このブログのかなり初期のころ、インスリンの生まれた場所 ということで、このバンティング博士の博物館を紹介しました。 今更ながらなのですが、実は今日初めてこの博物館の中を見学してきました。 以前紹介した時は日曜日でCloseしていた事情もあったのですが、なかなか興味深かったので少し追加で紹介したいと思います。
バンティング博士は、第一次世界大戦にカナダ医療部隊の一員として従軍し、復員後トロントで外科医の勉強。 そして、オンタリオ州ロンドン市のこの場所に小さな医院を開きました。 その医院のあった家が博物館になっています。 言うまでも無いことですが、バンティング博士のインスリンの発見はカナダのみならず世界の医学史上最大の発見の一つといわれています。
この家に彼がいたのは、実はほんの一年。 しかも、この一角は産業地域だったこともあって、患者さんは全然来ない。 家はタダで貸してもらっていたものの、数か月で診療から得た収入は僅かに4ドルだったそうです(今の価値とはちがうにしても、あまりにも・・・ですね)。 この頃、ウエスタン・オンタリオ大学で内分泌学の講義も受け持っていたそうです。
彼は、患者さんも来ない町医者としては不遇な暇な日々を、専門書を読んだりして過ごしていたらしいのです。 この辺からは博物館のガイドのお姉さんの受け売りです。
そして、運命の日、1920年10月31日 は突然にやってきました(その時歴史は動いた!)。 深夜まで本を読んでいたバンティングは、ベッドの上でハッと血糖値をコントロールするインスリンの存在を予見させるある事を発想したのです。 インスリンは膵臓から分泌される体内物質で、その分泌異常が『糖尿病』になるのです。
これがその日のメモ。 当時それを証明するために必要な設備も、資金も無かったバンティングは、家財を売り払い、トロント大学へ学生として入り、マクラウド教授との共同研究の形で、インスリンの存在を1922年に証明したのです。 その時に片腕となる大学院生ベストとも出会います。
この時代の糖尿病。 特にⅠ型と呼ばれる、インスリンが殆ど分泌されない、若年期に発病することが多いタイプのものは、極端な食事療法で痩せ衰えた末、ただ死ぬしかない大変な難病でした。 上の写真は、初期の頃インスリンの投与を実際に受けた患者さんだそうです。 左上は見るからに痛々しいインスリン投与前の姿です。 右上のいかにも健康そうな丸々した子供が投与一年後。 そして、70歳を超えた今はこんな元気な爺さんになりました(右下)。
当然のことながら、この世紀の大発見はノーベル賞(正面奥)の対象となり、実際に糖尿病を患っていた英国王ジョージ五世からはナイトの称号(左下のメダル)、その他にも数々の勲章を受けています。 ここからはサー・バンティングですね。
サー・バンティングは、絵の才能も豊かで、ここに展示してあるような作品は今でもかなりの高値で取引されるそうです。
この四名の共同研究者たち。 左側がバンティングと助手のベスト、右側がマクラウド教授と助手のコリップ。 ノーベル賞受賞後仲たがいすることになるのですが、インスリンの発明は世の中で苦しんでいる多くの人を広く助けたいというバンディングの主張で、パテントを取らず、彼らは発明そのものからは直接の利益を得ることは無かったそうです。
博物館の並びの建物には研究にいそしむバンティング博士と助手のベストの壁画がありました。 彼の偉業を熱く語る博物館のガイドのお姉さんの様子からも、ロンドン市民、カナダ人がバンディング博士をいかに誇りに思っているかがよく分かります。
Banting House
(Birthplace of Insulin)
442 Adelaide St.
London Ontario N6B 3H8
Tel: 519-673-1752