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代々木RCの制作者ブログ

旧玉川村村長邸石@上用賀 No.52

2012-02-20 07:28:07 | 路傍の石の鑑賞会


これは私のランニングコースとは関係なくて、お仕事で良く行く用賀の撮影スタジオに行く道すがら、たまたま目に入ってしまっただけのものでありますが、なんだか無理やりブロック塀に組み込まれてる感がなかなか良いかあもなあってとこが唯一の鑑賞ポイントでありましょうか。



ていうか、村長邸をこのようなカタチで顕彰してるのはなかなか珍しいかもなあってことで調べてみました。

以下世田谷区のサイトより

ここは、旧玉川村の金子為太郎村長邸です。玉川村は明治22年(1889)、用賀、瀬田、野良田、上野毛、下野毛、尾山、等々力、奥沢という江戸時代からの古い村々が合併して出来た村の名前です。金子村長は明治45年から大正12年まで一番長く村長を務め、村の発展に尽くしました。そして、村長を辞めてからも、次の豊田正治村長たちと相談して、村全体の道路を整備していく計画(玉川全円耕地整理事業といいます)の中心的役割をつとめました。今、私たちの町は道が東西南北、碁盤の目のように出来ていますが、これは、金子村長さんたちの努力の賜物です。
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なるほど確かにこのへんの道路は碁盤の目のようになっておりますね。
さらに調べてみるとこの「玉川全円耕地整理事業」ってのがキモみたいですね。

玉川全円耕地整理
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00017059.html

渋沢栄一の田園調布のほうは関東大震災の前に開発が始まっているけど、こちらは1923年9月に起きた関東大震災の翌年の1924年に事業が始まっているから震災もひとつのトリガーだったっていうこともあるんでしょうかねえ。

玉川全円耕地整理事業
http://marukokawa.exblog.jp/2053169/

村長邸、けっこうな敷地なんだけど、おかげでこの地域は高級住宅地になって価値も上がったわけだから、ブロック塀に組み込まれたような窮屈な感じじゃなくて、もうちょっとしっかりと顕彰してあげてもいいんじゃないのって思ってしまいましたね。

さて、今朝は月曜日なので休足でした。
体重は先週に比べて変わらず。本当は1kgくらい痩せてたはずなんですが、土日って平日より食べてしまうんだなあ。特に土曜日に上野に行った時の麺屋武蔵の新しいお店(調べると昨年の6月にできていたらしい)は破壊力あったなあ。

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写真工業発祥の地@新宿中央公園

2012-02-10 10:23:23 | 路傍の石の鑑賞会


前は良く石神井から代々木まで出社ランなどしておりまして、夏などに甲州街道を右折して新宿の都庁裏に入ると新宿中央公園の樹の匂いなどがしてきてなかなか良い感じの場所なのですが、公園の中に入ってみると写真工業発祥の地という碑があったりしますね。

以下碑文

 この地は、明治三十五年五月、小西本店(現・コニカミノルタ)が写真感光材料の国産化を図り、研究所と工場(六桜社)を建設し製造を始めたところである。同社はさらにカメラの製造も始め、写真フィルムの国産化にも成功した。その後、昭和三十八年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。今日わが国は、世界の写真王国となっているが、その礎は、この地で築かれたものである。
昭和五十八年五月一日
新宿区設置

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私など今でもデジカメで撮った画像を「写真」といっておりますが、コダックが今年に入って破産法を申請した(毎日50億円も赤字を作ってたみたいですね)ように実際はフィルムで撮って化学反応で現像する写真ってもう終わったんだろうなあって思う今日この頃でありますね。

仕事を始めた頃は、暗室でリスフイルムを撮影現像(引き伸ばし機をカメラがわりにして撮影するんだよねえ)してロゴの紙焼きしたりしたっけなあ。

印刷物に利用する写真はリバーサルフイルムで、物撮りだと4×5があたりまえだったしなあ。

入稿するときはフィルムにトレペかけてなぞってトリミング指示して倍率書いたりするんだよ。

とか、その頃覚えた「仕事」は今はもうまったくやらないで済むようになってしまいましたねえ。

最初からデジタルで撮影してるから分解の必要もないし、便利な世の中なんだけど、なんだか手作り感ってなくなっちゃったよねえって思う、けど、ま、楽で良いんですけどね。

さて、今日は金曜日なので休足です。ていうか今週は結局1日も走れなかったなあ。
ま、走らなくても痩せていくので良いんですが、やっぱり走って痩せた感は欲しいよねえ。

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日本の道100選石@新宿 新宿三井ビル前●No.050

2011-12-01 09:33:40 | 路傍の石の鑑賞会


東京および東京近郊に住んでる人なら一度くらいは歩いたことがあるんじゃないかと思う新宿の高層ビル群の中央を新宿中央公園に向かうこの通りでありますが、実は昭和時代に建設省が選定した日本の道100選に選ばれていて、その印になるオブジェ(顕彰碑)がこんな感じで建ってるんですよね。



なんとなく大正時代の道路元標みたいな感じだけど、こんなただの直線道路が100選になってたとは思いませんでしたね。
選ばれた理由が書いてあるので、記録委員会としてはテキストに起こしておきましょう。



新宿副都心街路
新宿区西新宿1丁目~西新宿6丁目内

 新宿副都心地域の道路網は、都市計画街路として、将来の発展を見込んだ余裕ある幅員、地上地下二層式の駅前広場、立体交差する街路など、特色あふれるものである。大ビジネス街となった同地域の、超高層ビル群と道路によって構成される景観は、首都東京の新しい顔となっている。

選定は昭和62年8月10日だそうであります。
たしかにいわれてみれば、ここの道路は他にはない感じの2層構造になってますもんねえ。
超高層ビルが林立してるのに、品川駅の海側みたいな圧迫感がないのは道路の幅員の余裕のおかげなんだろうなあ。

で、こうなると他の道路も気になってきますよね。

日本の道100選/百選-日本の粋(いき)な道路が100箇所以上登場!-日本風景マニアックス-Japan Maniacs http://japan.mania.cx/road100/

へえ、100選といいながら104カ所あるんですね。
都内で4箇所、そのうち皇居のジョギングコースの内堀通りも選ばれてるみたいだけど100選の顕彰碑は観た覚えがないですねえ。ほかに中央通りと湾岸道路ね。このへんいっぺんに走って見てまわるようなのも面白いかもなあ。
(表参道なんかもいいと思うんだけど入ってないんですね)

顕彰碑のデザインも色いろあるみたいなんで、こういうのも位置アプリになってたりしたらけっこうマニアックでニッチな需要がありそうですね。

さて、今朝は小雨模様だったので休足です。
夏だったら走っても良さ気な良い感じの雨でしたが、寒いしね。

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ハナミズキの由来石@国立代々木競技場●No.049

2011-11-11 07:50:34 | 路傍の石の鑑賞会


これは渋谷公会堂側から代々木第一体育館へ向かう通路右側にあるハナミズキの並木の途中にある路傍物であります。
読んでみると、

花水木の由来
1912年アメリカに贈った桜は
ワシントンに年々咲き誇っている
返礼として贈られた花水木・ドッグウッドは
その故事を伝えるよすがもない
日本のロータリアンの
変わらぬ親善の願いをこめて
ロータリー創設75周年に際し
ここに再び花水木を植える
1980年6月
創立25周年記念
東京西ロータリークラブ

とありました。



ああ、あのワシントン桜の話はなんだか中学生の時に英語の教科書(ホライズンね)で読んだような記憶がありますね。
その返礼に1915年にもらった花水木がここ(当時は代々木練兵所?)に植えてたのに枯れちゃったってことなのかなって調べてみると、どうやら第二次世界大戦中にすべて伐採してしまったんだそうで、それで植え直したみたいですね。そうなるともう当時の花水木はないのかねって気になって調べてみると、1999年に東京都立園芸高校に原木が現存してることが判明したそうで、アメリカに贈った桜の木を育てた兵庫県伊丹市の小学校にその子孫樹が移植されたんだそうであります。

-米国ワシントンD.C.の桜物語ー
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/sakura.htm

ふーん、そもそもなんで桜を贈ったり花水木をもらったりしてたんだろうかって調べてみると、当時の米国大統領婦人の希望により、当時の尾崎行雄東京市長がプレゼントしたとありますね。

へえ、尾崎行雄は東京市長もやってたんですねえ。
財団法人 尾崎行雄記念財団
尾崎行雄について
http://ozakiyukio.or.jp/gakudo/index.html

上のサイトの「5.世界連邦について」とか、昭和のはじめのまだ第2次大戦前の主張ですけど「6.日本の進むべき道」の『協調か孤立か、門戸開放か門戸閉鎖か』なんてなかなか今のTPP参加論議の渦中で読むととっても面白いなあ。

http://ozakiyukio.or.jp/gakudo/2008/07/post-23.html

と、本当ははなみずきより野口みずきがこのまま枯れてしまうんじゃないだろうかと心配していたんですが、どうやら復活が見えてきたみたいで、来年の大阪国際は楽しみでありますね。

追記
ワシントンの桜・里帰り事業というのがあって、来年3月に石川、富山などに記念植樹されるそうです。
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20111030105.htm


さて、今朝は金曜日なので休足です。
昨日走れなかったんで今日走っても良かったんですが、雨だしねえってことで素直に休足。
ありゃ、今週は水曜日しか走ってないかな?

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嘉納治五郎先生像が乗った石@講道館前●No.048

2011-09-02 07:51:11 | 路傍の石の鑑賞会


これは世界の柔道の聖地、講道館前で見かけた嘉納治五郎像であります。
何度かクーベルタン男爵と五輪と嘉納治五郎の関連については書いた覚えがあるのですが、今年は日本体育協会創立100周年なんだそうですよ。
で、東京もこのタイミングで2020年の五輪に再度正式立候補ということになったようであります。

「日本のスポーツ」100年のあゆみ - 日本体育協会創立100周年記念事業
http://www.japan-sports.or.jp/jasa100th/ayumi/index.html

というわけで、今年は1911年(明治44年)に嘉納治五郎が大日本体育協会の初代会長になって100年目ってことなんですね。
実際は上のサイトの年表でみると、嘉納が東洋で初のIOC委員になったのが1909年(明治42年)なので協会の設立はその2年後ってことですね。

1912年(明治45年)の第五回オリンピック大会(ストックホルム)に日本は初の代表選手として、陸上競技の短距離に三島弥彦、マラソンに金栗四三を派遣。その時の日本選手団団長がIOC委員である嘉納会長だったってことだそうであります。

金栗四三は日本人として初めて五輪のマラソン競技に出場するのですが、40℃近い猛暑のサバイバルレースに日射病となり途中棄権。この棄権の報告がオフィシャルに伝わらなかったために記録的には「行方不明」という扱いになったそうな。

で、それから55年後に金栗四三はスウェーデンオリンピック委員会からオリンピック記念行事へ招待され、行方不明というのは困るので完走してくださいとの計らいでフィニッシュテープが用意されて、54年8カ月6日5時間32分20秒3、75歳で五輪ストックホルム大会のマラソンを完走したことにしてもらったんですね。

http://www.higo.ed.jp/sh/tamanash/kanakuri/kanakuri-zuroku.htm

なかなか粋な計らいでありますねえ。
この最長記録はなかなか破られないだろうなあ。

さて、話を銅像に戻すと、全身像が乗った石の台座には生誕記念と書いてあるんですが、生誕150年に当たった昨年は筑波大学に同じ銅像が建ったんだそうであります。
他にも文京区内の筑波大学附属小学校にもあるそうな。ちょっと3体とも観て回ってみたい気もしてきますね。

ちなみにオリンピック、世界選手権に出場する柔道日本代表選手団が大会前に必勝祈願として、嘉納治五郎の墓参りをすることが恒例となっているそうで、そのお墓は松戸市の八柱霊園にあるそうであります。

講道館のサイトにはお墓への行き方まで書いてありますね。
http://www.kodokan.org/j_basic/access_yahashira_j.html

八柱霊園って小学生の頃遠足で行った覚えがありますが、そのうちPDFをiPhoneに落として行ってみるかな。

さて、今朝は台風だと思ってのんびり寝てましたが、降ってなくて拍子抜けですね。
ま、どうせ金曜日で休足のつもりだったんでいいですけどね。
しかし明日はどうかなあ。暴風雨のマークは消えたからたいしたことないのかなあ?

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プロメテウスの乗った希望と書かれた石@東京駅日本橋口側●No.047

2011-06-28 07:36:40 | 路傍の石の鑑賞会


これは昔は西新橋の日石本社ビルの前にあって、今は大手町の新日鉄ビル(今はJXビルですかね?)の横に東京駅の方に向かってオリンピックの聖火みたいな松明を2本も掲げているギリシア神話の神プロメテウス(人間に火を与えたためにゼウスの怒りをかったんだそうな)の像であります。

福島の原発事故があって原子力発電を「プロメテウスの火」と比喩して「ほらね、原子力発電などというあんな危険なものに手を出すから、プロメテウスがゼウスから受けた生きながらに毎日ハゲタカに肝臓を食われる責苦のように苦しむことになるのだぞ」というような文章をいくつか読んだので、プロメテウスという単語が頭の中に残っていて、それでおおこんなところにプロメテウス発見!と見てみると足下の台座に「希望」と書かれております。

ん、なんで希望なの?って気になったので調べてみると、話ちょっと長くなるんですが、プロメテウスの弟がエピメテウスでその嫁さんがあの女神パンドラさんなんだそうですわ。

プロメテウスは弟エピメテウスに「これ、絶対開けちゃダメだかんね」と箱(実際は壷らしいが)を渡しておいたのですが、それを好奇心おう盛な美女パンドラが「中に何が入ってるのか見せて、お願い」とエピメテウスに頼んで開けてしまう。
するとあ~ら大変、その箱の中から災難がどばーっと放出してしまい、人間界はこの世のあらゆる不幸や災い、悲しみで満たされてしまうわけですね。

で、そんなこともあろうかとプロメテウスは箱の中に「希望」を入れておいた。

だったら最初から弟に箱なんか渡すなよと突っ込みたくなりますが、こうして人間はどんな災難にあっても希望を持つようになり絶望しなくなったというお話のようであります。
(諸説あるようではありますけどね)

なるほど、それで、台座に「希望」って書いてあるのね、っていうところがこの石の鑑賞ポイントでありますね。

さて、お話を元に戻すと、大地の女神ガイアの子孫であるプロメテウスは元々ゼウス(英語名ジュピター)に「粘土で我々に似た生き物をつくって生きて行くための知恵を授けてやれ、でも火の使い方は危険だから教えちゃいかんよ」と命令されて人間を造り、家や道具をつくる方法や農業を教えて、言葉や文字を教えるのですが、火を使うことを知らないと温かいものを食べることも暖をとることもできないので、かわいそうに思って太陽から火をフェンネルの茎に移して持ち帰り、人間に火の使い方を教えてしまったわけですね。

そうやって人類に与えられた知恵が、徐々に太陽光の恵みからの農産物の余剰という富を産んで国を造り、風力を使った帆船による大航海時代を過ぎて、産業革命が起きて火力を動力源として利用し始めてからはあれよあれよとどんどん科学が進歩して、とうとう原子力を知り、今はスーパー上岡のおかん、じゃなくて、スーパーカミオカンデなどを利用して素粒子や反物質の持つ高エネルギーの世界に近づきつつあるっていうところでしょうか。

この先も人間の知に対する好奇心という欲望が消えない限り科学技術はまだまだ進歩するだろうけど、再処理されたMOX燃料利用で1000年はエネルギーの枯渇から人類が解放される「もんじゅ」で実験している高速増殖炉の技術が確立されない場合、100年後には石油もウランもなくなってしまうわけで、それまでには人類は今までの「プロメテウスの火」に変わるエネルギー源を得なければならないわけで、それはたぶん素粒子等の高エネルギー物理学の技術の先にあるような気がするんですけどねえ。

ちなみにプロメテウスが人類のためにと消さないように走って火を持ち帰るために使った植物フェンネルを古代ギリシアでは「マラトン」と呼び、マラソン競技の由来となった紀元前490年のマラトンの戦いに出て来る地名「マラトン」にはこの草が多く生えていたそうな。
オリンピックで聖火を持ってリレー形式で走るのは、1936年のベルリン大会からみたいですが、たぶんこういうプロメテウスが持ち帰った「火」を聖なる象徴とするという背景があるんだろうなあ。

さて、今朝は走るには問題なさそうな程度の雨だったのですが、昨日走ったので休足でした。
今日も神話の時代から自然に核融合を続けて自然放射線を降り注いでくる太陽のおかげで暑くなりそうです。

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新宿元標 ここが追分な石@新宿3丁目(伊勢丹前)

2011-04-15 08:09:41 | 路傍の石の鑑賞会


先日久しぶりに新宿の伊勢丹近くを新宿御苑側から歩いていて、そういえばこの辺は青梅街道の起点だったはずだからもしかして都道の青いゼロキロポストがあるんではないかと、目を凝らして歩いていると、あらら、こんなもん見つけてしまいました。

今まで全然気づかなかったな。
マルイの前の角なんですけどね。

で、調べてみると青梅街道の現在の都道管理上の起点は新宿大ガード西交差点だそうで、こっちは新宿追分と呼ばれていたことからの歴史的な起点なんだそうであります。
ま、というわけで、ゼロキロポストではないので、路傍の石扱いであります。

柱の上部には説明書きがありました。



足下には現在の道路状況と江戸時代の道筋が重ねて表した地図があります。
甲州街道側に書かれた青い川は玉川上水ですね。



この元標、平成11年の設置ということだから、昔はなかったんだわなあ。どおりで気づかなかった、っていっても今まで何度もここ通ってたんですけどね。

ま、興味のないものは目に入らないってことですよね。

さて、今朝は金曜日なので休足です。
休足でも朝ごはんは普通に食べてしまうんで、その分太るんだろうなあ。。

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建国記念文庫@明治神宮外苑●No.045

2011-02-10 08:33:28 | 路傍の石の鑑賞会


今週金曜日は建国記念の日という祝日でお休みなんですが、そういえば建国記念文庫というよくわからないモノが国立競技場の青山門側の明治神宮周回道路沿いの道路と道路の隙間の土地が公園になってるところにあったよなあってことで、これは石ではなく杉で出来てるようなのですが、なにげに路傍にあって気にもとめないものなので、鑑賞しておこうかと思いました。



2月11日は戦前は紀元節(神武天皇の即位日)だったそうですが、GHQの意向で廃止。その後「建国記念の日」として「建国をしのび、国を愛する心を養う。」日として1966年に制定され、1967年の2月11日からお休みになったそうです。

この建国記念の日をいつにするかに関しては建国日制定審議会というのを設けて色々審議もあり、当時の政党案では、
自民党:2月11日(紀元節の日)
社会党:5月3日(憲法記念日)
公明党:4月28日(講和条約発効の日)
民社党:4月3日(聖徳太子の十七条憲法発布の日)
共産党:反対
だったそうな。
で、この文庫にはその間建国日制定審議会に寄せられた数十万通に及ぶ記念日制定の希望、意見書が収められているそうであります。



建国記念文庫
昭和41年12月9日、建国日制定審議会は2月11日を建国記念の日として答申、即日法律によって発布された。この間数十万通に及ぶ、記念日制定の希望・意見書が進達されたので、ここに建国記念文庫を建設し、これを保管する事にした。
建設費は総て国民の浄財である。これは、現下の国民が等しく建国を思う情熱の結果であり、千年万年の子々孫々に伝え、以て後日の語り草にしたいのが、記念文庫設立の目的である。

建物は、我国が建国当時、米穀を以て立国としたことを想い、奄美大島の高倉様式を移築しその屋上にテンパガラスを施工し、ここに書類を保管した。書は、出雲大社の神門の布施杉の材に佐藤大寛が墨書した。礎石は坂上田村麻呂将軍の東征により、平和国家が確立された故事に鑑み、奥州厳作山の石垣白河石を以て施工した。

昭和44年2月11日
元建国記念制定審議会長 菅原通済記

話は建国記念の日から外れますが、この菅原通済氏という方をウィキペディアで調べてみると、現在の尖閣諸島の持ち主を運転手として雇っていたとか書いてあって、なにそれって尖閣諸島をググって調べてみると、尖閣諸島はその埼玉の方が1970年代に4700万円ぐらいで購入してて、現在は総務省と2002年から賃借契約を結び、年間約2400万円で日本国に貸しているんだそうな。
ふーん、島持ってるといいなあ。

さて、今朝は普通に朝錬。まだ暗くて寒いですが、走りだしてしまえば寒さも感じなくなるので、暑すぎる夏よりは走りやすいのかもなあ。

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ロシア海軍の砲弾?日本軍の砲弾?@東郷神社(原宿)●No.044

2011-02-04 08:09:28 | 路傍の石の鑑賞会


年末に坂の上の雲を観つつ、そういえば東郷平八郎を祀った原宿の東郷神社って近いけどじっくり行ったことなかったなと思って訪ねてみましたら、社の右側に砲弾のようなもの発見。
うーん、これってどうみても砲弾だよねえ。

ま、石じゃないんだけどさ、たまには肉やフライもの食べてばかりじゃなくて、鑑賞したいじゃないですか。



これですよこれ。
で、日露戦争のときに戦艦三笠から撃った本物だろうかと調べてみましたが、よくわからず。

神社や忠魂碑にある砲弾
http://t.co/MMcKyv7

秩父の東郷神社にはバルチック艦隊から撃ち込まれた砲弾が展示されているようで、その写真をネットで見た限りではこの原宿のものと同じような形をしてるので、もしかしたら日本のものではなくてロシアの砲弾なのかもなあって調べてみると、どうやら当時の日本の砲弾は下瀬火薬を使用し鋭敏な信管(伊集院信管)の採用により着弾後爆発炎上する新型砲弾(榴弾)だったみたいですね。

バルチック艦隊を撃破した日本海海戦(1905年)の勝因は、8000m手前での敵前大回頭による丁字戦法という戦術面だけでなく、この着弾後火災を起こしやすい砲弾の使用をはじめ、砲弾の命中精度を高めるためにイギリスの新型射撃盤の導入や最新型の三六式無線電信機による世界トップレベルの通信能力の整備など、日本海軍が最新のテクノロジーを装備していたことにあったそうであります。

しかも九州と台湾を海底ケーブルで繋ぎ、さらにイギリスのインド・アフリカ回線と結ぶことで、当時同盟を結んだイギリスからロシアには秘密でバルチック艦隊の位置情報が日本に逐一報告されていたんだそうであります。ううむ、なんだか明治の日本人は情報技術に関してもなかなかすごいですねえ。

それにしても、もし日露戦争で負けてたらどうなってたんだろうなあ。

北海道以北はロシアに賠償金がわりに取られてたかもしれませんねえ。
朝鮮半島は満州に駐留してたロシア軍に占領されてロシア領になってたろうなあ。

そうなるとロシア革命も起きないのでマルクスやレーニンの出番もなく、清朝も崩壊せず辛亥革命も起きないわけだから孫文も蒋介石も毛沢東も歴史の表舞台に現れないまま列強による中国大陸の半植民地状態が続き、インドやアフガニスタンはイギリス領。カンボジアやベトナム、ラオスはフランス領。インドネシアはオランダ領でフィリピンはスペイン領ですかね。
国力の落ちた日本は台湾をイギリスに売却して日露戦争の戦費を支払うとかそんなことになってたかもしれませんね。

ま、少なくとも100年後の21世紀初頭の東アジアの産業の興隆もなかったんだろうなあ、って思うと、やっぱ日露戦争は勝てて良かったよねえって思うもんでありました。



そんなわけで、21世紀の東郷神社では平和に結婚式が行われているんでありました。

さて、良く晴れた立春の朝、走っても良かったのですが、金曜日なので休足です。
明日も暖かい天気みたいだし、ここんとこ土日に全然走れてないんで、少しは長めに走らないとなあ。

代々木ランニングクラブ2.0

永久平和を願って石@東池袋中央公園--サンシャイン60前●No.043

2010-11-26 07:21:54 | 路傍の石の鑑賞会


サンシャイン60が巣鴨プリズン跡であることはたぶん良く知られておりまして、その角に当時絞首刑台があった場所が公園になってるということは知っていたのですが、わざわざ詳しく見に行ったことはなかったのでありますが、今は道路一本隔ててヲタ臭香る漫画本屋さんが立ち並び、乙女ロードとも呼ばれる腐女子の聖地になっていて、なんだかずいぶん平和なので実際公園内はなにかあるのか見に行ってみましたところ、「永久平和を願って」と彫られた石があったので鑑賞してきました。

裏側に廻れるようになってて、読んでみると、



 第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
 戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
   昭和五十五年六月

とありました。
なんとなく遠回しな言い方だなあってネットで調べてみると、この碑を建てたのは公共の公園内にあるから東京都とか豊島区って思うと違っておりまして、有田正憲さんという笹川良一(A級戦犯容疑で収監後に不起訴)の秘書だった右翼方面の方だそうであります。
Wikipediaによると碑文は当初『戦争裁判の遺跡』を予定していたが、各方面からの強い反対で上記の内容に落ち着いた、とあります。

以下Wikipediaからの引用
1980年(昭和55年) - 自ら発起人となって各界から出資を募り、巣鴨プリズンの処刑台跡地(現:サンシャイン60脇の東池袋中央公園)に、『永久平和を願って』と記したA級戦犯慰霊碑を建立したため、近隣住民の組織『戦犯記念碑建設に反対する連絡会』が管理者の豊島区長を相手取って違憲訴訟を提起し[5]、公費支出の正当性が最高裁まで争われた。

戦犯記念碑設置法確認等請求,損害賠償請求事件
http://t.co/LR3kwoG


ちなみに、東条英機はじめいわゆるA級戦犯7名、BC級戦犯53名がこの場所で処刑されたそうでありまして、特にA級戦犯7名の絞首刑は12月23日という当時の皇太子(現在の天皇)の誕生日(今の天皇誕生日)に行われているんですね。

さらに時計を戻すとA級戦犯が起訴されたのが1946年の4月29日(近年は昭和の日となりましたが、昭和天皇の誕生日)。
東京裁判が開廷されたのが5月3日(1年後に現在の日本国憲法が施行された。憲法記念日)っていうのはなかなか興味深い日程でありますね。

ふーん、ついでに、7名+53名=60で日の丸=日章=日照(サンシャイン)が60で、実はサンシャイン60は戦犯を祀った巨大な墓石なんですってわけじゃないよね。

さて、今朝は金曜日なので休足です。なんだか1週間があっという間で、困った困った。

代々木ランニングクラブ2.0

明治天皇 葬場殿址石@神宮外苑 聖徳記念絵画館裏●No.042

2010-09-08 09:03:39 | 路傍の石の鑑賞会


これも私が出社後ランでたらたらと走っている、神宮外苑周回道路内にある路傍物であります。
(神宮外苑ってけっこう色々なものがあるんですねえ)
ちょっと遠目から見ると、絵画館裏の駐車場の一番奥で下の写真のように大きなクスノキが円形の枠組みの中で立っている場所なのですが、ここが明治天皇の大喪の礼のときに御柩車が置かれた場所だったそうで、それを記念してクスノキを植えたんだそうであります。

明治神宮の社殿前のご神木も楠(夫婦楠)だけど、神社系には楠なんだろうかなあ。
お寺系は銀杏が多いですかねえ。



クスノキといえば(ショウノウが採れるということで、史実だかどうかは知らないけど龍馬伝の中では後藤象二郎に命令されて土佐領内のクスノキの数を数える仕事を岩崎弥太郎がさせられていたけど)楠木正成が思い浮かんでしまって、そういえば皇居外苑にも楠木正成像があったよねえ。

あの銅像は調べると明治33年(1900年)にあの場所に設置されたみたいですね。

楠木正成は悪党と呼ばれていたのに、明治になると忠臣となって皇居前に銅像まであるのはなんでかなとか調べていると、明治天皇替え玉説とか、南北朝正閏問題とか、色々あるんですねえって思うけど、結局歴史認識って、その時々でどんな体制の側にいるかでも変わるんでしょうねえ。

今年は4月に台北に遊びにいったり、日韓併合100年だったりで、ついつい幕末以来の歴史的な流れを考えてしまうのですが、近代日本のその始まりは鎖国を解いて開国した幕末から明治維新にあるんだろうけど、今の時代は似たような「開国」がインターネットという技術によって武装したネット帝国主義という形で起きているみたいなんですが、これもその評価は100年後にどう捉えられるんだろうなあって思うものでありますね。

あの時アマゾンで買い物をしたり、iPhone・iPadを買ったり、TwitterやFacebookに登録したり、googleMapやGmailを使いgoogleChromeをメインのブラウザにしなければ、日本が米国の州になることもなかったのになんて思う時が来るとは思えないけど、今の日本の首相は伊藤博文や吉田茂、田中角栄に比べると、なんだか州知事くらいの重みしかなさそうに見えてしかたないよねえと思ってしまってたりもして。。

さて、今朝も出社前に自宅付近で健康ジョグ。雨がポツリポツリと来ていましたが、走るにはちょうどいい程度の雨でした。これから台風みたいですけど、ちょうど走れて良かったなあ。

代々木ランニングクラブ2.0

大日本帝国 国境石@聖徳記念絵画館左横●No.041

2010-08-25 08:33:52 | 路傍の石の鑑賞会
これは先日神宮外苑の周回道路でぐるぐるをする際に、トイレの位置や水道のありかを確認していたときに発見したものであります。

明治時代、1905年に日露戦争で勝利してポーツマス条約により樺太の南半分(北緯50度以南)を領土としたときに日露の国境を標す石として置かれた樺太国境画定標石のレプリカだそうであります。

現在の日本の領土はすべからく海に囲まれているので、国境石はひとつもないんだと思うので、これはなかなか貴重なモノなんではないでしょうかねえ。(ま、レプリカですけど)
石のこちら側にはご覧のような菊の御紋。あちら側には双頭の鷲のレリーフが入ってるようです。



明治39年(1906)から樺太を横断する延長約130kmの国境線の森林を幅約10mに渡って伐採し、この国境標石4個と17基の小標石を埋石して国境としたそうな。
とすると、樺太の北緯50度の直線コースで130kmのウルトラマラソンができたかもしれませんね。
100年以上経って、いまはどんな状態になってるんでしょうねえ。

ちなみにこの国境石4基あったわけですが、現在は現物が日本国内に1基現存しているそうで、ロシアから贈られたものが根室市歴史と自然の資料館に所蔵されているそうです。

50度線
http://ja.wikipedia.org/wiki/50%E5%BA%A6%E7%B7%9A

さて、今朝も出社後ラン。涼しいいようで実はまだまだ気温が高いんですよね。9月になっても暑い日が続きそうな気がしてきたなあ。

代々木ランニングクラブ2.0

へへ。へ石@新宿●No.040

2010-07-23 07:00:33 | 路傍の石の鑑賞会
これは私のランニングコースとはあまり関係がなく、どちらかというと昼飯タイムで見つけた路傍物であります。
新宿駅から新宿通りを伊勢丹方面へ向かう途中のモア4番街の入り口にドーンと置いてあります。
いったいこの大きな石は何って思って裏を見ると、
天と地と・・・
平成元年7月
とあり、表にもへへ。へって感じでMOAとあるから、この辺の商店街のシンボルモニュメントみたいなものなんでしょうね。
調べてみると彫刻家の内田和孝氏の作品のようですね。

久しぶりに鑑賞のしがいのある大きな路傍石だなあって思いました。
手前の先端の尖った円柱も含めて作品なんでしょうねえ。
でも右隣のグレーの円筒形のものは関係ないんでしょうね。

段ボールにはコンタクトレンズ屋さんのティッシュが入っております。
これは作品とは関係ないですね。
ペットボトルとその横の紙袋も鑑賞しないようにして鑑賞しましょう。

さて、今朝は金曜日なので休足です。夜に富士吉田に移動して富士山に登って御殿場側におりて風呂入ってさっぱりして、電車に乗るまで寝れないからけっこう辛いだろうなあ。

代々木ランニングクラブ2.0

五輪選手村石@NHK隣の織田フィールド近く●No.039

2010-02-26 07:37:50 | 路傍の石の鑑賞会

これも私の出社後ランコースで見かける路傍物であります。
(昨年の代々木公園LSD大会で行きましたけどね)
四角い石のフロント側にTOKYO1964と彫ってありまして、東京オリンピックの記念碑みたいな感じですが、トップ面には銅板に代々木公園近辺の当時の選手村の配置図が表示されています。

裏には、

世界九十四カ国七千百五十二名の選手団をむかえて昭和三十九年十月 東京に開かれた第十八回オリンピック競技大会は、史上まれに見る成功をおさめたと賞賛された。
成果の大きな要素はこの地に設営されたオリンピック村の快適な生活にあったといわれ、人種 宗教 言語の違いをこえた別天地であった。
台上の銅板図は当時の各国選手団宿舎の配置をしめしたものである。
昭和四十年六月
オリンピック東京大会
組織委員会
会長 安川第五郎

と書いてありました。

ううむ、オリンピックの記念碑というよりは選手村記念碑って感じなんでしょうかね。
この手のオリンピック関連の記念碑は代々木原宿界隈にはいろいろあるので鑑賞のしがいもあるんですよね。
ま、オリンピック以外にもこの一帯は代々木練兵場だったり二二六事件のときに首謀者が処刑された陸軍の刑務所だったりで色々な石碑やモニュメントがあるなあと思うものであります。

さて、今朝はとても2月26日とは思えない気温でありまして、yahoo!の天気情報だと15℃、iTouchの天気アプリだと17℃と表示してますよ。ちょっとびっくりなんですが、走るにはありがたいけど今日は金曜日だから休足であります。もう今朝は事務所の暖房も切ってしまった次第ですが、これで東京マラソンはまた寒くなったりするんですかねえ。なんともわからない天気ですなあ。

代々木ランニングクラブ2.0

印刷会社前のお地蔵さん@千駄ヶ谷4丁目明治通り沿い●No.038

2010-02-19 07:26:26 | 路傍の石の鑑賞会

印刷会社前のお地蔵さん@千駄ヶ谷4丁目明治通り沿い●No.038

そういえば、私の会社のすぐ近所にも古そうなお地蔵さんが立っているんですよね。

場所はあかつき印刷という共産党系の機関紙を印刷している印刷会社の建物の角の部分なんですよね。わざわざ立派な建物の一部を削る形で設置されているんであります。

ネットで縁起等を調べてもよくわからないのですが、頭をなでると1回だけ願いを聞いてくれるとか書いてありますね。ただ、身体に対して頭がずいぶん小さいように見えるんですが、なでられて小さくなったのか、それとも一時頭部がなくなっていたことがあるとか書いてあったので、何か別のものが頭になってるのかはどうなんでありましょう。

よく見ると顔がないし・・。

なかなか由来がありそうなお地蔵さんですが、お地蔵さんが路傍に建立される理由ってどちらかというと悲しい出来事であることが多そうだから、深入りしないでそっとしておこうと思うものでありました。

さて、今週は結局火曜日に走ったきりでありました。うーん、あまりに走行距離が少ないのですが、ま、五輪期間だからなあ。今年はW杯期間もあるしねえ。

代々木ランニングクラブ2.0