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異端の学説 九州王朝説

2010-03-21 02:22:29 | Weblog
異端の学説 九州王朝説

古代日本史をめぐる邪馬台国九州説をベースに古代日本は7世紀まで九州の倭国の王朝と大和朝廷に別れていたとする見解がある。1970年代に古田武彦が提唱したいわゆる九州王朝説である。
学会から全く無視されているが、隋書や旧唐書の記載が記紀と異なること、旧唐書が倭国伝と日本伝をわけ、倭国と日本は別の国との記載があることなどの中国文献を重視した見解である。戦後の反皇国史観の傾向を一層徹底したものだが、考古学的物証がないこと、恣意的な文献解釈が行われていること、旧唐書には日本は倭国の国名を改めたものとの記載もあることなどなど発想としてはおもしろいが、仮説としては実証性に乏しいとされる。ところが、民間素人古代史研究家には支持者が多かったりする。失われた古代王朝というのは確かに夢が膨らむが。
ただ、倭人の古代史を考えると、倭国の統一というのは、実はそう簡単に成立したものではなく、連合状態、分裂、統合の変遷のうち、五世紀から六世紀で大和朝廷が勢力を拡大したことは古墳の発達等の考古学的資料からも明らかなようである。さらに九州の倭人の政治勢力は、筑紫の磐井の乱、クマソの反乱などからも有力であったことも記紀からも伺えることからすると、大和朝廷に対する反対勢力としての倭国の一小国群が九州にあったいうことはできる。したがって、全くの「とんでも学説」と断定することは少し、気の毒だ。
しかし、論者の日本書紀の大化の改新、壬申の乱まで、九州王朝の出来事等の主張は、推測というよりは、恣意的な空想の域をでないようにも思える。視点はおもしろいが、実証性と地道な推論こそが、「九州王朝説」にとって必要なことであろう。

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