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旧玉川村村長邸石@上用賀 No.52

2012-02-20 07:28:07 | 路傍の石の鑑賞会


これは私のランニングコースとは関係なくて、お仕事で良く行く用賀の撮影スタジオに行く道すがら、たまたま目に入ってしまっただけのものでありますが、なんだか無理やりブロック塀に組み込まれてる感がなかなか良いかあもなあってとこが唯一の鑑賞ポイントでありましょうか。



ていうか、村長邸をこのようなカタチで顕彰してるのはなかなか珍しいかもなあってことで調べてみました。

以下世田谷区のサイトより

ここは、旧玉川村の金子為太郎村長邸です。玉川村は明治22年(1889)、用賀、瀬田、野良田、上野毛、下野毛、尾山、等々力、奥沢という江戸時代からの古い村々が合併して出来た村の名前です。金子村長は明治45年から大正12年まで一番長く村長を務め、村の発展に尽くしました。そして、村長を辞めてからも、次の豊田正治村長たちと相談して、村全体の道路を整備していく計画(玉川全円耕地整理事業といいます)の中心的役割をつとめました。今、私たちの町は道が東西南北、碁盤の目のように出来ていますが、これは、金子村長さんたちの努力の賜物です。
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なるほど確かにこのへんの道路は碁盤の目のようになっておりますね。
さらに調べてみるとこの「玉川全円耕地整理事業」ってのがキモみたいですね。

玉川全円耕地整理
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00017059.html

渋沢栄一の田園調布のほうは関東大震災の前に開発が始まっているけど、こちらは1923年9月に起きた関東大震災の翌年の1924年に事業が始まっているから震災もひとつのトリガーだったっていうこともあるんでしょうかねえ。

玉川全円耕地整理事業
http://marukokawa.exblog.jp/2053169/

村長邸、けっこうな敷地なんだけど、おかげでこの地域は高級住宅地になって価値も上がったわけだから、ブロック塀に組み込まれたような窮屈な感じじゃなくて、もうちょっとしっかりと顕彰してあげてもいいんじゃないのって思ってしまいましたね。

さて、今朝は月曜日なので休足でした。
体重は先週に比べて変わらず。本当は1kgくらい痩せてたはずなんですが、土日って平日より食べてしまうんだなあ。特に土曜日に上野に行った時の麺屋武蔵の新しいお店(調べると昨年の6月にできていたらしい)は破壊力あったなあ。

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