水曜日ピアノのTさんが来てくれました。
冷やして食べるパイ、持ってきてくれました。
冷蔵庫に入れておいて、さんざんしゃべってから取り出して食べました。
サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂1296年から140年をかけて建築された
デュファイとバンショワ
コロナから、3年ぶり。
すごいうれしい。
「腕がなまってるから、もう弾けないよ〜。」
と、言ってたけれど、「大丈夫!」
子育てサロンのクリスマスコンサートをお願いしました。
冷やして食べるパイ、持ってきてくれました。
冷蔵庫に入れておいて、さんざんしゃべってから取り出して食べました。
3年の間にいろいろあったものね。
おしゃべりが止まらない。
プライベート過ぎで書けないけど…。
ギョーム デュファイ(1397-1474年)ブラバント公国ベーアセル?生まれ、フランス王国カンブレー没
少年合唱隊で音楽を学びます。
1414年サンジェリー教会で働き始めます。
4年間コンスタンツ公会議(対立していた2人の教皇を廃止し、話し合いと合議によって新教皇を打ち立てました)に同行します。
1418年リミニ宮廷に移り作曲を始めます。
1435年教皇疔の歌手になります。
1436年サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂の献堂式のために「バラの花が咲き頃」を作っています。
サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂1296年から140年をかけて建築された
デュファイは1436年この献堂式(建立式)のために曲を書いた
1439年ブルゴーニュ公に仕えます。
1459年カンブレーに戻り、オケゲム、ビュノワ、ジョスカン・デ・プレと親交を結んだと思われます。
生涯各地を転々としたおかげで
百年戦争の休戦期にイングランドのジョン・ダンスタブルが伝えた3度や6度の協和音程。
フランスのイソリズム(一定のリズムを繰り返す)を含むポリフォニー音楽(複数のパートからなる音楽)。
青年期に接触した旋律優位のイタリア音楽(トレチェント音楽)を統合し、イタリアで活躍したフランドル人チコーニアなどの影響を受け、
ルネサンス音楽を開拓しました。
宗教音楽も多く作曲していますが、世俗音楽も多く、「人間」を感じさせる作曲家と言われています。
長い戦時下の世界に生き、140年の聖堂の建立に立会い、合議、話し合いによる成功を一度は経験したデュファイ。
デュファイとバンショワ
その歌に耳を傾ければ、現代の私達の世界も変わるかも。
デュファイの世俗歌謡
「さあ、仲間たち目ざめよう!」
さあ、仲間たち、目覚めよう!
もう心配しないで
すぐに楽しい時がやってくる
私たち全員が幸せになれる
私はお願いする
偽りの嫉妬深い人達の言うことを気にしないで
彼らが何を言おうが
私から皆さんに乾杯です。
フション、エヌール、アンブロ、アンリ、ジャン、フランソワ、ユーグ、ティエリー、そしてゴデフリン、
皆に伝えます
自分自身を明らかにしましょう
もううるさく言うのはやめましょう
タントストは幸せな時間を売ります
私たち全員に良いことが起こりますように
お願いがあります。
この記事のこの部分を↓
🍀🍀
偽りの嫉妬深い人達の言うことを気にしないで
彼らが何を言おうが
私から皆さんに乾杯です。
🍀🍀
転載させていただきたいので、この記事をリンクさせてください。
フィレンツェには2回行きました。大聖堂にも入りました。1回目はツアー、2回目は個人旅行でした。ルネサンスの花開いた街で、街並みも素敵でした。
ご迷惑をかけてしまうかもしれませんのでリンクのお願いは取り下げます。
いつも素敵な記事を読ませていただきありがとうございます。
リアクションボタンもたくさん押していただき、感謝しています。
許可は必要ありません。
ただ翻訳は正確では無いかもしれません。
素敵な街ですよね!
それでは、また機会を見つけて使わせていただくかもしれません。
ありがとうございました。