ブルーベリーの実が色づいてきました。早く採らないと、すずめに食べられてしまいます。今シーズンはまだ一粒しか、人間様の口には入っていません。すずめの方が早いのは命がけだから。当然です。
「わが闘争」を読んでいると、ヒトラーと、私との違いは紙一重なんだと思えてきます。
国民の生活を考えていると、言い、国民の医療、福祉、貧しい人を救いたいと彼は言っています。
愛する国民のために。
悪いことをしようとして悪いことをする人は少ないです。ヒトラーは、英雄としての自分に浸りきっていたのかもしれない。ドイツ国民を救う英雄。女性に人気があったそうです。
彼のような自己陶酔型の人は、結構たくさんいて、私の中にも、そういうところはあります。ありがたいことに、ヒトラーのような権力を私に人々が持たせることはないから助かっていますが。
ジーン・シャープは、独裁者は、支える人間がいなければ生まれない。と書いています。
いろいろな理由で人は、独裁者を赦します。
勝ち馬に乗って利益を得たい、単純に暴力が怖い、仲間として扱われたい、面倒なことに巻き込まれたくない、争うのがいやだ、自分にまずいことがふりかかってくるかもしれない。
大声で主張したり、乱暴な手段で何かを得ようとするのは、たとえ、内容がどんなに良くても、取り合わない。と言うことが、常識になるまで、第二、第三のヒトラーは生まれてきます。
そして、どんな小さな声でも、どんなに気に食わない意見でも、聴きあう。と言うことを決めなければ、また、独裁者を育ててしまいます。
それは、政治の世界の話ではなく、家庭や学校でも充分に起こりうることなのです。
傍観すると言うことは、加害するのと同じということを良識ある人々が、認識しないことには、いじめはとめられない。勇者は、剣を振るうのではなくて、いかなる時も、静かに発言するのです。
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