音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ショパンの母

2022-05-20 22:09:20 | ロマン派
母の病院通い。

ドクダミと

紫陽花が咲いていました。
珍しくお昼からだったので、MRIを撮って

待ち時間にモンブランを食べて
京田辺に戻って、平和堂で母ご指定のお茶を買って、あれこれ買い物して帰りました。
もう午後7時30分。
一筋縄では行かないです。

母で苦労した作曲家で引いたら…ありませんでした。

ユスティナ クシシャノフスカ ショパン(1782-1861年)
は、3人兄弟の一番下。上流階級の出で、1800年に没落し、1805年父が亡くなるとスカルベク伯爵夫人の家政婦、乳母として雇われました。
そこの家庭教師ニコラ ショパン(フレデリック ショパンの父)


と結婚しました。

ニコラはヴァイオリンとフルートをユスティナはピアノを演奏して、伯爵夫人のゲストを楽しませていました。

1807年ワルシャワで長女ルドヴィカ(1807-1855年)

を、ジェラゾヴァ・ヴォラで1810年にフレデリック(1810-1849年


をワルシャワで1811年次女のイザベラ(1811–1881)


とエミリア(1812–1827)


を出産します。

サスキ宮殿



の教員に提供されたアパートに住み、家賃収入を得るため学生を寄宿生として受け入れました。

ルドヴィカは母からピアノを学び、それをフレドリックに教えました。

フレドリックは7歳になるまでに、二人の技術を超え、家庭教師が雇われました。

1817年、家族はカジミエシュ宮殿

の教員住宅に移り10年ほど暮らし、1827年にヴィンツェンティクラシンスキー宮殿


に移りました。
1844年フレデリックが亡くなります。
フレデリックを見送った後、楽譜を管理し夫とイザベラ家族と住みました。
1861年ワルシャワのモザイスキー宮殿


のアパートで亡くなります。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿