青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

きわきわ―「痛み」をめぐる物語

2015-03-15 08:46:24 | 日記
藤本由香里著『きわきわ―「痛み」をめぐる物語』は、蜷川実花氏による表紙のポップで可愛らしい印象とは切っても切り離せない内容である。これが、最新版の「痛み」の表現ということであろうか?
Ⅰでは『表層の傷・「痛み」の力』と題し、リストカットやボディ・モディフィケーションについての考察がなされている。
今の時代、リストカットは「みっともないこと、知られたくないこと」だと認識されているそうだ。以下の引用で語られているのは、藤本氏の世代のことであろう。現代の10代と比べると、大人なリアクションである。

もう少し前の時代なら、同じ手首を切るのでも、「見えない心の傷を見える身体の傷に変換することで自分でもそれを認識し、誰かに気づいてもらいたい」という意図があったように思う。そして、その手首の傷を発見した友人なり親なりもそういう反応の仕方をした。「この人に手をさしのべなくてはならない」―たとえ内心ではちょっと引いてしまう部分があったとしても、第一義的にはともかくそれが優先した。

しかし今、手首の傷は同情よりも「うわっ、キモ~」「アブねえ~」という敬遠を呼ぶのだそうだ。藤本氏の世代より、現在の10代が冷たいとは思わない。むしろ現在の10代の方がはるかに気を使って生きていると思うのだが…それは、過剰と言えるくらい。日々「空気を読む」ことに神経をすり減らしている分、リストカッターという「空気を読まない」自己主張をする人への拒絶感が強いということなのだろうか?他人の「痛み」を慰藉するには、彼ら自身があまりにも繊細で疲弊しきっていると思った。
私としては、リストカットよりもアートとしてのボディ・モディフィケーションについてもっと突っ込んだ話を読みたかったのだが…。正直、リストカッターにはあまり関心がない。そういう人、そんなに珍しくはないよね。目の前でやられたら「キモ~」とは言わないし、みっともないとも思わない。ただ、話は聞くけど、それ以上の何かをしてあげられるとは思わない。
そんなことより、ボディ・モディフィケーションだ。なぜ身体改造にのめりこむのか?なぜそこに美を見出すのか?そちらに関してはさらっと流している感じで、残念。ここで紹介された『BODY IS NOT MYSELF』は現在でも読むことが出来るのだろうか?
Ⅱでは、第一話から第九話までそれぞれのテーマにふさわしい書籍を取り上げているので、私も興味深い本を何冊かメモさせてもらった。特に『第二話 他者になりかわりたい』で取り上げられた『接続された女』の著者ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは、最近別のところでも名前を聞いていたので、個人的には要チェックである。
ただ、『第六話 風俗という「お仕事」』については、取り上げている書が片桐舞子著『バブルの逆襲』(2000年)、菜摘ひかる著『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』(2000年)、中谷彰宏著『「裏」恋愛論』(2001年)など、本書が出版された2013年からみると、性風俗という流動的な世界を語るための参考資料としては少々古いと思った。性風俗が稼げない職業になって久しい。現在では1回3000円という、信じられないような料金で性的サービスを提供する激安店が軒を連ねている。そこで働いている風俗嬢は片桐氏・菜摘氏のような稼げた時代の風俗嬢とは抱えている「痛み」も違うだろう。
本書では様々なかたちの「痛み」が紹介されているので、誰にでも1つは関心の持てる項目があると思う。そして、関心を寄せた項目こそが、その人にとっての「痛み」なのだ。
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