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涙の流行した時代に

2023-01-21 08:52:00 | ルネッサンス
京都知恩寺の近くに多肉植物専門のお店がありました。

店先にサボテンの自販機。
手作りの売れる街はこうやっておもしろいチャレンジが赦されています。

うちの多肉ちゃんも育っています。
近所の縁日で買ってきたものです。
商店街の中にある陶芸と多肉が趣味の方の手作り。
器を作っているうちに合体して作ることを思いついたそうです。
うちの小さなサンルームで何年もそのままで生きています。

多肉植物は寒いヨーロッパでは戸外では育ちません。
温室ができたことで普及しました。

紀元前48-33年の元帝(前漢)で使われていた記録があります。
季節を外れた頃に温室でできた植物を食べるのは健康に悪いので温室に使う燃料を削減してください。と言う上奏が残っています。

ヨーロッパではローマ帝国紀元前1世紀
透明石膏(セレニウム)

で作った家に油を塗ってきゅうりの苗を寒い夜に入れて育てた。と言う記録があります。

本格的な導入は17世紀以降、ガラスの技術が向上してからです。

上流階級が熱帯の果実を育てたもの
野菜を育てたウィンターガーデンでした。

最も古いのはイギリスのオクスフォードの植物園1621年

薬用植物の研究のために建てられました。
1673年にはチェルシー薬草園

と大学に属する研究施設として建てられました。
1759年にはキューガーデンが宮殿併設温室として建てられました。


熱帯植物マニアのケーブル卿が建てたものをオーガスタ妃が拡張しました。

1873年ベルギー ラーケン温室


ベルサイユ宮殿のオランジェリー1684-1686年


などなど、世界中の植物を集めました。

17世紀のイギリスは、ジョン ダウランド(1563-1623年)
イングランド生まれ、不明没


1588年にオクスフォード大学で音楽博士になりました。
エリザベス女王の宮廷楽士になろうとしましたが、なれずに、海外に職を求めて放浪。
フランスにも行き、一時期カトリック教徒になります。
そのためプロテスタントが主流のイングランドでは宮廷で務めることが難しく、ヴェネツィア、フィレンツェ、ニュルンベルクを放浪しました。

1598年ー1606年デンマークのクリスチャン2世の宮廷楽士として務めます。
イングランドに戻り、1612年リチャード1世のリュート奏者になりました。

「涙のジョンダウランド」と自称。
イタリアでは「不幸なるイングランド人ジョヴァンニ デュランデ」と名乗りました。

「人を救う技芸はその主を救うことあたわず」
「運命の女神の祝福を受けざりし者はただ憤るか泣きはらすのみ」
をモットーにしました。
「常にダウランド、常に嘆いている」
と自分の名前にかけた曲も書いています。

しかし、トーマス フラーは87曲の現存する曲のうち14曲しか明確に厭世的な曲はなく、実は快活な人だったのではないかと言っています。

16世紀からイタリアで神秘思想が流行し、大陸での流行をいち早く取り入れ、またパトロンのルーシー ラッセル(ベッドフォード伯爵夫人)もそういう思想を好んだのでダウランド自身が作った人物像だと言っています。

ボールトンによれば
資料の事実的根拠はなく、1595年イングランド政界の重鎮ロバートセシル
に宛てた手紙ではリュート奏者になれなかった不満が噴出し、宗教のせいで拒まれたと信じ込んでいて、そう明るい人物ではなかったと書いています。

リュート歌曲集から
Time stand still 時が静止する










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