Road to 50’s ~50歳への道~

ナイスな50歳になるための日記

カウントダウン

チームメイト

2009年03月31日 22時48分38秒 | Weblog

先日の日曜日、息子は楽しみにしていた初公式戦だったのに、出場できず、ずっとベンチでした。
でも、試合終了後、自分のチームが勝ったことを心から喜び、自分がプレイしていたように話す姿を見て、胸が熱くなるとともに、このまま素直に育って欲しいと心の底から思いました。

さて、同じ日、息子の試合が終わった後に、私は高校の時のラグビー部のOB会に行ってきました。

卒業後初めての集いだったので、22年ぶりでしょうか。 当時の顧問の先生が幹事となり実現した集いでした。

私は当時、背番号3のプロップというポジションでした。しかし、2年生の春、新人戦で左ひざの靭帯を2本断裂する怪我を負い、2ヶ月の入院後、再起不能となり、卒業まで試合に出ることはできませんでした。

でも、先生は私の事を忘れずに案内をくれました。

同期のチームメイトの中で、現在も付き合いがあるのは1人だったので、そいつ以外の他のメンバーが来るかどうかわかりませんでしたが、先生にお礼だけでも言えればと思い、出席を決めました。

当日、行って見ると懐かしい顔、顔、顔でした。
予想に反して、チームメイトの半数以上がきていました。
先生も先輩も後輩も、チームメイトも全然変ってなかった!!!!!
おいらが人生で初告白(2回目はカミさんw)したマネジャーまで来ていたw
(全然変ってないけど、2児の母と聞いて複雑な心境になったw)

顔が変ってないこと以上に、挙動とか言動とかも変ってないことに驚きました。
39歳の後輩にタックルされて、じゃれあっている40歳のおいらも周りから見たら変ってないんだろうなw。

会としては、各期生がそれぞれ全員壇上に上がって、当時の思い出を話すだけが唯一の催しでしたが、大いに盛り上がりました。

われわれが卒業した10年後にラグビー部は廃部になったので、われわれが6期生だから、最年長の先輩でも46歳、最若年の後輩だと30歳。

知らない後輩もたくさんいたけど、話を聞いていると、なんか、同じ時間をともに過ごした気心が知れたメンバーだなという感覚がありました。

その中で、私の同級生でいつもオチャラケていた奴がこういいました。
「出会った瞬間、言葉はいりませんでした。みんな何も変っていなかったです」
 この言葉を聞いた時の会場のみんなの顔は一生忘れません。みんなの顔が輝いていました。

そして、最後の一本締めの挨拶に選ばれたのは最も若い後輩でした。
彼は最後の部員となった男でした。締めの挨拶は
「廃部にしてしまってすいません。でも、今日参加できてよかったです」
という言葉でした。

その言葉に初代の先輩を初め、みんなが
「お前のせいじゃないぞ。お疲れさん」
と言っていました。

会社の付き合いでもなく、家族でもない、初めてあった奴もいるのになぜかたった2時間の間に、すごく心が温まる時間でした。

仲間って本当にいいですね。

また、1つ、生きていく上での心の支えができました。

T先生、本当にありがとうございました。
あなたの情熱があったからこそ、このようなすばらしいときを過ごす事ができました。
これからもお元気でいてください。

ではでは。


WBCの侍達から得たもの

2009年03月25日 16時16分10秒 | Weblog
1年前以前には、野球なんて一生懸命みない家庭でした。
今では、息子が野球を始めたこともあり、今WBCは家族の共通の
話題になり、家族の中で盛り上がりました。
家族になって始めてのことかもしれませんw。

今年のWBCは、各選手、監督から裏方までチームに関わる全ての侍達に
いろいろと学ぶことができ、本当に感謝しています。

スポーツで感動して涙が出たのは久しぶりかもしれません。

学んだことは、
一人よりも組織でまとまった方が発揮する力は強いこと
気合は人間の力を120%発揮させる力があること
あきらめなければ結果を出す事ができること
常に敵は自分の中にいること。(だから勝っても旗は立てる必要はない)
家族があるから強くなれること
日本人もまだまだ捨てたもんじゃないということ
などです。

とにかく、日本は一試合一試合成長する選手、チームであるということが
実感できました。

そういうことも含め、これから生きていくうえでの精神的支柱にできそうな
できごとがたくさんありました。

うちの子供もいつかWBCに出られるかなw?

本当にありがとう!!! 侍JAPAN!!


有意義な飲み会

2009年03月22日 23時58分32秒 | Weblog
昨日は、仕事帰りに、女性の先輩達2人と私1人で飲みに行きました。
会社に入ってから、初めてのことですw。

その先輩達は同期同士で「仕事終わったから飲み行くー?madちゃんもどう?」
といわれたので、家にご飯がない事が確定していた私は2つ返事で誘いに乗り
ました。

1人は独身で、もう1人は結婚18年目の方です。

仕事のことや、上司のことなど様々なことを話、あっという間に時間が過ぎて
いきました。

そのうち、独身の先輩が「明日早いから帰るー」といって帰りました。

もう1人の先輩は「もうちょっと飲んでくー」というので、んじゃ私も
ということで、残りました。

後半戦は、私が先輩と共通の仕事上での知り合いに関する人格分析に関して
しゃべりはじめました。すると、先輩は「おお、そういわれてみればそうだわ。
私は直感的に感じていたことを言葉にしてもらった感じ!しっくりきたー」
といってもらえました。

その後、私が今自分で悩んでいる事を話しました。具体的には、カミさんと
いろいろな局面で意見が合わなかったりして、ストレスを抱えているという
ことです。

すると、その女性の先輩は「それはうちでも同じようなことがおきているよ。
例えば、だんなが家にいると、子供と2人の時と違って、やっぱり面倒だな
と思うことが多々あるし、そういうときに喧嘩しやすいよねー。だけど、
それは相手の事を嫌いになったとかいうのではなく、結婚している中での
1つの成り行きなんだと思うよ。そういうもんなんだなともっと気楽に受け
止めなよー」とおっしゃいました。

そういうことを既婚者の女性からダイレクトに聞く機会がなかったので、
自分にとっては、すごく新鮮でした。

今回の飲み会では、自分も先輩に新しい視野をプレゼントできた一方、
自分も新しい心の境地を得られたような気がします。

そういう意味で、とても有意義な飲み会でした。

先輩、終電なかったけど、家に帰れましたかー? OTZ

ではでは。


土地による違い

2009年03月19日 00時56分39秒 | Weblog
先週、札幌、仙台、福岡、広島と出張に行ってきました。

一応、各地には何回か行った事があるのですが、仕事に主眼を置くので、
いつもあまり各地の名物を食べることができませんでしたが、今回は珍しく
各地の名物を食べることができました。

札幌では毛がにやボタンえび、シャコなどを食べることができました。
(行った先の方のご好意で、なぜか越の寒梅も飲めましたw)
仙台では、利久の牛タンを食べられました。
福岡では、だるまという店のとんこつラーメンを食べました。
広島では、広島風お好み焼きを食べましたw。

久々の出張だったこともあり、改めていくつか気付いた点がありました。

■街の雰囲気の明るさ
 福岡、仙台、広島、札幌という順でした。
 各地の経済の状況とは乖離するかもしれませんが、福岡が一番元気な
 感じがしました。

■人々の天気への対応が土地柄を表す
 札幌では雪が降り、横殴りで吹き付けてくるので、思わずカサを差しました
 が、札幌の人は、なんとも無いようにカサを差さずに歩いていました。
 一方、福岡では、本降りの雨になったのですが、周りの人は、平然と
 カサを差さずに歩いていました。
 やはり、「これぐらいどうってことない」と思うのでしょうかw。

■街でおしゃれな女性に出会う確率の高さ
 福岡、札幌、仙台、広島の順でしたw。
 行った時間帯や曜日にもよるのでしょうが、広島では、若い方に会う方
 が難しかった・・。
 札幌も以前は、福岡並みにおしゃれな方が多かった気がしますがやはり
 経済状況も関係しているのでしょうか。。

とりとめもない、エントリーになりましたが、本当に土地による違いが
あるので、日本って飽きない国だなぁと実感しました。

余談ですが、電車での会話が土地の方言だと、なんかほっとしますね。
みんな無理してないというか・・

東京は、みんな結構、無理してるって感じがします。。。

ペパチェさんが、最近のエントリーで、「理解できない悪が増えてきた」と
いう主旨のコメントをされていました。理解できない猟奇的な事件を起こすのは
東京の人だけではなく、地方の人もいるわけなので、日本全国が病んできている
といえますが、やっぱり、危なそうなのは東京です。

電車の中や街の中が一触即発な雰囲気があります。
自分なんかも、本当の自分からかなり背伸びをして生きてます。
だから、いらいらすることもしょっちゅう。

私よりも不器用な人は、本当にストレスがたまるんだろうな・・・。

やっぱり、人間、もっとあるがままで過ごせる国にしたいですね。。。

支離滅裂だけど、いろいろな雑感でした。

初体験

2009年03月15日 22時50分51秒 | Weblog
今日は子供が野球の練習試合に出ました。
先週初めて練習試合に出場したのですが、息子はあまり上手なほうではないので
前回は守備だけしかやらせてもらえなかったそうです。

ところが、今日は2打席回ってきました。1打席目は三振でした。
私は勉強をしていたので、試合が終わる頃に迎えに行ったのですが
まだ試合が行われていて、ちょうど、私が試合会場に到着した時に、
息子の2打席目が回ってきたところでした。

毎週水曜日、私と息子の2人がバッティングセンターのバッティング
スクールに行っているのはチームの誰も知りません。
私は心の中で「かっとばせよー!」と思っていました。
この場面でかっとばせば、周りに与えるインパクトが大きく、今後も
試合に出してもらえる確率が高まるからです。

打席に立つ息子の顔は今まで見たことも無いぐらい真剣でした。
そんな中、ピッチャーが投球を始めました。
1球目ボール、2球目ボール、3球目ボール、4球目ボールで
フォアボールとなり、息子にとっての初出塁となりました。

1塁ベース上から緊張した面持ちで監督のサインを凝視する息子。
私に似て、臆病というか妙に慎重な正確なので、自分の足の遅さを気にして
あまりリードをしません。でも監督に言われて、リードを始めました。

次のバッターがヒットを打ち、鈍足の息子が走ります。ヒットエンドラン。
なんと、初2塁進出w。

ランナー1・2塁。

またも息子は慎重なリード。監督に言われて、さらにリードを広げます。

次のバッターはセンター前ヒット!!
息子、またもサードへ鈍足を飛ばします。
サードコーチャーはぐるぐる手を回します。
えぇぇぇ、ホーム突入指示ですかw

ボールは返ってこず、なんと、ホームイン!!!!
私は心の中で「ちゃんとベース踏めよっ」と祈っていました。
(以前、ホームベースを飛び越してアウトになったことがあるのでw)

彼にとって、初めて得点に絡んだプレイでした。
親として感動しましたーっ。

ヒットは打てなかったけど、フォアボールを選び、監督のサインと指示を
良く聞いて、全力でプレイした結果ですから十分ほめるに値します。
息子がホームインした得点により、チームはコールド勝ちとなりました。

野球を始めて約1年。
彼にとっての初体験でした。

うぅー早く試験受かって、一緒に練習したり、試合見に行ったりしてーぇぇ。

ということで、親ばか日記でした。失礼しました。

昨日の出来事

2009年03月08日 13時19分49秒 | Weblog
NETPLUSさんはじめ、502教室運営の皆様、復旧作業お疲れ様です&感謝しております。

さて、WBCは日本がライバル韓国にコールド勝ちした昨日ですが、私は埼玉県の東松山市で5時から酔っ払っていましたw。

お相手は、熱血さん、kurogenkokuさん、ペパチェさん、よんだーるさん、NANAさんというそうそうたるメンバーで、受験生は私一人という状況でしたw。

今回、私がこの飲み会に参加した目的は、「診断士」の皆さんに囲まれ、その考え方、雰囲気に溶け込む事で、診断士に必要な心技体のうち、心の部分を鍛えるということでした。(本当はただ飲みたかっただけといううわさも・・・)

なぜかよんだーるさん以外の方とは複数回飲んだ事があるというmadmaxですが、やはり皆さん、診断士なだけに、話し上手、聞き上手でいつもと同じく非常に楽しく時間を過ごす事ができました。

話した内容としては、埼玉県の秩父や川越の文化や食などの話、kurogenkokuさんが診断士として活動している中で出会った社長の話、熱血さんの独立後の活動の話、ペパチェさんいじりw、NANAさんの日々の活動の話、よんだーるさんの養成過程の話など多岐にわたり、あっという間に21時の閉店時間を迎えてしまいました。

酒も食べ物も非常においしく、お店の対応もさりげなく気が利いたものでした。食べ物は焼き鳥中心ですが、特に川越以北独特の「かしら」をたくさん注文しました。これに辛みそをつけて食べるのが流儀となっています。

かしらとはご存知の方も多いと思いますが、豚の頭部の肉です。ちょうど良い歯ごたえで、噛むとじわっとうまみが出てきます。桂馬さんで出されるかしらはネギもたくさん刺さっていて味のコントラストが絶妙でした。NANAさんが「何度も来たい店です☆」と絶賛するのが良く分かります。

桂馬さんを後にして、東松山から電車で川越まで行き、熱血さんと別れました。

が、その後、残った5人でまた川越の駅前で飲んでしまいましたw。

川越は、自分が結婚してから5年ほど住んでいた街なので、地元で飲んでいるような錯覚に陥り、危なく終電を気にしなくなるところでした。

この辺までくると、何を話していたかまったく覚えていませんw。

ただただ、心地よく飲む事ができました。お陰で、「絶対診断士になってやるぞ」という気持ちが更に強くなり、勉強に対するモチベーションも向上しました。

川越から所沢に出たあたりで終電⇒タクシーかなと思っていましたが、うまく接続でき、自分の住んでいる駅まで到達することができました。
何から何までラッキーな1日でした。

結構、一人で話続けていた気がしますが、そんなmadmaxにお付き合いいただいた熱血さん、kurogenkokuさん、ペパチェさん、よんだーるさん、NANAさんありがとうございました。また、よろしくお願いします。

経済学

2009年03月07日 00時33分22秒 | Weblog
1次勉強を進める中で、一番おもしろいと感じているのは経済学です。

特にマクロ経済学がおもしろいと感じます。
今の世の中が不況になった原因は何か?
なぜ、政府は景気対策に給付金の配布を選ぶのか?
などについては、恐らく、もっと複雑なメカニズムが働いて
今の状況に陥っているのでしょうが、今読んでいるテキストに
書いてある簡単なモデルで一応の説明ができそうです。

世の中が不況になったのはサブプライムローンが原因だと言われていますが
それをモデル化すると、貨幣の信用創造機能が過度に働き、土地などの固定資産
の価格が本来の価格を大幅に上回るバブル状態になったアメリカ経済が
サブプライムローンの償還期限に焦げ付きが多数発生したことを契機に
バブルがはじけたという構造ですよね。

日本のバブル崩壊とまったく同じメカニズム。。。学習しようよって感じですね。
どうしたらバブル崩壊から立ち直るかという方法は日本の金融機関救済方法に
学んで実践しているようですが、どうしたらバブルにならないか、バブルっぽ
かったら、どうやって回避するかということをもっと学習せんといかんですよね。

給付金については、現状が流動性の罠(金利が限界まで下がって
誰も債券を買おうとせずみんなが現金を保有してしまっている)の状態で
あると考えれば金融政策は無効であり、財政政策による消費の拡大が必要になる。

ただし、公共事業の拡大はこれまでの政策の流れからも国民の非難を
浴びそうなので、選択することはむずかしい。だから、それ以外で
消費を拡大させ国民所得を増やすためには消費者の消費動向を活性化させ、
限界消費性向を高めることが可能な「給付金の配布」を選ばざるを得なかった
というところでしょうか。

そういう意味では、確実に貯蓄に回らないような策も同時に打っておかないと
貯蓄性向が高まってしまったら、結果的に消費に回らないわけだから
施策の効果が薄まってしまうのではないかと思います。

また、各国が協調して保護主義政策をとらないようにしている理由も見えて
きますよね。

保護主義政策を採ると、その国の国民所得は上昇しますが、輸出が産業の大きな
ウェイトを占めている日本のような国は、それをされると輸出が減少し、
ますます国民所得が減少するというスパイラルに陥りますもんね。

なーんて、ことを考えていると経済が楽しくなってきますね。

そりではまた。