呼ばれながら、マテオは幸福な死を迎えたのだった。
本作の執筆された正確な年は不明だが、ユダヤ人作家トールベルクが1941年にアメリカに亡命して以後の数年間の作と思われる。
“騎手ジュゼッペ・マテオは、もう一度だけ大レースに出て走りたいと願ったのだった。もう一度だけでいいから大レースに出て優勝したい、そのあとはどうなってもかまわない、競馬からであれ人生からであれ、自分はそれ以上何も願わなくなるだろう――そう彼は思ったのだった”
マテオは全盛期にはヨーロッパ中に名を馳せた名騎手だった。
しかし、それも過去の話だ。マテオの騎手生命は本当のところ、一昨年には終わっていたのだ。それでも厩舎のオーナーであるオッテンフェルト伯爵は、お情けで彼を引き留めておいてくれていた。しかし、遂にマテオは引退を通告されてしまう。
わざわざ一騎手への解雇通告の為に早朝から事務所に出向いた伯爵の態度は、親切以外の何物でもなかった。
伯爵はもう長らく呼んでいなかった「ペピー」という愛称でマテオを呼んだ。その優しさがマテオには堪えた。飽きが来て別れようと思う愛人みたいに扱って欲しくなかったのだ。
「ペピー」という愛称は、勝利の時期を思い出させるのだ。マテオが「疾風のようなイタリア人」と呼ばれた全盛期、伯爵からはいつも「ペピー」と呼ばれていた。解雇の日に最も幸福な時代の愛称で呼ばれるのは辛かった。
もう二度と騎手としては立たないだろうことは明々白々だった。
マテオは引退の時期を見誤ったのだ。最後の勝利の後だったら立派な花道が用意されていただろうに、その後の不調を一過性のものと思いこみ、新聞から「役立たず」とこき下ろされても現役にしがみ付いていたのだ。
どんな草競馬の騎手であれ、その男ともう騎手ではない自分との隔たりは大きい。
殿堂入りも叶わなくなったマテオは、関係者からの敬意の欠片を求めて、ぐずぐずと厩舎や競馬場の辺りをうろつきまわった。彼らが「ぽんこつになった元騎手」の話など聞いていないことに気づくと、今度は競馬ファンや予想屋が集う喫茶店に通うようになった。自分がかつての名騎手であることが知れて、周りから競馬の予想や見解を求められるとご満悦だった。
しかし、そんなちっぽけな承認ではマテオの情熱を満たすことは出来なかった。
もう一度だけ大レースに出たい。ベラドンナ、あの馬に跨れば…。マテオは伯爵にベラドンナの貸し出しを頼み込んだ。
伯爵はマテオが気が狂ったのかと思った。
しかし、何だかんだでマテオに甘い伯爵は押しに負けて、ベラドンナに乗る予定の厩舎一の騎手ループニクを説得してみることにした。内心ではループニクにごねられれば、それを理由にマテオとの約束を反故に出来ると思ったのだ。しかし、何を思ったのかループニクはあっさり引き下がってしまう。
実のところ、伯爵の厩舎は彼を破産に追い込みかねないほど傾いていた。
次の大レースでベラドンナが負ければ一身上潰してしまう。困った伯爵は年齢と身体の衰えを挙げて何とかマテオを翻意させようと試みるが、マテオは優勝しますと言い切って引かなかった。
今のループニクではライバルのコヴァスクには勝てそうにない。しかし、全盛期にはコヴァスクより遥かに上だったマテオなら奇跡が起こせるかもしれない…。伯爵はマテオの情熱に賭けることにした。
マテオが「レースに必ず勝ちます」と「レースには勝たねばなりません」との間で揺れているのがリアルだった。
41歳という老齢、二年のブランク。伯爵よりも新聞記者よりも、誰よりもマテオ自身が己の試みの無謀さを知っているのだ。ループニクやコヴァスクは自身が騎手であることから、天才騎手マテオの復帰に期待しているように読めた。
特にコヴァスクはこれまで10回マテオと闘った経験から、一般競馬ファンや新聞記者の冷評に反してマテオを本気でライバル視しているようだった。いつもどんなに早くてもレースの前日にならないと姿を見せないコヴァスクが十日も早く下検分に来たことで、マテオに対する周囲の評価も変わっていく。
私は競馬を観に行ったことがないのだが、マテオの生涯最後のレースの描写には圧倒された。観客たちが固唾を飲んだのがよく分かった。
マテオとコヴァスクの壮絶な競り合い。元ヨーロッパ一の名騎手と当代一の名騎手が命を削って闘う。二人だけの世界に誰も入り込めない。
狂気ともいえる執念でマテオは優勝をもぎ取った。伯爵との約束を果たし、彼を儲けさせることが出来た。しかし、その代償は己の命だった。
レースに勝つことが出来たら、マテオは旅に出るつもりだった。
旅の途中から伯爵に真っ青な空を写した絵葉書を送りたかった。「ありがとうございました、伯爵様」と。それだけは叶わなかったけど、意識が霞んでいくほんの数瞬間、伯爵の声を聴き分けることが出来た。「ペピー、ペピー!」と呼ぶ声を。勝利の栄光に包まれ、全盛期の愛称で呼ばれながら、マテオは幸福な死を迎えたのだった。