声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

水底の歌

2019-02-11 11:49:08 | Diary


三連休は引きこもる…と決め込んで

ヒマにまかせて図書館から借りてきた

先月、亡くなった梅原猛さんの著書を、改めて読み返してみる…



この著書の中の、梅原先生の主張である「柿本人麿考」には反論も多く、

真実は未だに謎だけれど、


45年前に出版された「水底の歌」には

それまでの常識を覆す思い切った論文を発表した当時の著者の想いと情熱が感じられ、

史実としての真実や如何に…という事より、

ミステリアスで謎めいた人麿像が引き出され興味深い。


それに、

この「水底の歌」は私の郷里、島根県益田市に深く関係している…


読んでいるうちに、

( ああ、アレは…そうだったんだ! )

という新たな発見も多く、

例えば、その最たるものが


雪舟庭園で有名な万福寺にあった、本物の頭蓋骨だ。

私は、それを34年前、

夫の両親を案内して万福寺を訪れた際に

ガラスの陳列棚に置かれているのを、実際に見て知ってはいたが、

なぜ、それが万福寺にあるのかを

「水底の歌」を読んで初めて理解した。


そして、

郷里にある柿本神社の由来や伝説に改めて興味を持つと同時に、


今から、30年以上前

すでに小学校長を定年退職していた伯父が、
目を輝かせながら、

「梅原猛さんが、鴨島の調査に来て、高津沖の海底で地震による地盤沈下の跡を発見したそうな…」

と、嬉々として話していたのを思い出した。


温厚で普段は無口でおとなしい伯父が、
あんなに少年のような目をして雄弁に語ったのは

私にとっては、
後にも先にも、あのときだけだった。


昨年9月に伯父夫婦の法要で帰省した際に

鴨島があった?とされる高津の海岸を訪れたが、

日本海は台風一過で荒れていた。
写真は、そのときの海だ。


梅原先生によれば、

この海で、和銅元年(708年)の今から1310年前に

柿本人麿は最期を迎えたとされている。


私の母校の校歌は

『歌の聖と絵の聖…』という歌詞で始まるが

歌の聖は、柿本人麿を指す。
絵の聖は、雪舟である。


かつて石見(いわみ)と言っていた郷里は、辺境の地ではあったが、

それほどの文化人が訪れた場所であった事を嬉しく思うと同時に誇りに思う。


「水底の歌」を読むと、

謎めいた人麿像とともに故郷の石見地方が
数々のミステリーを生み出した

“ワンダーランド”に思えてくる…

故郷に帰りたい。


YouTubeにアップした曲では校歌がアクセスNo. 1なり。


島根県立 益田高等学校 校歌

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