副反応で寝ていると、次男が里山の写真を送ってくれました。
山城は桜が、まだ満開だったそうです。
菜の花も…。
ポール アブラハム デュカス(1865-1935年)
フランス帝国パリ生まれ、フランス共和国パリ没はユダヤ人として生まれ、
父は銀行家ジュール、母はピアニストの次男として生まれました。
5歳でピアノを学びますが、14歳まで才能を発揮しなかったそうです。
5歳でマルグリット ルーシーを生むと母は亡くなります。
独学で1882年パリ音楽院に入学。
和声をデュポア、作曲をギロー、ピアノをマティアスに学びます。
この頃ドビュッシーと知り合い生涯の友となります。
1889年作曲でいくつかの賞を受賞しますが、思ったような成績を残せず絶望してルーアンで従軍します。
しかし当地で軍楽隊のバンドマスターと知り合ったことをきっかけに音楽評論家への道を歩みます。
1897年「魔法使いの弟子」を作曲、
1901年「ピアノソナタ」がピアノ音楽史上もっとも野心的な作品と評価されます。
1912年までに数々の名作を発表し評価はたかまります。
1910年パリ音楽院管弦楽科教授に就任します。
1916年スザンヌ ペレイアと結婚。1919年長女アドリアンヌ テレーズが生まれます。
1927年にはパリ音楽院作曲家に就任します。
もともと寡作でしたが、1912年「ラ ペリ」以降ほとんど作曲せず、完璧主義のため1920年以降にほとんどの作品を破棄してしまいます。
1912年バレエ音楽「ラ ペリ」
ギュスターヴ・モローによるペリ
ペルシャ神話 アレクサンドル ロマンス(マケドニアのアレクサンダー大王の生涯と空想を交えた伝説群の総称、ヨーロッパからアフリカ、中国にまでおよび、東方ではイスカンダル双角王、西方ではアーサー王まで)
イスカンデル王と妖精ペリの不老不死をめぐる物語です。
イスカンデル王とペリ
「星々の光が弱まってきたのを見た王イスカンデルは、不死の花を求めてイランの地をさまよい歩き、ついに地の果てまでやって来た。彼はオルミュツの聖所に通じる階段に、ペリ(仙女)が胸にリュートを抱き、手にエメラルド色に輝く蓮の花を持って眠っているのをみつけた。
イスカンデルはその手から花を奪い取ったが、目覚めたペリの美しさに一目で惹かれてしまった。すると彼の心の内を映し出すかのように蓮の花は赤くなり、ペリはイスカンデルの欲望を知る。
悩ましげな踊りを踊りながらペリはイスカンデルに近づき、頬を触れる。イスカンデルが思わずペリに花を返すと、ペリの姿は光の中に溶け入り、消える。」
(浅井香織・抄訳 ジョルダン指揮のCD・WPCC-4476より
次男さん 優しいですね
桜の元気 しっかり届いたようですね
白湯がいいようですので こまめにとるといいかもですよ
体調が戻るまでは 無理に動かないでゆっくりなさってくださいね
きっと お好きな音楽の音色が回復を早めてくれるような気がします
お大事にしてくださいね
( ^^) _旦~~
アドバイスもありがとうございます。白湯飲んで、元気になって来ました。