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公訴時効廃止は、本当に犯罪被害者保護になるか?

2010-03-09 23:37:57 | Weblog
公訴時効の廃止、延長、遡及適用の改正案がでるらしい。
近年の犯罪被害者保護の潮流の一環であるが、本当にこれが犯罪被害者保護になるのか。
1 例えば、事件から50年経って、殺人事件の犯人が起訴されたとして、直接の被害者遺族が高齢となり事件も忘れかけたにもかかわらず、いまさら裁判で過去の忌まわしい記憶をほじ繰り返すのは、「保護」というより「拷問」に等しいのではないか。犯罪被害者としては、50年経って犯人が処罰されるより、事件後短期間で摘発され処罰されるほうがはるかに望ましい。
2 公訴時効というのは、捜査機関に捜査期限をもうけて、期限内での早期の解決義務を捜査機関に負わせて、迅速な犯人検挙を促進させる機能をもっている。期限がなくなったら、捜査機関は返って捜査遅延、怠慢を助長させる。
3 また、時効を廃止させるならば、捜査機関の証拠保全義務、制度をしっかりしないと、せっかく50年後に犯人が自首しても、自白の補強証拠がなければ、犯人を処罰することはできない(自白の補強法則)。
4 一見、現実の時効完成前の被害者の保護を考え、遡及適用により、未完成事件の時効廃止や、延長をはかることが、犯人の逃げ得を防止し、処罰を確保し被害者保護につながるようにみえるが、上記問題性からすれば、この点はみせかけの形式的な利点にすぎない。
5 被告人の人権、えん罪防止の点からも、多くの論者が指摘するように問題がある。憲法39条遡及処罰禁止、証拠の散逸から生じる防御の困難性等のほかに以下の問題点も指摘しておきたい。
遡及適用の問題は、単に遡及処罰の禁止という立論のみならず、時効完成前の被告人と時効完成前の被告人との間で処罰の不均衡、不平等が生じることだ。改正法施行の1日前に時効が完成した被告人は処罰されないが、施行翌日に時効が完成した被告人は時効廃止ないし延長により、処罰されうる(憲法14条違反)。この不平等を解消する対策は二つある。一つは、すべての事件に遡及適用を認めることである。しかし、これだと過去に公訴時効を理由に不起訴ないし公訴棄却された事件を蒸し返して審理する必要性が生じ、一度終結したと期待していた被告人の法的地位及び裁判の法的安定を害する。よって、この政策はとれない。もう一つは端的に遡及適用を認めないことだ。なお、新聞によると被害者支援団体ですら、遡及適用という案にはおどろいたそうであり、法務省当局の勇み足的な感もある。
6 なお、今回の公訴時効の一部廃止、延長、遡及適用案は、ドイツ刑訴法をモデルにしている。同法は戦後のナチ戦犯追及を徹底するため、殺人等の重罪の公訴時効を一部廃止し遡及適用を肯定する改正を行った。なお、ドイツは死刑を廃止していることに注意)。その際、日本の憲法39条の遡及処罰禁止と同様の規定をもつ連邦憲法に反するかついて、ドイツ連邦裁判所は合憲の判断を示した。遡及処罰禁止は、実体刑法についてのものであり、公訴時効の廃止を遡及適用しても行為時に違法(可罰性)であったことにかわりはないから、遡及処罰に当たらず合憲とするものである。法務省見解も同様の見解に立っていることも明らかだ。
  だが、日本国憲法39条の遡及処罰禁止をそのように狭く限定的に解すべきではない。同原則は、国家刑罰権の限界づけと予測不能な不平等な処罰を防止する点にある。とすれば、刑法の規定する刑罰の発動が刑事手続きを経て現実化し、処罰される制度的本質(手続きなければ刑罰なし)からすれば、手続き要件も刑罰権発生、すなわち可罰性(広義)の要件の一部であるから、手続き要件である公訴時効にも遡及処罰禁止の趣旨が妥当すると解すべきである(数年前の公訴時効延長改正が遡及適用をしなかったのは、こういった考えが背後にあるというべきである)。
  また、被告人の迅速な裁判を受ける権利(憲法37条)は、公判準備である捜査段階にも及ぶとみるべきであり、その具体化が公訴時効制度とみるべきである。つまり、公訴時効制度は迅速な裁判を受ける権利の裏面である(判例は理論的に裁判の長期化が公訴時効の場合と同様に「免訴」による手続き打ち切りを認める。これは、両者が理論上密接な関係にあることを示唆している。)。
  以上の考えに立つ限り、公訴時効廃止及び遡及適用については、憲法39条、37条違反という憲法上の問題を抱えることになる。
7 結論をまとめると、今回の改正案は実質的に犯罪被害者保護になるとは思えず、被告人の人権、えん罪防止、憲法論からして問題を抱えており、単にリップサービスによる犯罪被害者保護、厳罰化必罰化の世論に迎合するものであり、慎重な議論をした形跡がみられず、私は反対である。公訴時効制度は逃げ得で正義に反するというのは一面的な主張にすぎない。処罰感情を簡単に立法により反映し、刑罰権発動のたがを緩めると同時に捜査の迅速性にブレーキをかける方向に拍車をかけるのでは、早期の犯人検挙という実質的な被害者保護にもならない。
なお、被害者保護の要請はもっともな点があるが、法制度が加害者(被告人)ばかり保護し被害者の保護をしないのはおかしいというのは現実の刑事手続きを十分理解していないみてもいない意見である。
法制度上、被告人は保護されているようにみえるが、実際は、捜査段階で逮捕、勾留20日間はあたりまえ、起訴後の保釈も同種前科があったり否認事件ではほとんどみとめられない運用は、早く出たければ自白をせざるを得ない、身柄を人質にとられた「人質司法」、密室での取り調べ、恫喝、誘導、長時間の調べの実体、有罪率99パーセント、起訴裁量をもつ検事の強大な権力、真実発見ではなく、捜査官、検察官、裁判官が納得できるストーリー、事実のみが受け入れられ、被告人の主張反論はとりあげない。このような「検察官司法」「精密司法」の運用では、被告人の法的権利の実効性は薄いし、長期の身柄拘束と心理的な拷問に等しい取り調べの連続では、「保護」されてるとはとてもいえない。
被害者保護と被告人の人権が相対立するものであってはならないし、両者の要請を可及的に追求し、一つの理念として統合できるかがこれからの理論的課題であろう。本来の刑事法学者の役目はここにあるが、最近の学者は、ロースクールに負われ、変革の波に押し流され、あるいは単に迎合するのみでは、学者魂、反骨精神が泣くというものである。

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