たくさん咲いていたわけではありませんが、
可愛いです。
1840年頃、ベッドフォード公爵とアンナ・マリアは、お住まいのウーバンアビー(Woburn Abbey)で毎日大勢のお客をもてなす日々を送っていました。
ウーバンアビーはベッドフォードシャー州ウーバンの地に建てられた歴史ある豪邸です。
そんなアンナ・マリアのちょっとしたお悩みは、夕方になるとお腹が空いてしまって憂鬱になる、、、というものでした。
当時の食事は、豪華な朝食と社交を兼ねた晩餐の1日2回が基本であり、お昼はピクニックに出かけ、少量のパンや干し肉、チーズやフルーツといった軽食で簡単に済ませるのが普通でした。
しかも、この頃のイギリスは産業革命によって人々の生活習慣が変わりつつあった時期で、特に家庭用のランプの普及によって、人々は日が暮れた後も活動できるようになりました。
しかも、紅茶はイギリスでは採れませんがインドやスリランカの植民地から輸入されます。
また、アフタヌーン・ティーに欠かせないスイーツを作るための砂糖も植民地からやってきます。
午後2時から3時にアフタヌーン・ティーを頂く習慣はあっと言う間に広まりました。
エドワード エルガー(1857- 1934年)イングランドロウァー ブロードヒース生まれ、イングランドウスター没
エルガーは愛の挨拶を妻に贈りましたが、彼女は天才のエルガーを支えていろいろな方法で彼を売り込みました。
ティーサロンのアリス エルガー中央
アフタヌーン・ ティーに名士を招いて、エルガーの音楽を聞かせて売り込むのもその1つの方法でした。
1917年バレエ音楽「真紅の扇」は、アリス ステュアート ウォートリー夫人から依頼されました。
初演は1917年3月20日にロンドンのチェルシー・パレス劇場で「チェルシー・オン・ティプトー」レビューの一部で、エルガーの指揮により行われました。
その後、彼は羊飼いの踊りという別の作品を追加し、5月の2回目の慈善公演で初演しました。
チャールズ エドワード コンドル(1868-1909年)イングランド石版画家
が扇に描いたパンとエコーにインスピレーションを得て作曲されました。
午後の紅茶出ていますね。
あのパッケージの絵のモデルはアンナ・マリアだそうですよ。
コッツウォルズ、私も行きました!
美しいところでしたね。
アフタヌーンティー頂かれたのですね。いいですね。
イギリスは、食事はイマイチですが
お菓子は美味しかった覚えがあります。
午後の紅茶という商品名の紅茶も出ていますね。
イギリスに行った時、アフタヌーン ティーの出るところに入りました。ロンドンからの日帰りバスツアーで、コッツウォルツに行った時です。