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奈須きのこ先生の最新作『DDD1』を読了した。
うん、さすがだ、と思った。
え、え、え、え、え、えっ?? という展開もあって素晴らしかったが、少しこんがらがって理解が難しい点もあった(ボクの頭が悪いだけだろうけれど)。
活字が苦手で最近とくに読みたくないのだが、まぁ、奈須先生の新作とあっては読みたくないわけがないのだった。
ただ、その性癖がたたったのか、読んでも頭に入らない文章がいくつかあった。
難しい言葉を使っているわけでも難解な比喩を使っているわけでもない至って普通な、日本語の説明文なのだが、どうも集中しきれなくて理解に苦しむことになった。
無論、奈須先生の文章が悪いわけではなくボクの頭がどうかしているのだが。
注意力散漫というか集中力不足というか精神薄弱というか不安定というか。
いや、たんにめんどくさいだけなのだけど。
困ったものである。
そんな言語処理能力の極めて悪いボクが、なんでよりにもよって小説家を目指しているのか甚だ疑問なのだが、まぁ、なんか目指してみたいからそうしてるだけでしょう。動機はもっぱら乙一先生に会いたいってだけでね(苦笑)。
話がそれたので戻す。
『DDD』が、「奈須先生はやっぱりタダ者じゃないな」と再認識するに値する、すばらしい作品だったのは間違いない。
ただし、ボクは満足していない。満足いっていない。
それはこの作品がまだ完結していないからというだけではなく、まだなにかできそうだな、まだ上を目指せそうだな、と、なんとなく思ったからである。
といっても具体案があるわけではなく、ただ漠然と、納得していないだけなのだが。
誤解されたくないのでここで言っておくが、ボクは断じて奈須先生を批判しようとしているわけではない。
小説の在り方そのものをどうにかできないかと考えているだけである。
ライトノベルとかエンターテインメントとか純文学とか、ホラーとかミステリとか恋愛物とか。そういう枠組みを超越した、自由奔放でクレイジー、かつ新鮮で面白い小説ができないだろうか。
そういう無駄に壮大で夢見がちなことを最近考えてみたりしている。
それはあくまで理想論だが、その理想を目指してまた小説を書きたいと思っている。
先日のジャンプ小説大賞応募作はその意味ではつまらない模倣ファンタジーに過ぎない。
ボクはやっぱり、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ足りないし、まだまだまだまだまだまだまだまだまだやれることがあるはずだ。
と、今は思う。
最近、小説を読んでもなにかが足りないという気がしてならない。
まだなにかできるはずだ。
まだ上を目指せるはずだ。
小説ってのはもっともっと大きくて自由なモノのはずだ。
と、思いはじめた。
作家の中には、既存作品に満足できないから自分で満足いく作品を書こう、と思って作家になったという方もいらっしゃるそうである。
ボクには役者不足すぎることだろうけれども、高みを目指すのは個人の勝手、好き自由というものだろう。
だからちょっとばかし、理想に近づけるように模索してみようと思う。
まぁ、そんな大それたことをする前に、基礎文章力を身につけるべきなのだろうけれどもね(苦笑)。
あとこの男の場合、女々しいしみったれた根性とか恐怖症をなんとかするべきだろう。
前途多難である(自分で言うな!)。
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