歩き日記

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高原町記紀の道(2/3)馬登・狭野神社・皇子原神社・産石

2012年12月09日 | Weblog
山の案内 歩き日記 今日の猫たち 高原町記紀の道(1/3)霞神社と霞岡山登山から続き

 「高原町記紀の道」は、「西都市記紀の道」に準えて勝手に命名しました。「西都市記紀の道」に比較し、「高原町記紀の道」は、町のHPに詳しいマップはないし、道標はないし、「神武の町」と掲げる町にしては、内容がお粗末で、物足りなさを感じました。その点、西都市記紀の道は、一流で、マップも充実しており、道標もあり、素晴らしいコースでした。

 霞神社から、国道221号を小林方面に車を走らすと、馬登(まのぼり)の急坂坂道になります。坂道を登り切り、平坦道路になると、左側、馬登バス停の近くに、黒い石柱が見えます。「これが馬登の石柱か」と、車を駐め立ち寄ると、馬登石柱でした。神武天皇の幼名、狭野尊(サノノミコト)が、ここで初めて、馬を召されて、お乗りになられた地と、伝えられているところです。その名残で、この地方は、地名を馬登といます。

 馬登から、狭野神社を目指し車を走らせます。少し雨足が強くなったようです。11時30分、雨は相変わらず降っています。「雨も降るし、昼食にするか」「won!」と、昼食タイム。昼食後、雨が小降りになったので、「歩きますか」「won!」と、リズミカルなご返事に、杉林の中の参道を歩きました。途中、雨が降り出したので、レットさんを抱っこして歩きました。「雨の参道、素敵!」と、レットさんが言っております。私もそう思いました。濡れた石段、いいですね。(^o^)

 狭野尊のお名前は、尊が降誕された、このあたりの地名から、とったものと言われています。社伝によると、狭野神社の創建は、非常に古く、第五代孝昭天皇の時代で、二千数百年も昔と言われています。古墳時代よりも、千年も前のことですから、創建当時の歴史資料は、残っていません。

 その後、第30代敏達天皇の時代には、別当寺として神生院(のちに神徳院)が建立され、さらに第62代村上天皇の時代には、性空上人によって、霧島六社権現が創始されたとの記録が残っています。ですから、日本という国が成立した頃には、すでに神域として、相当の伝統をもっていたことがうかがえます。

 狭野杉は、慶長4年(1867)、薩摩藩主の島津義弘が、植栽させたものと伝わっています。大正13年に、国の天然記念物に指定されていますが、近年、台風被害を受け、現在、10本を残すのみです。また、狭野神社は、昭和9年(1934)にブッポウソウ繁殖地として、国の天然記念物に指定されました。

 狭野神社から、皇子原神社まで、歩く計画でしたが、風と雨で無理と判断し、車で皇子原公園に行きました。雨と風なので、レットさんは、車の中で、待機してもらいました。一人傘をさして、皇子原神社に向け、駐車場から石段を登ります。雨の石段、しっとり濡れた木立、旅情を感じますね。

 神武天皇、ご降誕の地と伝えられている皇子原は、高原町一帯を見下ろす高台にあります。古代は子どもを産む際、家とは別に産屋を建てる風習があり、宮ノ宇都の高千穂宮におられたウガヤフキアエズは、要害の地である皇子原に産屋を建てられたものといわれています。

 その地にある、皇子原神社は、皇祖神武天皇のご降誕遊ばしました聖蹟であります。殊に神社背後の産場石(うべし)の付近で、ご降誕なったと伝えられています。神社から、ちょっと遠回りし、「神武の館」を訪ねました。そこには、立体像によって、日本神話を分りやすく、展示されていました。

 いつしか、みぞれになりました、寒いですね。13時、車載テレビで、レットさんと、囲碁鑑賞、うつらうつらと、眠りながらの鑑賞でした。向井千瑛5段が勝ちました。女流棋士が勝つと、何故か、嬉しい私です。みぞれもやみ、少し青空が見えます。「よっしゃ、つぎにいくか」「眠いです」と、レットさん、無視して車をスタート、高原町記紀の道(3/3)につづく・・・・・(^_^)v

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