舞台は20世紀半ば過ぎのアイルランドの田舎町ラスモイ。
修道院付属の孤児院で育った孤児のエリーは、修道院の斡旋で、事故で妻子を喪ったディラハンの農場で働き始め、数年後に彼の後妻となる。
恋愛を知らないまま、心優しい年上の夫と穏やかな日々を重ねるエリー。
だが、彼女はある夏、カメラマンの青年フロリアンと出会い、恋に落ちる。
こう説明すると、ひどく陳腐なラブストーリーと取られかねない。
実際、本筋だけ見れば単純な恋物語だ。『恋と夏』というタイトルからも、エリーの恋が儚いことが容易に想像できる。
だが、このありがちなテーマも、登場人物の日常生活の積み重ねや、人と人との関わり合いが生み出す心情の意外な化学反応を丁寧に描くことで、奥行きのある美しい物語に変貌する。
どうしようもない下衆は出てこないが、みんな少しずつ狡かったり弱かったりする。そんな彼らのダメな部分を突き放すことなく、さりとて擁護することもなく、適度な距離間で描くことで、不倫の恋から奇跡的なくらい臭みを除くことに成功しているのだ。
背景には、トレヴァー作品ならではの、アイルランドにおけるプロテスタント(アングロ・アイリッシュ)とカトリックの力関係も垣間見える。
アイルランド史に詳しくない私だが、作中でアングロ・アイリッシュに属するフロリアンやセントジョン一族と、カトリックに属するディラハンやコナルティー姉弟は明確に対をなして描かれているので、没落する特権階級と隆盛する労働者階級の逆転劇として大雑把には把握できる。
物語は、ミセス・コナルティーの葬儀から始まる。
酒類販売許可のある店や石炭貯蔵所、「広場四番」の名で知られる下宿屋のオーナーで、町の住人達から一目置かれるミセス・コナルティーの家庭は複雑だ。
ミセス・コナルティーの二人の子供で双子姉弟の姉の方、ミス・コナルティーは、若い頃に妻子持ちの男と不倫の恋に落ち、子どもを中絶していた。それ以来、ミセス・コナルティーは娘を軽蔑し続け、娘と仲の良かった夫は家を空けるようになった末、映画館で火事に巻き込まれて死んだ。
そういうミセス・コナルティーの葬儀で、エリーは葬儀の様子を撮影している青年の姿を見つけた。見知らぬ顔だ。何者なのだろう。
写真を撮っていた青年の名は、フロリアン・ギルテリーといった。
フロリアンの母親はイタリア人の貴族で、父親はアイルランドに起源をもつ軍人の家系の出だ。
フロリアンはこの夏、両親の遺したシェルハナ屋敷を売り払う為にラスモイに戻ってきていた。今いじっている古いライカのカメラは父の遺品だ。
両親は画家で、一人息子のフロリアンにも画業につくことを期待していた。フロリアンの少年時代、毎年夏になるとシェルハナに滞在していた従姉妹のイザベラは、彼の手帳を見て作家になることを勧めた。
だが、フロリアンはそのどちらにもならなかった。才能の有無はわからない。ただ、フロリアンには何かを成し遂げる気概に欠けていることは事実だ。
「この子は自分がちょっと少ないの」生前の母は愛情をこめて我が子をそう評した。
フロリアンの覇気の無い生き方は、恋愛にも憂鬱な影を落としている。
フロリアンは少年時代からずっとイザベラを愛している。今でもだ。だが、彼らの間に親密な時が流れていた時期は遠い過去のことだ。
かつて、「あなたとなら、ほんとの自分でいられるわ」、「わたしたちはひとつのものが分かれた半分ともう半分なの」とまで言ってくれたイザベラは、フロリアンの両親の葬儀に来なかったし、手紙にも返信をくれなかった。
町の食料品店でエリーと再会したフロリアンは、自分から彼女に声をかける。
エリーの生い立ちを聞きたがり、彼女に同情を寄せ、彼女から恋情を寄せられているのを感じ取り嬉しく思う。二人は置手紙を使って密会するようになる。
逢引きの場所は、かつてこの地に住んでいたセントジョン一族のリスクィン屋敷の跡地だ。エリーは初めての恋に夢中になった。
フロリアンは、彼女の来し方を聞きたがった。
クルーンヒル孤児院での生活、孤児院を運営するテンプルロスの女子修道院で見聞きしたこと、ディラハンとの結婚について。そんな風に自分に興味を持ってもらえるのは初めての経験で、彼女は聞かれるままに色んなことを話した。
だが、エリーと会っている時にも、彼の心の片隅にはイザベラの面影があった。
フロリアンの姿を気に留めていたのは、エリーだけではなかった。
一人はミス・コナルティー。
弟のジョセフ・ポールから思い込みが激しいと言われる彼女は、母親の葬儀で見かけた不審な男のことを忘れなかった。
やがて男とエリーが二人で会っている姿を見かけるようになると、彼女はかつて自分を傷つけた不倫の恋を思い出し、エリーに自分を重ねた。そして、フロリアンを世間知らずのエリーを誑かすろくでなしと考え、エリーを守るためにフロリアンを排除しようと決意した。
もう一人は、オープン・レン老人。
オープン・レンは、現在と過去の両方に生きている。彼は遠い昔、セントジョン一族のリスクィン屋敷で、図書の目録係として働いていた。
アングロ・アイリッシュの富裕層だったセントジョン家は没落し、32年前にリスクィン屋敷は売りに出された。
オープン・レンが管理していた蔵書は家具とともに売られ、残った本も焚火に投げ込まれた。その後、建物は取り壊され、今は門の跡しか残っていない。
現在のオープン・レンは、貧者のための家賃無用の住居に住んでいる。それでも、オープン・レンは、セントジョン家の立派な屋敷について、今も存在しているかの口ぶりで話すのをやめなかった。
その日、オープン・レンは、見慣れない人物がラスモイの広場にいるのに気付いた。
その人はセントジョン家特有の背筋の通ったまっすぐな姿勢と自信にあふれた物腰を持っていた。きっとジョージ・フレディー様の孫息子だろう。一族がリスクィン屋敷去った後で生まれた人だ。洗礼名はジョージ・アンソニー。
オープン・レンは、ジョージ・アンソニーに声をかけた。最初のうち、相手は気づかなかったようだ。気づいた後もためらいを見せた。
その人物は、フロリアン・ギルデリーだった。この人違いが、エリーの初恋を思わぬ方へ運んでいく。
エリーの年上の夫、ディラハンは朴訥な農夫だ。
日に焼けた肌、赤みがかかった髪。顔つきや体の大きさからは肉体的な強靭さが感じられる。
働き者で気配りの利く彼は、住人達からも取引先からも信用が厚い。
親から受け継いだ農場を切り盛りしながら、故郷に根を張って生きていくディラハンの人生は、フロリアンの根無し草人生と正反対に位置している。
ディラハンは、エリーと前妻を比較しない。
彼女と再婚してからは、前妻と子供の写真はしまった。彼女の家事や野良仕事につねに感謝の言葉を口にし、彼女が退屈してないか気を配り、旅行を提案する。エリーが作るサラダを「夏のご馳走」と呼び、しょっちゅう出てきても手抜き料理と批難しない。
“あの人はわたしによくしてくれる。わたしが失敗してもうるさく言わない。まだ、ここのやり方が完全に身についていなくて、行き届かないところがあっても黙っていてくれる。”
ディラハンの人柄は、エリーが育った孤児院のように規律と良識で出来ている。だから、そばにいると安心するけど、瑞々しいときめきには欠ける。
エリーは時々、夫に向かって、フロリアンを愛していると告白したい衝動にかられる。だけど、それ以上にこの善良な夫を傷つけたくないと思う。
エリーとフロリアンの逢瀬の中で、ディラハンの妻子の事故について話が及んだ時、フロリアンはそんな悲劇の起きた家に若い女がいてはいけないと思った。
それを感じ取ったのかどうか、エリーはシンプルにこう言った。「恐ろしい場所というわけじゃないの。あることがそこで起こった、というだけ」
二人の恋は始まりの段階から終わりが見えているので、読者はこの点では緊迫しない。
読者の関心は、二人の恋物語の中で、ディラハン、ミス・コナルティー、オープン・レン等がどんな役割を演じるかに向くだろう。
フロリアンは、シェルハナに買い手がつけばアイルランドを去ると言う。
エリーはフロリアンについて行くつもりで、少しずつ家内の整理を始める。
夫が当面の間食事の支度に煩わされないように缶詰、チーズ、ベーコン等をため込む。荷物を入れるスーツケースを買う。
だけど、フロリアンは一人で去るつもりだ。
「あなたについていきたい。どこにでも」と言うエリーの言葉を聞きながら、彼はこんなことを考えていた。
“今、自分に押しつけられようとしていることに関わりたくなかった。自分ひとりでどこか遠くの新しい環境の中に入り、想像力の切れ端を集め、形のない、何もないところから、なんとかして秩序をつくりだす。そういう試みを何度でもやってみたい。自分がそう望んでいることは、今ではわかっていたが、それをどう言えばいいのか。イザベラから遠く離れたどこかのひっそりとした小さな町に部屋を借りて働き、会うこともない安全なところで、彼女を一生愛さないで済むように努力したい。非情で冷厳な真実を隠して耳に快い嘘をつくほうがずっと楽なのに、そのような告白をひと言でも口に出せるだろうか。もっとも「愛している」と言っていたら、一度でも言っていたら、こんな悩みではすまなかっただろう。”
そのくせ、エリーが訪ねて来れば、「もう少しだけいてほしい」と言ってしまう。フロリアンがエリーに求めたものは何だったのだろう。
夫から、オープン・レンが農場までやってきたと聞かされた時、エリーは肝が冷えた。
オープン・レンが告げたのは、ディラハンの妻がセントジョン一族の男と密会しているという話だった。
老人はフロリアンをジョージ・アンソニーだと思い込んでいるので、フロリアンの名は出てこない。老人が言うディラハンの妻とは、エリーのこととも前妻のことともとれる。
オープン・レンの頭の中で、昔セントジョン家の息子の一人エラドーが起こした人妻との駆け落ち騒ぎと、現在のエリーとフロリアンの不倫がごちゃ混ぜになり、そこにディラハンの妻子の事故死の記憶が重なって、恐ろしい物語が仕上がっていた。
老人の脳内で、セントジョン家の男たちは女癖が悪かったという事、ディラハンの不注意で前妻が事故死したという事、エリーとフロリアンが密会しているという事が、奇妙な化学反応を起こして、妻の不貞に気付いたディラハンが事故に見せかけて妻を殺したという結論に到達した。そして、それが町で噂になっていると、わざわざ告げに来たのだ。
ただでさえ、町に出ると人々の同情の視線が痛かったディラハンにとって、陰で自分が前妻殺しの疑惑を持たれていることや前妻が地主の息子と不倫していたらしいという話は、耐え難い衝撃だった。
事実からかけ離れた老人の妄言が、ディラハンの心を揺さぶり、彼を弱くした。
エリーが恋を終わらせることを明確に意識したのはこの時だろう。エリーの中でフロリアンへの愛より、夫を一人にしておけないという気持ちの方が重くなったのだ。
“それは自分をこの家に引き入れた男の経験した悲劇は、愛を拒絶されるより、はるかに過酷なものだという考えだった。それは混乱の中から生まれた明晰な考えだった。けれどもその考えは生まれるのが遅すぎた。そして、同じように冷たく厳しく心にしみた、もう一つの考えは、夫の苦しみを和らげようとして、自分がまだ話していない真実を話したら、かえって、これ以上ない程の苦痛をもたらしてしまうだろう、ということだった。何も悪いことをしていない人にそんな苦痛を与えてはならない、とエリーは思った。”
ディラハンは、エリーとよそ者の秘密の恋のことなど何も知らない。オープン・レンの妄想がそこから発していることも、勿論。
ディラハンは、エリーの存在に助けられていると言う。
わけもわからず恐怖に囚われることがあっても、エリーのおかげで怖さが和らぐのだ。ほら、動物にもそういうことがあるのを目にするだろう、と。
サマータイムが終わったら、車でテンプルロスにいこう、とディラハンは言った。
シェルハナの売買契約が結ばれ、フロリアンが町を去る日も決まったが、エリーが彼に会いに行くことは無かった。
フロリアンが出ていく日。その夜、眠れぬエリーが考えていたのは夫のことだった。
“自分の引きおこした事故で妻子を死なせてしまった男が、疑いをかけられることを心配するのは、当然考えられることだ。悩みの深い心が混乱に陥るのも当たり前のことだ。過ぎ去った一日の間に、エリーは何度も自分にそう言い聞かせた。そして、ミス・コナルティーに訊かれたら、しばらくの間親しくしていた男の人はアイルランドを去ったと言おうと心に決めた。彼と親しくしていたことを否定するまい。彼が何という名で、どこに住んでいたかも言おう。”
深夜、フロリアンが、自転車に乗って訪ねてきた。彼はこのまま出ていくのだ。二人は家から離れて歩き出した。
“「きみが愛してくれたことを、ぼくは一生忘れない」と彼は言った。「ぼくを嫌いにならないでくれ、エリー。どうか嫌わないでくれ」”
エリーは、その時裏口のドアが開いて、夫が彼女の名を呼ぶかもしれないと思った。
それは何よりも重大なことだった。それでもなお、行けるものならフロリアンと一緒に行きたかった。
エリーは、フロリアンが彼女を愛しているとは一度も言わなかったことに気づいただろうか。
フロリアンは、ミス・コナルティーが考えるほど悪辣な男ではなかったけど、姑息な男ではあった。
イザベラに愛されなかった彼は、エリーから愛されることを喜び、気を持たせるような言動を繰り返して、恋に慣れていない彼女の心に燃料を与え続けた。そして、一人で出て行くこの時になっても、嫌われたくない、忘れられたくないと言うのだ。
エリーの身の上話を聞いた時、フロリアンは親に捨てられた赤子を可哀想に思った。孤児院で育ち、農場の使用人になった少女を可哀想に思った。不幸な事故で妻子を亡くした年上の男の後添えになった若い娘を可哀想に思った。
実際にはエリーの境遇はフロリアンが思うような不憫なものではなかったのだけど、フロリアンはエリーに可哀想な女でいて欲しかったのだろう。
エリーを可哀想に思うことで、軽率に彼女の恋心を煽った後ろめたさが、同情という大義名分を得て幾分和らいだから。
一人一人の内面の描写だけでなく、それぞれが他者に及ぼす影響が違和感なく理解できるところに、物語づくりの上手さを感じる。
フロリアンの回想にしか登場せず、心情が全く描かれていないイザベラが、なぜ彼の前から去ったのかが、具体的な描写がないのに察せられてしまうあたりなど、特に。
エリーを救ったのは、オープン・レンの妄想とミス・コナルティーのお節介だったが、エリーの生来の優しさと、彼女がクルーンヒルで教わった良識もまた彼女を守ったのだろう。
クルーンヒルで語り継がれているある修道女の悲恋。
修道女ローズリンは、冬の間修道院に出入りしていた男の元に去った。一時の激情に身を任せた修道女は、悲惨な年月の末に水死体となって発見された。
エリーが無理にフロリアンについて行っても、結末は暗かったと思う。
ミセス・コナルティーの葬儀から始まったエリーとフロリアンの恋は、最初から最後まで空虚でどこにも行きつかないものだった。
そんな二人の恋物語に幾つもの喪失の物語が重ねられている。
不倫の恋に傷ついたミス・コナルティー。仕えていた主家を失ったオープン・レン。自らの不注意で起きた事故で妻子を喪ったディラハン。二度とイザベラに会うことは無いだろうフロリアン。愚かな恋に奔って物乞いにまで身を落とし、最期は水死体になって発見されたローズリン。没落して土地を去ったアングロ・アイリッシュの地主階級・・・・・・。
それぞれの人生の物語が、他の人生の物語を淡く透かしながら層を成している。一つ一つの物語はありふれていても、重ねられた層は清涼で美しい。
アイルランドの夏は蒸し暑い日本の夏とは異なり、湿度が低く爽やかなのだそうだ。
六月が来るたびに、ディラハンは妻子の事故を思い出し、七月になれば、フロリアンはシェルハナを訪れたイザベラを思い出す。そして、夏の終りには、エリーは川に沈めたトランクを思い出すだろう。
夏の推移と喪失の思い出が絡まり合い、人生を通して付きまとう。それはやがて懐かしい痛みになるのだ。
修道院付属の孤児院で育った孤児のエリーは、修道院の斡旋で、事故で妻子を喪ったディラハンの農場で働き始め、数年後に彼の後妻となる。
恋愛を知らないまま、心優しい年上の夫と穏やかな日々を重ねるエリー。
だが、彼女はある夏、カメラマンの青年フロリアンと出会い、恋に落ちる。
こう説明すると、ひどく陳腐なラブストーリーと取られかねない。
実際、本筋だけ見れば単純な恋物語だ。『恋と夏』というタイトルからも、エリーの恋が儚いことが容易に想像できる。
だが、このありがちなテーマも、登場人物の日常生活の積み重ねや、人と人との関わり合いが生み出す心情の意外な化学反応を丁寧に描くことで、奥行きのある美しい物語に変貌する。
どうしようもない下衆は出てこないが、みんな少しずつ狡かったり弱かったりする。そんな彼らのダメな部分を突き放すことなく、さりとて擁護することもなく、適度な距離間で描くことで、不倫の恋から奇跡的なくらい臭みを除くことに成功しているのだ。
背景には、トレヴァー作品ならではの、アイルランドにおけるプロテスタント(アングロ・アイリッシュ)とカトリックの力関係も垣間見える。
アイルランド史に詳しくない私だが、作中でアングロ・アイリッシュに属するフロリアンやセントジョン一族と、カトリックに属するディラハンやコナルティー姉弟は明確に対をなして描かれているので、没落する特権階級と隆盛する労働者階級の逆転劇として大雑把には把握できる。
物語は、ミセス・コナルティーの葬儀から始まる。
酒類販売許可のある店や石炭貯蔵所、「広場四番」の名で知られる下宿屋のオーナーで、町の住人達から一目置かれるミセス・コナルティーの家庭は複雑だ。
ミセス・コナルティーの二人の子供で双子姉弟の姉の方、ミス・コナルティーは、若い頃に妻子持ちの男と不倫の恋に落ち、子どもを中絶していた。それ以来、ミセス・コナルティーは娘を軽蔑し続け、娘と仲の良かった夫は家を空けるようになった末、映画館で火事に巻き込まれて死んだ。
そういうミセス・コナルティーの葬儀で、エリーは葬儀の様子を撮影している青年の姿を見つけた。見知らぬ顔だ。何者なのだろう。
写真を撮っていた青年の名は、フロリアン・ギルテリーといった。
フロリアンの母親はイタリア人の貴族で、父親はアイルランドに起源をもつ軍人の家系の出だ。
フロリアンはこの夏、両親の遺したシェルハナ屋敷を売り払う為にラスモイに戻ってきていた。今いじっている古いライカのカメラは父の遺品だ。
両親は画家で、一人息子のフロリアンにも画業につくことを期待していた。フロリアンの少年時代、毎年夏になるとシェルハナに滞在していた従姉妹のイザベラは、彼の手帳を見て作家になることを勧めた。
だが、フロリアンはそのどちらにもならなかった。才能の有無はわからない。ただ、フロリアンには何かを成し遂げる気概に欠けていることは事実だ。
「この子は自分がちょっと少ないの」生前の母は愛情をこめて我が子をそう評した。
フロリアンの覇気の無い生き方は、恋愛にも憂鬱な影を落としている。
フロリアンは少年時代からずっとイザベラを愛している。今でもだ。だが、彼らの間に親密な時が流れていた時期は遠い過去のことだ。
かつて、「あなたとなら、ほんとの自分でいられるわ」、「わたしたちはひとつのものが分かれた半分ともう半分なの」とまで言ってくれたイザベラは、フロリアンの両親の葬儀に来なかったし、手紙にも返信をくれなかった。
町の食料品店でエリーと再会したフロリアンは、自分から彼女に声をかける。
エリーの生い立ちを聞きたがり、彼女に同情を寄せ、彼女から恋情を寄せられているのを感じ取り嬉しく思う。二人は置手紙を使って密会するようになる。
逢引きの場所は、かつてこの地に住んでいたセントジョン一族のリスクィン屋敷の跡地だ。エリーは初めての恋に夢中になった。
フロリアンは、彼女の来し方を聞きたがった。
クルーンヒル孤児院での生活、孤児院を運営するテンプルロスの女子修道院で見聞きしたこと、ディラハンとの結婚について。そんな風に自分に興味を持ってもらえるのは初めての経験で、彼女は聞かれるままに色んなことを話した。
だが、エリーと会っている時にも、彼の心の片隅にはイザベラの面影があった。
フロリアンの姿を気に留めていたのは、エリーだけではなかった。
一人はミス・コナルティー。
弟のジョセフ・ポールから思い込みが激しいと言われる彼女は、母親の葬儀で見かけた不審な男のことを忘れなかった。
やがて男とエリーが二人で会っている姿を見かけるようになると、彼女はかつて自分を傷つけた不倫の恋を思い出し、エリーに自分を重ねた。そして、フロリアンを世間知らずのエリーを誑かすろくでなしと考え、エリーを守るためにフロリアンを排除しようと決意した。
もう一人は、オープン・レン老人。
オープン・レンは、現在と過去の両方に生きている。彼は遠い昔、セントジョン一族のリスクィン屋敷で、図書の目録係として働いていた。
アングロ・アイリッシュの富裕層だったセントジョン家は没落し、32年前にリスクィン屋敷は売りに出された。
オープン・レンが管理していた蔵書は家具とともに売られ、残った本も焚火に投げ込まれた。その後、建物は取り壊され、今は門の跡しか残っていない。
現在のオープン・レンは、貧者のための家賃無用の住居に住んでいる。それでも、オープン・レンは、セントジョン家の立派な屋敷について、今も存在しているかの口ぶりで話すのをやめなかった。
その日、オープン・レンは、見慣れない人物がラスモイの広場にいるのに気付いた。
その人はセントジョン家特有の背筋の通ったまっすぐな姿勢と自信にあふれた物腰を持っていた。きっとジョージ・フレディー様の孫息子だろう。一族がリスクィン屋敷去った後で生まれた人だ。洗礼名はジョージ・アンソニー。
オープン・レンは、ジョージ・アンソニーに声をかけた。最初のうち、相手は気づかなかったようだ。気づいた後もためらいを見せた。
その人物は、フロリアン・ギルデリーだった。この人違いが、エリーの初恋を思わぬ方へ運んでいく。
エリーの年上の夫、ディラハンは朴訥な農夫だ。
日に焼けた肌、赤みがかかった髪。顔つきや体の大きさからは肉体的な強靭さが感じられる。
働き者で気配りの利く彼は、住人達からも取引先からも信用が厚い。
親から受け継いだ農場を切り盛りしながら、故郷に根を張って生きていくディラハンの人生は、フロリアンの根無し草人生と正反対に位置している。
ディラハンは、エリーと前妻を比較しない。
彼女と再婚してからは、前妻と子供の写真はしまった。彼女の家事や野良仕事につねに感謝の言葉を口にし、彼女が退屈してないか気を配り、旅行を提案する。エリーが作るサラダを「夏のご馳走」と呼び、しょっちゅう出てきても手抜き料理と批難しない。
“あの人はわたしによくしてくれる。わたしが失敗してもうるさく言わない。まだ、ここのやり方が完全に身についていなくて、行き届かないところがあっても黙っていてくれる。”
ディラハンの人柄は、エリーが育った孤児院のように規律と良識で出来ている。だから、そばにいると安心するけど、瑞々しいときめきには欠ける。
エリーは時々、夫に向かって、フロリアンを愛していると告白したい衝動にかられる。だけど、それ以上にこの善良な夫を傷つけたくないと思う。
エリーとフロリアンの逢瀬の中で、ディラハンの妻子の事故について話が及んだ時、フロリアンはそんな悲劇の起きた家に若い女がいてはいけないと思った。
それを感じ取ったのかどうか、エリーはシンプルにこう言った。「恐ろしい場所というわけじゃないの。あることがそこで起こった、というだけ」
二人の恋は始まりの段階から終わりが見えているので、読者はこの点では緊迫しない。
読者の関心は、二人の恋物語の中で、ディラハン、ミス・コナルティー、オープン・レン等がどんな役割を演じるかに向くだろう。
フロリアンは、シェルハナに買い手がつけばアイルランドを去ると言う。
エリーはフロリアンについて行くつもりで、少しずつ家内の整理を始める。
夫が当面の間食事の支度に煩わされないように缶詰、チーズ、ベーコン等をため込む。荷物を入れるスーツケースを買う。
だけど、フロリアンは一人で去るつもりだ。
「あなたについていきたい。どこにでも」と言うエリーの言葉を聞きながら、彼はこんなことを考えていた。
“今、自分に押しつけられようとしていることに関わりたくなかった。自分ひとりでどこか遠くの新しい環境の中に入り、想像力の切れ端を集め、形のない、何もないところから、なんとかして秩序をつくりだす。そういう試みを何度でもやってみたい。自分がそう望んでいることは、今ではわかっていたが、それをどう言えばいいのか。イザベラから遠く離れたどこかのひっそりとした小さな町に部屋を借りて働き、会うこともない安全なところで、彼女を一生愛さないで済むように努力したい。非情で冷厳な真実を隠して耳に快い嘘をつくほうがずっと楽なのに、そのような告白をひと言でも口に出せるだろうか。もっとも「愛している」と言っていたら、一度でも言っていたら、こんな悩みではすまなかっただろう。”
そのくせ、エリーが訪ねて来れば、「もう少しだけいてほしい」と言ってしまう。フロリアンがエリーに求めたものは何だったのだろう。
夫から、オープン・レンが農場までやってきたと聞かされた時、エリーは肝が冷えた。
オープン・レンが告げたのは、ディラハンの妻がセントジョン一族の男と密会しているという話だった。
老人はフロリアンをジョージ・アンソニーだと思い込んでいるので、フロリアンの名は出てこない。老人が言うディラハンの妻とは、エリーのこととも前妻のことともとれる。
オープン・レンの頭の中で、昔セントジョン家の息子の一人エラドーが起こした人妻との駆け落ち騒ぎと、現在のエリーとフロリアンの不倫がごちゃ混ぜになり、そこにディラハンの妻子の事故死の記憶が重なって、恐ろしい物語が仕上がっていた。
老人の脳内で、セントジョン家の男たちは女癖が悪かったという事、ディラハンの不注意で前妻が事故死したという事、エリーとフロリアンが密会しているという事が、奇妙な化学反応を起こして、妻の不貞に気付いたディラハンが事故に見せかけて妻を殺したという結論に到達した。そして、それが町で噂になっていると、わざわざ告げに来たのだ。
ただでさえ、町に出ると人々の同情の視線が痛かったディラハンにとって、陰で自分が前妻殺しの疑惑を持たれていることや前妻が地主の息子と不倫していたらしいという話は、耐え難い衝撃だった。
事実からかけ離れた老人の妄言が、ディラハンの心を揺さぶり、彼を弱くした。
エリーが恋を終わらせることを明確に意識したのはこの時だろう。エリーの中でフロリアンへの愛より、夫を一人にしておけないという気持ちの方が重くなったのだ。
“それは自分をこの家に引き入れた男の経験した悲劇は、愛を拒絶されるより、はるかに過酷なものだという考えだった。それは混乱の中から生まれた明晰な考えだった。けれどもその考えは生まれるのが遅すぎた。そして、同じように冷たく厳しく心にしみた、もう一つの考えは、夫の苦しみを和らげようとして、自分がまだ話していない真実を話したら、かえって、これ以上ない程の苦痛をもたらしてしまうだろう、ということだった。何も悪いことをしていない人にそんな苦痛を与えてはならない、とエリーは思った。”
ディラハンは、エリーとよそ者の秘密の恋のことなど何も知らない。オープン・レンの妄想がそこから発していることも、勿論。
ディラハンは、エリーの存在に助けられていると言う。
わけもわからず恐怖に囚われることがあっても、エリーのおかげで怖さが和らぐのだ。ほら、動物にもそういうことがあるのを目にするだろう、と。
サマータイムが終わったら、車でテンプルロスにいこう、とディラハンは言った。
シェルハナの売買契約が結ばれ、フロリアンが町を去る日も決まったが、エリーが彼に会いに行くことは無かった。
フロリアンが出ていく日。その夜、眠れぬエリーが考えていたのは夫のことだった。
“自分の引きおこした事故で妻子を死なせてしまった男が、疑いをかけられることを心配するのは、当然考えられることだ。悩みの深い心が混乱に陥るのも当たり前のことだ。過ぎ去った一日の間に、エリーは何度も自分にそう言い聞かせた。そして、ミス・コナルティーに訊かれたら、しばらくの間親しくしていた男の人はアイルランドを去ったと言おうと心に決めた。彼と親しくしていたことを否定するまい。彼が何という名で、どこに住んでいたかも言おう。”
深夜、フロリアンが、自転車に乗って訪ねてきた。彼はこのまま出ていくのだ。二人は家から離れて歩き出した。
“「きみが愛してくれたことを、ぼくは一生忘れない」と彼は言った。「ぼくを嫌いにならないでくれ、エリー。どうか嫌わないでくれ」”
エリーは、その時裏口のドアが開いて、夫が彼女の名を呼ぶかもしれないと思った。
それは何よりも重大なことだった。それでもなお、行けるものならフロリアンと一緒に行きたかった。
エリーは、フロリアンが彼女を愛しているとは一度も言わなかったことに気づいただろうか。
フロリアンは、ミス・コナルティーが考えるほど悪辣な男ではなかったけど、姑息な男ではあった。
イザベラに愛されなかった彼は、エリーから愛されることを喜び、気を持たせるような言動を繰り返して、恋に慣れていない彼女の心に燃料を与え続けた。そして、一人で出て行くこの時になっても、嫌われたくない、忘れられたくないと言うのだ。
エリーの身の上話を聞いた時、フロリアンは親に捨てられた赤子を可哀想に思った。孤児院で育ち、農場の使用人になった少女を可哀想に思った。不幸な事故で妻子を亡くした年上の男の後添えになった若い娘を可哀想に思った。
実際にはエリーの境遇はフロリアンが思うような不憫なものではなかったのだけど、フロリアンはエリーに可哀想な女でいて欲しかったのだろう。
エリーを可哀想に思うことで、軽率に彼女の恋心を煽った後ろめたさが、同情という大義名分を得て幾分和らいだから。
一人一人の内面の描写だけでなく、それぞれが他者に及ぼす影響が違和感なく理解できるところに、物語づくりの上手さを感じる。
フロリアンの回想にしか登場せず、心情が全く描かれていないイザベラが、なぜ彼の前から去ったのかが、具体的な描写がないのに察せられてしまうあたりなど、特に。
エリーを救ったのは、オープン・レンの妄想とミス・コナルティーのお節介だったが、エリーの生来の優しさと、彼女がクルーンヒルで教わった良識もまた彼女を守ったのだろう。
クルーンヒルで語り継がれているある修道女の悲恋。
修道女ローズリンは、冬の間修道院に出入りしていた男の元に去った。一時の激情に身を任せた修道女は、悲惨な年月の末に水死体となって発見された。
エリーが無理にフロリアンについて行っても、結末は暗かったと思う。
ミセス・コナルティーの葬儀から始まったエリーとフロリアンの恋は、最初から最後まで空虚でどこにも行きつかないものだった。
そんな二人の恋物語に幾つもの喪失の物語が重ねられている。
不倫の恋に傷ついたミス・コナルティー。仕えていた主家を失ったオープン・レン。自らの不注意で起きた事故で妻子を喪ったディラハン。二度とイザベラに会うことは無いだろうフロリアン。愚かな恋に奔って物乞いにまで身を落とし、最期は水死体になって発見されたローズリン。没落して土地を去ったアングロ・アイリッシュの地主階級・・・・・・。
それぞれの人生の物語が、他の人生の物語を淡く透かしながら層を成している。一つ一つの物語はありふれていても、重ねられた層は清涼で美しい。
アイルランドの夏は蒸し暑い日本の夏とは異なり、湿度が低く爽やかなのだそうだ。
六月が来るたびに、ディラハンは妻子の事故を思い出し、七月になれば、フロリアンはシェルハナを訪れたイザベラを思い出す。そして、夏の終りには、エリーは川に沈めたトランクを思い出すだろう。
夏の推移と喪失の思い出が絡まり合い、人生を通して付きまとう。それはやがて懐かしい痛みになるのだ。