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父、帰る

2004-12-07 22:46:56 | TV/映画/舞台
見たのは日曜なのですが、いまだに重苦しさがつきまとって離れないような感じです。あれこれ考えずにはいられない映画です。

一つには画像のせいなのでしょう。おそらく夏の話です。でも画像処理で、いつも曇っているような、モノクロにさえ見えてしまうような画面が続いていきます。


話はわりあいシンプルです。母親と祖母と暮らしていた兄弟(アンドレイとイワン)のところに、顔もおぼえていなかった父が12年ぶりに帰ってきます。そして二人を旅につれだすのです。兄弟に厳しくあたる父を兄のアンドレイは慕い、弟のイワンは反感を抱きます。いきなりふってわいた父の都合で、二日であったはずの旅は、延長され、当初の目的地であった滝に向かう前に、三人は無人島にでかけることになります。そして悲劇が・・・

物語の上で、いろいろな謎は提示されます。そもそも、父親が謎めいた存在なのです。

いったいなぜ12年前に家から離れたのか。どこで何をやっていたのか。突然帰ってきた理由は何か。父が旅行の予定を変更するきっかけとなった電話の相手は誰か。無人島で父が掘り起こしたものはいったい何だったのか。

父の謎はまったく解きあかされず、映画は終わってしまいます。

最後に家族全員が写った古い写真が父の車につまれていたこと、反抗的で扱いにくいイワンを見る目が一瞬優しくなるなど、おそらく家族を愛していながら、長年離れていたばかりに、特に下の息子とうまくおりあえない父親と、厳しく不可解な現実の父親にとまどう息子たちのリアルな葛藤。かたくなに「イワン」と呼び続けていた父が、最後に愛称の「ワーニャ」で呼びかけ、愛情を見せたときには手遅れだったというのはやるせないものがありました。

が、それだけではない映画なのです。おかげでこの数日、考え込むはめになりました。


意味深な象徴がいろいろでてくるのです。

まず、キリスト教のモチーフ。

曜日がずっと記され、ちょうど一週間で終わるのは、聖書の創世記そのもの。また、父親はキリスト教にいろいろ結び付けられてます。写真が宗教画がたくさんかかれた本にはさまっていたり、家族全員で最後の晩餐のようにぶどう酒を飲んだりしています。また、映画を見てるときは気がつきませんでしたが、帰宅して寝入っている父の姿が「死せるキリスト」(たぶん、マンテーニャ作)をもじってあるのだそうです。「父なる神」とだぶらせてあるのか、という気もしないでもありません。

ギリシア神話のモチーフもあって、オフィシャルサイトのプロダクション・ノートによると、無人島に向かう舟は三途の川で、父親は三途の川の渡し守に見立てているようです。最後にそのボートは沈んでしまうのですが、冒頭のシーンでそのボートらしきものがうつった水中の映像がでてきて、なにやら不気味です。

そして、タルコフスキーを連想してしまった水。まず冒頭から何度もでてく冷たそうな水面、水底、雨、湖と、執拗なぐらい水がでてきます。タルコフスキーとちがうのは、水は一度も光を反射したりしないこと。常に、体温をうばていきそうな不愉快で不気味な水です。湖が三途の川にみたてられているのですから、ここでの水は、恐怖や死と結びついているような気がします。それにおそらく父とも。水は父親のシンボルによく使われるかどうかは知りませんが。

となると、単なる親子の葛藤を超えたシンボリックな話ということになります。実際、監督が、「これは人間の魂の、母から父への、形而上学的な旅についての映画である」というコメントをしています。う~ん、たしかに、目に見えてわかる愛情を示してくれ、甘えられる母との安定した定住生活から、不可解で厳しい父との荒野をさまよう旅にでていく兄弟の話です。しかも父がキリスト、黄泉の使い、水と結び付けられているとなると、まったく一筋縄ではいきません。

考えれば考えるほど、深みにはまっていきそうな映画です。

構図を含む映像、シナリオ、音楽、俳優とすべてがすばらしいので、また見たいものです。すべて理解できるとは到底思えませんが。でもわかった気にならないほうがいいのかもしれません。一つだけの解釈ですべてしばってしまうには、もったいない気がします。



父、帰る Official Site

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