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なんでだろうと思う気持ち

なんとなくなんでだろうと思うことを調べ
興味を持つことの楽しさを共有できればと思います。

なんでだろうと思うこと

2010年07月30日 | 日記
<馬場横丁とは?なんだろう? その2>

江戸時代に千人隊拝領の馬場が宗格院の北側現在の五小前の通りに有ったので当時からこの所
より宗格院迄の道を馬場横丁と呼んでいた、此の度その歴史と名称を永く後世に残すため山梨
中央銀行の協力を得てここに碑を建立す、平成四年五月吉日千人町二丁目町会
と書いてありました。
馬場とは軍馬を繋養する所、厩のある場所。騎馬修練所や馬の乗り継ぎの場所。また、それに関係した地名や人名のこと。
横丁とは、表通りから横へ入った町筋や、小道のこと。
江戸時代、この場所で千人隊が馬に乗り、訓練をしていたようです。
皆さんも近所の石碑を注意してみて下さい。
思わぬ郷土の歴史にふれあうことができると思います。

なんとか身近な7つの何だろう(不思議)について調査報告することができました。
来週からは、少し方向性をかえてみようかなと思います。

なんでだろうと思うこと

2010年07月30日 | 日記
<馬場横丁とは?なんだろう? その1>

甲州街道を歩いているとこの石碑が建っていました。
交差点にあるなんか唐突な感じの石碑です。
馬場横丁とあります。
横丁と聞くと、菓子屋横丁や、長屋の横丁なんてのを思い浮かべます。
馬場横丁とはなんなのか。
見た所なにも普通の交差点と変わりはなく、古い建物等もありません。
後ろにまわってみると何やらいわれが書いていました。
続く

なんでだろうと思うこと

2010年07月29日 | 日記
<川? なのだろうか??? その3>

先程の写真は川下、今度の写真は川上(川ならばだけど)
川の意味がわからないと話にならないので調査します。
川とは、地上に降った雨などが集まり、海や湖に筋となって流れる水のことです。
生活排水のみが流れているのは、川ではないとういうことです。
よーく地図を見るとトンネルのようなものが川下にあります。
これを国土交通省、国土地理院のホームページを参照してみると
http://www.gsi.go.jp/KIDS/map-sign-tizukigou-h11-02-02tikanosuiro.htm
地下の水路という分類に入るようです。
ということは上流は???たぶん住宅地の中の地下水の湧いているところから
下流は地下に潜るということでしょう。
短いけど河川という扱いなんですね。
意外と地図を眺めてみるとこのような川の表記があることに気が付きます。
皆さんも自宅の周辺の地図を見ると見つかるかも知れませんよ。
では、明日。

なんでだろうと思うこと

2010年07月29日 | 日記
<川? なのだろうか??? その2>

今日は小雨で涼しくて助かります。
先程の地図の場所に歩いて行ってきました。
写真のようなものでした。
小川のような物を期待していましたが、雨水用の少し大きい物なのでしょうか?
なんだか想像した物とは違ってます。
川?なのか?
普通の地図には雨水用のU字管なんか記入してないと思う。ということは川なのか?
続く

なんでだろうと思うこと

2010年07月29日 | 日記
<川? なのだろうか??? その1>

不思議に思うことの6番目は、地図を見ていてなんだろうと思ったことです。
この地図良く見て下さい。
川らしい表示が住宅街の真ん中にあります。
また、長さも短いし、川上??川下???も、あるようなのです。
でも、よーく見ると他の場所にも、地図にこんな表示があるのです。
なんなのかな。湧水でも湧いているのか。小川になっているのか。
でも、川って源流があって海にまで流れるんじゃなかったんじゃないのかな。
ともかく、行ってみてきます。
続く

なんでだろうと思うこと

2010年07月28日 | 日記
<このコンクリート。。。邪魔だよね。その3>

今は無き多摩御陵線の橋脚は時代の流れを感じさせます。
少し歩くと開かれた場所がありました。ここが御陵前駅のあったであろう場所のようです。
この駅のあったであろう場所から、橋脚のある場所を見てみるとなるほど、そこにレールがあったように、
軌道のように建物がないように見えます。
なんとなく地方のローカル電車が橋の上を走っていくのが見えるようです。
さて、不思議な大きな邪魔なコンクリートについて書きました。
七不思議にはネタがつきてきましたが、なんとか明日の原稿を探してみます。
では、また明日。

なんでだろうと思うこと

2010年07月28日 | 日記
<このコンクリート。。。邪魔だよね。その2>

この有名な橋脚。全く知らなかったので、いろいろ調べてみました。
1931年3月20日から1945年1月21日までの間、北野駅から御陵前駅まで約6Kmを電車が走っていました。
京王電気軌道株式会社が、大正天皇崩御により造成された多摩御陵への参拝者を運ぶために作られたそうです。
時代の変化と、交通事情の変化等の諸事情から廃線となりましたが、この橋脚が今はその歴史を残しています。
なるほど、そういう歴史を知ればこのコンクリートも威厳のある姿に見えてきます。
もう一本の橋脚です。
続く

なんでだろうと思うこと

2010年07月28日 | 日記
<このコンクリート。。。邪魔だよね。その1>

まずは写真を見て下さい。この大きな大きなコンクリートの塊。
邪魔そうですよね。何かの建造物が完成せずに放置されたのか。
それとも、崩壊してしまったあとなのか。
それにしても、邪魔そうです。
何だろうかと調べてみました。
実はこの大きなコンクリートは橋脚だったそうです。
この場所、意外と有名な所のようでした。
これは京王御陵線という廃線の橋脚なのでした。
続く

なんでだろうと思うこと

2010年07月27日 | 日記
<黒木開戸緑地というところ。その2>

ここから見る眺めはとてもきれいです。
住宅街のすぐ側にこんな場所があるとは、登って初めてわかります。
図書館等の文献を読んでみると、薪山ともいわれていたようです。
昔から大切にされてきた里山は、今も人々に愛されている場所のようです。
ちなみに開戸とは、開かれた(開発された)土地という意味のようです。
散策しながら、自然と歴史について考えるのも良いかもしれませんよ。
不思議の4番目は里山でした。
さて、明日は5番目の不思議なものをご紹介しましょう。
それは、なんなのこのコンクリートの柱、邪魔だなあという物です。
では、また明日。

なんでだろうと思うこと

2010年07月27日 | 日記
<黒木開戸緑地というところ。その1>

4番目の不思議な場所は、住宅街の中に突然ある山。
やはり急な階段をあがるとそこは別世界。
何にもない空き地?山の広場といういでたちの場所である。
八王子市立黒木開戸緑地といいます。
むかしむかしあるところにおじいさんと、おばあさんが住んでました。
おじいさんは山にしばかりに、おばあさんは川に洗濯に。。
このくだり、皆さんご存知の昔話の出だしですね。
この”しば”をとるための場所だったのだそうです。
つまり、”薪山”です。
学校の校庭で二宮金次郎が背負子にしょっていたあれです。
昔は、燃料はガスや電気ではなかったので、すなわちこの薪が燃料なのでした。
その燃料を絶やさないための里山は大切に管理されていたわけです。
きれいな山ですが、周辺は崖になっており一部では熊笹が群生しています。
このような場所にむやみに入ると、ヘビに遭遇する危険があるので注意しましょう。
きれいな木漏れ日の中、犬の散歩をしている人達がいました。
続く