これは世界の柔道の聖地、講道館前で見かけた嘉納治五郎像であります。
何度かクーベルタン男爵と五輪と嘉納治五郎の関連については書いた覚えがあるのですが、今年は日本体育協会創立100周年なんだそうですよ。
で、東京もこのタイミングで2020年の五輪に再度正式立候補ということになったようであります。
「日本のスポーツ」100年のあゆみ - 日本体育協会創立100周年記念事業
http://www.japan-sports.or.jp/jasa100th/ayumi/index.html
というわけで、今年は1911年(明治44年)に嘉納治五郎が大日本体育協会の初代会長になって100年目ってことなんですね。
実際は上のサイトの年表でみると、嘉納が東洋で初のIOC委員になったのが1909年(明治42年)なので協会の設立はその2年後ってことですね。
1912年(明治45年)の第五回オリンピック大会(ストックホルム)に日本は初の代表選手として、陸上競技の短距離に三島弥彦、マラソンに金栗四三を派遣。その時の日本選手団団長がIOC委員である嘉納会長だったってことだそうであります。
金栗四三は日本人として初めて五輪のマラソン競技に出場するのですが、40℃近い猛暑のサバイバルレースに日射病となり途中棄権。この棄権の報告がオフィシャルに伝わらなかったために記録的には「行方不明」という扱いになったそうな。
で、それから55年後に金栗四三はスウェーデンオリンピック委員会からオリンピック記念行事へ招待され、行方不明というのは困るので完走してくださいとの計らいでフィニッシュテープが用意されて、54年8カ月6日5時間32分20秒3、75歳で五輪ストックホルム大会のマラソンを完走したことにしてもらったんですね。
http://www.higo.ed.jp/sh/tamanash/kanakuri/kanakuri-zuroku.htm
なかなか粋な計らいでありますねえ。
この最長記録はなかなか破られないだろうなあ。
さて、話を銅像に戻すと、全身像が乗った石の台座には生誕記念と書いてあるんですが、生誕150年に当たった昨年は筑波大学に同じ銅像が建ったんだそうであります。
他にも文京区内の筑波大学附属小学校にもあるそうな。ちょっと3体とも観て回ってみたい気もしてきますね。
ちなみにオリンピック、世界選手権に出場する柔道日本代表選手団が大会前に必勝祈願として、嘉納治五郎の墓参りをすることが恒例となっているそうで、そのお墓は松戸市の八柱霊園にあるそうであります。
講道館のサイトにはお墓への行き方まで書いてありますね。
http://www.kodokan.org/j_basic/access_yahashira_j.html
八柱霊園って小学生の頃遠足で行った覚えがありますが、そのうちPDFをiPhoneに落として行ってみるかな。
さて、今朝は台風だと思ってのんびり寝てましたが、降ってなくて拍子抜けですね。
ま、どうせ金曜日で休足のつもりだったんでいいですけどね。
しかし明日はどうかなあ。暴風雨のマークは消えたからたいしたことないのかなあ?
代々木ランニングクラブ2.0
ストックホルムまで行くって、すごく大変そうですね。
パンケーキさん、出かけて行くのも命がけでしょうねえ。