青い花

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臍の緒は妙薬

2018-09-13 07:33:09 | 日記
河野多惠子著『臍の緒は妙薬』は「月光の曲」「星辰」「魔」「臍の緒は妙薬」の四篇からなる短編集。

現実と妄想が境目なく入り混じる河野多惠子らしい作品集だ。
日常の些末な出来事と際どい性癖が思いつくままに脈絡もなく語られているように見えて、冗長と感じさせないのは稀有な才能だと思う。淡々とした筆致で綴られているのでついついボンヤリ読み進めてしまうのだが、気が付くとダメージが蓄積されていて癖になる作風だ。

表題作「臍の緒は妙薬」が、子供の頃に母親から臍の緒を飲まされたらしい老女の物語だ。
峰子は戦時中に小学生だったので当然戦争の描写が出てくるし、年齢的に身内の死や葬式の場面も多い。
しかし、それらにまつわる出来事の扱いが独特なのである。
峰子の友人の好きなCMや甥から贈られてきたおかき、親族の経歴といった本人以外にとってはどうでもいいような些末な事柄とほとんど同じ日常の一コマ扱いなのだ。そして、それらのすべてが臍の緒に繋がっている。一人の平凡な女の人生が、思い出の断片の積み重ね方によって異様な時空間に変わる。

峰子はある小説を読んでいて、臍の緒は妙薬であるという言い伝えを知る。
その小説には、

“臍の緒は、大病にかかった当人に煎じて服ませれば助かる妙薬であるという。人間の大病は一生に三度と思えばよい。で、三回分取っておくことになっていて、その一部なり、全部なり、不要であった臍の緒は、最後に当人と共に棺に納めてしまうわけである。”

とあって、それを読んで以来峰子は臍の緒のことが片時も忘れられなくなるのである。

峰子は命が危ぶまれた大病を二度経験している。
最初の大病は乳児の時。二度目は小学校二年生の時で、どちらもクルップ肺炎だった。峰子は臍の緒が入っているという兄弟五つ分の包みのうち、自分の一本だけに開けられた痕跡があったことを思い出すと、それを開けたのは母親で、恐らく秘かに峰子に服用させたのではないかと思うようになり始めた。
唯の憶測である。
峰子のクルップ肺炎の話は幾度もしていた母は、そういうものを服ませたとは一言も話していない。それを峰子は、迷信に縋って病気の幼児に体に障るかもしれないものを服ませたことが疚しくて話せなかったのではないかと考える。
峰子がその話をしたのは、夫の加山の他にない。兄弟に対してさえ、勇気がなくて話せなかったのだ。

“彼女は赤ん坊の自分にそれを服ませてくれた時の母の気持を想像する。ひとりで思い惑うた挙句、一か八かの気持で服ませたにちがいない。助かるかもしれない。が、恐ろしいことになるかもしれない。震える手で、妙薬を服ませる母は、同時に毒でも服ませる気持であったことだろう。恐ろしい慈母である。”

癌を患った妹が亡くなると、峰子は妙薬のことを最後まで話せず仕舞いになったことを後悔した。万が一にでも妹を救えたかもしれないという後悔ではなく、妙薬の効能を試すことのできた機会をつかみ損ねたという後悔である。
その後も大病人が出ると、臍の緒はお持ちでないかと思う。そうして、言い出せないままその人が亡くなると、絶好の機会を自分の不決断から見送ってしまったことを後悔するのだ。

「月光の曲」は戦時中の尋常小学校が舞台。
戦中であることをことさら強調せず、あくまでも当時の子供達の日常風景として淡々と描がいている。始終不穏な空気が付きまとうのは河野作品の平常運転だ。タイトルは作中で国語の教科書に載っているベートーベンの物語のこと。
〈ですます調〉の語りと〈である調〉の語りが所々切り替わるが、特に法則がある訳でもなく、語り手が変わったのか同じ人物なのかも不明で、妙にゾワゾワさせられた。

「星辰」は開業医の妻が占い師に夫を鑑定してもらう話。
一見ありきたりな夫妻の日常風景の中に、占星術といういかがわしい匂いのする異物が入り込む。平凡で真っ当に見えた夫婦のエピソードが、最後の一文ですべて異常だったことが明かされる。作中で史子が夜食として作る「やきやき」を真似して作ってみたら結構美味しかった。

「魔」はコーンスターチで夫と自分の子供を作る女の話。
4篇の中では一番解り易く主人公の執念が描かれている作品だが、その分妙味は薄いかもしれない。子供のいないM子が人造の幼児を作るのがホムンクルス伝説のようだが、その素材がコーンスターチという台所でおなじみの食材なのが河野多惠子らしくて不気味だった。

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