今日も ぺこぺこ

ジョリ夫婦&ぺこ。3匹とも、今日も元気に「ぺこっ」てます。

最終報告

2006-09-19 05:31:14 | マタニティー・エクスプレス06
在仏の女性も読んでくださっていると思うので、今回、フランス医療現場の体験談として、
仏単語を交えて書きます。

薬での子宮内容物排出ができなかったので病院へ相談に行くと、「再度薬を使っても
あまり意味が無いので、“そうは”した方が(自然排出を延々と待つよりも)精神的に
良いでしょう。」と言われた。
自然の行為を待つと、それが1ヶ月先のことになるかもしれない。期限がまったくわから
ないのです。
早く次のステップを踏むためにも、「そうは」することに。
後日電話で予約日を決められ、11日の施術となった。

朝7時に病院(公立)に予約が入っていたので、ちゃんとその時間に到達できるよう
朝5時に起きて支度して出かけた。
飲まず喰わずの状態で(アジャン à jeun)、と言われていたので、朝5時に起きてから
水1滴も飲まずに病院に行った。
6時40分に病院到着。しかし、病院側の説明の悪さのせいで、事前手続き(登録手続き:
admission)の必要性を現場で知らされ、「7時に事務所が開きますので手続きをしてください。」
と言われる。(夫が仕事を休んで付き添ってくれていなかったら、迷宮のような病院内で
わたしはしばらく途方に暮れていたかもしれない・・・。夫でさえ、その手続きにかなり困惑
していたので。)
手続きが終了したのが7時半。
それから待合室にて待つこと1時間ほど、ようやく名前を呼ばれて病室に通される。
(同じく待合室にいた女性が看護婦さんに向かって「今8時なのにまだ順番が来ないだなんて!
なんで7時に来なきゃいけなかったの?8時に来たっていいじゃないの?」と噛み付いていた。
みんな飲まず喰わずで来ており、いつまで待たされるのか全くわからないので気が荒い。)

病室に通されると、すぐシャワーを浴びるように言われ、不織布でできたペラペラのエプロン
みたいな手術着と紙タオル、消毒薬入りのせっけんを渡され、これで体を洗い、手術着に
着替えるように言われた。靴も靴下も履いてはダメで、これまた不織布の靴下のようなものを
つけさせられた。(髪も、不織布のシャワーキャップみたいなので覆う。)
体に一切の異物をつけてはならず。下着はもちろんのこと、マニキュアもダメ、髪を結ぶゴムも
ダメ、結婚指輪でさえも外すように言われた。(後で考えてみたら、これは、施術中に万が一の
ことがあって心臓マッサージとか輸血とかする際を考えてのことなのかもしれない、と思った。)
唯一つけていたのは、手首に名前を示すバーコード入りのリストバンド。そこに病室番号が
大きく書かれていた。まるで囚人みたい。
一切のものを持つことができないので、病室にはミニ金庫があった。

産科救急なので、急患優先。いつ自分の番が来るのかわからない状態で、夫と2人で病室で
長いこと待たされた。テレビはあったが、アニメ専用チャンネル以外は全て有料放送になって
いた。
待たされている間に、時々看護婦さんたちがやって来ては、血圧測定や採血、問診などを
行った。(正確な血液型をABO式とRH式で聞かれるので血液型を証明するカードがあると便利。
他、家族に遺伝的な病気があるかどうか、薬へアレルギーがあるかどうか、入れ歯・差し歯を
しているかどうか、などを聞かれる。)
11時頃に麻酔専門医(anesthésiste)の問診があり、再度問診を受け、なにやら書類にサイン
させられた。
それで“訪問客”はどうやら最後らしかったので、夫には一旦帰宅してもらった。(わたしが病室
を離れてから午後2時までは夫は病室に残れないと言われていたので。)
きっと3時頃にならないと終わらないだろうから、3時頃にまた来てね、と夫に言っておいた。
11時半、看護婦さんに薬を飲まされ、15分ほどしたら「手術室へ移動します」といって、ベッドごと
移動させられた。

手術室脇でベッドに寝かされたまま、手の甲に点滴(perfusion)用の針を刺され、非常に
痛かった。(いまだに青黒い跡が残っている。。。)点滴はどうやら生理食塩水と思われる。
10分ほどしたら、担架のような簡易ベッドに移され、手術室に運ばれる。
そこからさらに手術用の、分娩台のようなベッドに移され、左手甲には生食点滴と心拍測定の
器具を中指に、右腕には血圧測定の器具を装着させられた。
手術室内には4~5人ほどの医師が忙しくしていた。
不織布の手術着の肩の部分を破られ、胸に数箇所、心電図の機械にでも接続するような
パッチみたいなのをつけられた。もう、完全に“まな板の上の鯉”なので、どうにでもなれ、
といった状態。
背後から医師の1人にマスクを口に当てられ、「ただの酸素マスクなので心配しないで、深く
吸ってください。」と言われる。ビニール臭かったけど、ギュッとマスクを押し当てられているので
吸うしかない。
言われるとおりに深く吸っていると、5分くらい後に「あれ?」と思った瞬間、もう意識が無かった。
(マスクから麻酔を入れられたらしい。)
そうして全身麻酔(anesthésie générale)をかけられ、10分ほどの“そうは”(curetage /aspiration)
を受ける。(全く記憶は無いけれど。)

気が付けば、午後1時40分、覚醒室にいた。
体をもぞもぞ動かしてみると、まだ指に心拍測定器具、腕には血圧測定器具をつけられていて、
血圧は15分おきに自動測定されていた。
目覚めると、やたら寒く感じたので、看護婦さんに「寒いんですけど・・・」と言ってみたら、布団
乾燥機そっくりなものを持ってきてくれ、体を温めてくれた。(けっこうちゃんと暖かかったです。)
「無事終了しましたよ。」医師か看護士かわからないが誰かがそう言って、わたしの様子を
見に来た。そして、出血していないかどうか、パンツの中を見られた。あれ?パンツなんてはいて
なかったのに?と思っていたら、これまた不織布の下着を術後に着せられていた様子。
ぼーっとした体でそのまましばらく横になっていて、2時15分、病室へ移動させられた。

病室へ上がると、夫が待っていた。へろへろに酔ったみたいな気分で、だんだん感じる腹痛を
抱えながら、それでも「たいしたことないじゃん」なんて思っていた。確かに腹痛はあるけど、
術後なのだから当然。ひきつるような痛みは、転げて擦りむいたとでも思えばなんということは
無い。
メスを入れないので「手術(opération)」とは区別され、そうは(curetage)と呼ばれる。
昔は子宮内容物を掻き出したらしいけど、今は吸引式らしく、短時間できれいに処置できるの
だとか。(産科外科ではこの吸引式のそうはを「aspiration」と言っていたが、事務などの人は
「curetage」と言っていた。)

看護婦さんが様子を見に来てくれたので、朝から飲まず喰わずだったわたしは「いつ頃、飲んだり
食べたりしてもいいんですか?」と聞いてみた。(ビスケットと水を持参していたので早く口にした
かった。せめて水だけでも・・。)
すると看護婦さんは無情にも、「夕方5時まではダメです。」と言い放つ。
(まだあと2時間半もあるじゃあないか!!!)
だんだん腹痛が強くなってきたので、看護婦さんに「お腹が痛いんですけど」と言って痛み止めを
要求するも、痛みの度合いを10段階で聞かれ、悩んだ末に2くらいだと言うと「さっき痛み止めを
注射したばかりなので、次の服用までに数時間空けなければならないから」という理由で薬を
もらえなかった。
痛みは我慢せざるを得ず。(強めの生理痛程度の痛みだったけど、痛かった。)

相変わらず不織布の手術着のみでベッドの上。
自分の服を着たいけど、手の甲に針をさされて点滴チューブがついているので、着るに着られず。
そのうちトイレに行きたくなったので、夫に点滴を移動してもらいながら、トイレへ。どういうわけか、
尿を出す時に非常に痛みを感じた。膀胱炎とかみたいな感じ。(何か、飲んだ薬や全身麻酔の
せいなのだろうか?と思ったけれど・・・)
トイレで、自分のオシリ辺りからヒモが1本出ているのを発見して驚く。!?と思ったけれど、
引っ張ってみる勇気がないのでそのまんまにしておく。

4時頃、医師が様子を見に来た。またしてもパンツの中を見て、出血の度合いを確かめられた。
「出血も無いですし、大丈夫ですね。」ということだった。
そして、「布を抜きますので」と言われて、さっき見つけたヒモをずるずると引っ張られた。ガーゼの
包帯みたいなものをタンポン代わりに入れられていたらしい。それを抜かれた後、少し出血は
あったものの、たいしたことはなかった。とにかく、術後の状態も良好だったらしい。

あ~、終わった終わった。と思いたかったけど、あともう1時間、病室に居なければならない。
全身麻酔をかけたので、術後6時間ほど病院に居て「術後の様子」を見なければいけないという
ことらしい。(病院側の自衛対策だと思う。)
さきほどの医師に、「二日間の安静・外出禁止」と「四日間の安静」を言い渡され、仕事なんて
してないわたしが「欠勤の証明書」をもらった。病院からの帰宅も、できればタクシーが良いと
言われた。
術後1週間の間、抗生物質。2日間、子宮を収縮させる作用のある薬。1ヶ月の間、低容量ピル。
必要時に飲む痛み止め。以上を処方された。(ピルはホルモン治療剤としての効果を狙った処方。)

5時過ぎて、ようやく軽食の時間。
メニューは「パン、ポテトサラダ、無糖ヨーグルト」という質素なもの。コーヒー・紅茶さえ出てこない。
バターも無い。(胃カメラの時には「飲み物は何がいいですか?」と聞かれ、デザートはフルーツ
ヨーグルトだったのに。パンにもジャムとバターがついてたし・・。)
麻酔のせいか、あまり食欲も無いので夫に半分食べてもらった。

食事をしていたら、女性のスタッフが「ちょっと通りかかったので・・」といった様子で入ってきた。
カトリックの人間だという説明で、今のわたしの心境をうかがうような調子で話しかけてきた。
(妊婦の本意ではない意図的な堕胎であったかどうかを探っていたのかも。)夫婦仲が良さそうな
様子を見てとった女性スタッフは、「次は産科病棟でお会いできますように」と言って、去っていった。
カトリックの国だな~と思った。フランスでの堕胎は、やりたがらない医師がけっこう多いらしく、
日本より難しいらしい。そして宗教的観念から見て、このように、心のケアをしようという動きもあるの
だろうと思った。

いい加減に早く外してくれい~と、ずっと待っていた点滴。6時頃になってようやく外してもらえた。
それから着替えて、病室を出ることができた。
ベッドの上にいた時はあまり気が付かなかったけれど、ちょっと体を動かすだけで全身の筋肉が
痛んでけっこうつらかった。肩を少し動かすだけで、首から肩にかけての筋肉がズキッと傷む。
軽く咳するだけで、横腹の筋肉が傷む。これもどうやら全身麻酔のせいのようだった。

来た時同様に事務にて書類手続きを済ませ、ようやく“退院”。
公立病院なので支払いは一切無し。(後から一旦請求書が送られてきて、それを手続きするが、
保険でカバーされるので大体ほぼ全額返金される。)
タクシーに乗って帰宅。

この後約二日間、筋肉の痛みが続いた。
寝返りすら打てず、寝る方向も左側の体側を下にしてまんじりともできなかった。(寝てる間に少し
でも動くと痛みで目が覚めるので。)
そして、服用している薬のせいなのか、全身麻酔の残りなのか、体が非常にだるかった。
全て終わったはずなのに、薬の副作用などでまだまだ本調子にはなれず、食べたいものも思うよう
には食べられず。抗生物質が完全に終わる1週間目が近づいた頃からようやく、本調子になって
きて、沢山食べられるように。
術後すぐからずっと、わずかな出血が続いていて、1週間経っても(量は減ったけれど)出血は
続いていた。
きっと、一ヶ月くらいしたら本格的な生理がきて、それで全てリセットされるのだろうと思う。

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1 コメント

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大変でしたね (みゅじ兄さん)
2006-09-19 14:07:30
本当に何と言って良いのか判りませんが、一言「お疲れさまでした」

少しは体調も良くなったようですね、安心しました。
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