サンシャイン60が巣鴨プリズン跡であることはたぶん良く知られておりまして、その角に当時絞首刑台があった場所が公園になってるということは知っていたのですが、わざわざ詳しく見に行ったことはなかったのでありますが、今は道路一本隔ててヲタ臭香る漫画本屋さんが立ち並び、乙女ロードとも呼ばれる腐女子の聖地になっていて、なんだかずいぶん平和なので実際公園内はなにかあるのか見に行ってみましたところ、「永久平和を願って」と彫られた石があったので鑑賞してきました。
裏側に廻れるようになってて、読んでみると、
第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
昭和五十五年六月
とありました。
なんとなく遠回しな言い方だなあってネットで調べてみると、この碑を建てたのは公共の公園内にあるから東京都とか豊島区って思うと違っておりまして、有田正憲さんという笹川良一(A級戦犯容疑で収監後に不起訴)の秘書だった右翼方面の方だそうであります。
Wikipediaによると碑文は当初『戦争裁判の遺跡』を予定していたが、各方面からの強い反対で上記の内容に落ち着いた、とあります。
以下Wikipediaからの引用
1980年(昭和55年) - 自ら発起人となって各界から出資を募り、巣鴨プリズンの処刑台跡地(現:サンシャイン60脇の東池袋中央公園)に、『永久平和を願って』と記したA級戦犯慰霊碑を建立したため、近隣住民の組織『戦犯記念碑建設に反対する連絡会』が管理者の豊島区長を相手取って違憲訴訟を提起し[5]、公費支出の正当性が最高裁まで争われた。
戦犯記念碑設置法確認等請求,損害賠償請求事件
http://t.co/LR3kwoG
ちなみに、東条英機はじめいわゆるA級戦犯7名、BC級戦犯53名がこの場所で処刑されたそうでありまして、特にA級戦犯7名の絞首刑は12月23日という当時の皇太子(現在の天皇)の誕生日(今の天皇誕生日)に行われているんですね。
さらに時計を戻すとA級戦犯が起訴されたのが1946年の4月29日(近年は昭和の日となりましたが、昭和天皇の誕生日)。
東京裁判が開廷されたのが5月3日(1年後に現在の日本国憲法が施行された。憲法記念日)っていうのはなかなか興味深い日程でありますね。
ふーん、ついでに、7名+53名=60で日の丸=日章=日照(サンシャイン)が60で、実はサンシャイン60は戦犯を祀った巨大な墓石なんですってわけじゃないよね。
さて、今朝は金曜日なので休足です。なんだか1週間があっという間で、困った困った。
代々木ランニングクラブ2.0
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/48477872.html
http://blog.goo.ne.jp/nammkha0716/e/d06799758bc8afebf898f03a49e0594e
自分もあのビルの場所と佇まいに、どうも行く気がおきないんですよね、六本木ヒルズも。。
日照、中国山東省の地名、Rizhao といいますが、例の会社の人と来月ちらっと行ってきます。その名のとおりの明るい場所、かどうか、折も折、黄海の対岸では砲撃、いまこそ平和へ、ひとりひとり行動を起こそう!
ショーブンさん、中国私もご招待してもらってもいいですよ。
マカニさん、メゾンカイザーは池袋西武にもできましたが、サンシャインの方が美味しい気がしますね。
大変なことが起こった場所とはあまり感じられなかった。
でも、本当の近現代史を調べてみると、
真珠湾攻撃をする前にルーズベルト大統領宛に最終通告の和平文書を送り、本人が受け取り、認識していたそうです。
しかし、日本から攻撃をさせるために、
アメリカの攻撃の大義名分を繕うために
わざと、受け取らなかった振りをした。
更に、ルーズベルト大統領は、中国の蒋介石軍を通じて、軍備を水面下で増強し、日本に奇襲攻撃を仕掛ける戦略を進めていた。
それは、イギリスへの応援に取られ、日本への攻撃がなくなったということが分かった。
更に、日本軍がやったとされる南京大虐殺事件は、中国の国民党軍・共産党軍がやったのに、日本軍の仕業にされ、東京裁判の時、連合国軍の原爆投下による大虐殺を取り上げられられないようにするために初めてその事件を作り上げたと
ありました。
日本軍は、当時、世界で一番規律が厳しく、それまで、現地の人々は軍隊は、人を殺す酷い人たちというイメージだったのが、日本軍が来てから、守ってくれるいい人というイメージに変わったとの証言も多く、
当時、日本軍は、強奪・殺人などが多かった南京市周辺で安全に民衆が暮らせるようにと、
安全区を設けて、普通の街として整備し、平和に、楽しく過ごしていたそうです。
そして、南京大虐殺の罪で処刑されたのにその真相が未だに公にされていないのはどういうことでしょうか?
情報公開請求しても肝心な部分には黒塗りされてしまう。
この件を問わず、東京裁判と日本の近現代史全体の真相をしっかり共有することが処刑された方々への本当の供養になるのではないかと思います。
例えば、アルミ板に大きな説明文を記載して
QRコードも印刷して、スマホやタブレットで映像や音声でもその当時の歴史に触れられるようにする。
「我ぞ正統天皇」と主張しても相手にされぬ中、自分を温かく見つめ、厚遇してくれた東條英機に対する追悼と聞いています。