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2000年11月21(日)緑・花認定試験 (10年前に書いた閑話)

2010-11-22 15:50:34 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
2000年11月21日(日)緑・花認定試験 (10年前に書いた閑話)

樹木や草花の名前には弱い方である。努めて覚えるように心がけているのだが、すぐ忘れてしまう。それでも、ありふれたスギとヒノキの区別ぐらいならできる。ところがそれすら分らない人が増えているという。現物を見たことがないからか、無関心だからか、とにかく植物音痴が増殖しているのだそうだ。

そこで、「緑・花文化の知識認定試験」が来年3月から毎年1回行われることになったという。建設省の外郭団体である公園緑地管理財団が、日本文化と深い関わりを持っている草木や花に、もっと関心を持ってもらおうと始めるのだそうだ。

植物の名を知らなくても日常生活にさほど支障はないし、知っていたからといって得をするわけでもない。しかし、文学や芸術の世界に登場する植物を理解することなしには、日本文化の基層に触れることは不可能である。

そういう観点から、試験の問題は文化に重点をおいたものを考えているそうだ。新聞報道で例示されていたものを見ると、左近のサクラに対して右近は何かとか、節分の日に魔除けとして門口に飾る風習がある木は何かといった類の出題で、解答は五者択一方式。正解数によって5級から特級までの認定書を与える。

何だか面白そうなので、受験を申し込んでみようかと思った。昨日、裏山を散策した序にどれだけの草木を特定できるか試してみた。マツやスギ、モミなどはすぐ分るが、今紅葉している雑木となると、とたんに怪しくなる。ナラとカエデの区別はできてもコナラかミズナラなのか、ウチワカエデかヤマモミジか、とっさに判断するのは難しい。

それよりショックだったのは、名前が分からない草木がやたらに多いことである。知っているのはほんの一部分で、ほとんど知らないと言った方に近いのだ。おそらく裏山に生えている植物はみんな、れっきとした名前を持っているのであろうが、その大部分が何なのか分らないとは情けない。

これでは試験を受けても結果は目に見えている。申込締切までまだ間があるから、もう少し勉強してから結論を出すことにした。


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2000年11月22日(月)便利と迷惑

天気とにらめっこして、あす松島湾の島に住む友人O君を訪ねることにした。穏やかな晴天でないと海はつまらないからだ。友人の都合を聞くとOKだと言う。「誰か一緒に来るの」と聞かれて、日程がお天気次第だからまだ誰にも声をかけていなかったことに気付いた。

後で連絡することにして電話を切り、O君と親しい友人数人に電話を入れて都合を聞いた結果、そのうちの一人が同行することになった。

こう言う急ぎの場合は電話はとても重宝で便利な道具だと思う。電話が普及していない時代だったらこうは行かない。連絡を取ろうにも、てくてく歩いて歩いて行くか、電報を打つかしなければならない。もっと時代を遡れば、遠隔地の人と明日のことを今日打ち合わせることは不可能だったはずだ。

そんな訳で日ごろ電話にはたいへんお世話になっているが、便利なるがゆえにいろいろ不都合なことも起こる。電話による迷惑は例をあげるまでもなかろう。ただ人それぞれに迷惑の種類も度合いも違う。

小生の場合、いちばん煩わしいと思うのは、こちらの都合を無視して一方的にベルが鳴ることだ。トイレに入っていようがお風呂の場合であろうが、お構いなしに鳴るベルを何とかできないものだろうか。留守番電話にしておいて、後で聞く手はあるが、ベルが鳴り止むまでイライラする。本当に留守でないときの留守電は、緊急の電話だったらどうしようと思うと踏み切れない。

その点電子メールはいい。郵便やはがきのように郵便受けに入っていて、好きなときに見られる。耳障りな音がしないし、かなり長い文でも秒単位で相手に届く。ただ電話のように相手が出ないから、読んでくれたかどうか分らないのが難点だ。返事をくれれば別だが。

こうしてみると、20世紀は通信革命の時代と言われながら、まだ人間を満足させるまでに至っていないのだなと思う。21世紀には通信の世界にどんなことが起こるのだろうか。迷惑をかけない、悪用されない、より便利な通信手段が実現するのだろうか。


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2000年11月23日(火)落ち葉集め

今日は「勤労感謝の日」だから働かないことにして―といっても今日に限らず労働らしいことはしていないのだが―、一日海で遊んでくる。昼飯は島で採れるものを用意するから、飲みたいものだけ自分で調達してくれという、ありがたい申し出だ。同行する友人は港までの行き帰り車を運転するからアルコールはご法度だ。となると、車を運転する友人には悪いが、小生と島の友人だけが缶ビールやカップ酒をうまそうに飲んで見せることになる。

てな訳で、昨日は珍しく、このごろ日課になっている落ち葉集めを2日分以上こなした。別に1日分の量をいくらと決めてはいない。だいたい大きな肥料の空き袋に、ぎゅうぎゅう詰めにしてにいっぱいになったら止めることにしている。

この時期の落ち葉の量は半端でない。何しろ家の裏から山だから、落葉樹の葉っぱが集めても集めても無尽蔵に落ちてくる。これが隣の屋敷からだったら文句の一つも言うところだが、山が相手では苦情を申し立てるわけにも行かない。山のものは山に落ちてくれればいいのに、この時期は風が西か北から吹くので、うちの屋敷が落ち葉の集会所になるのである。

袋詰にした落ち葉は腐葉土にするのだ。別に面倒なことはない。適度に湿らせてときどき天地返しをしていれば、来年の春には使えるようになる。油粕かボカシを混ぜると分解が早まる。これを鉢やプランターの土に混ぜて使うわけだが、こなれないものを使うとドングリやらなにやら変なものが生えてくる。

落葉が済むまでには、袋が足りなくなる。余った落ち葉は枠の中に土と交互に積み重ねて踏み固める。これも天地返しをすればいいのだが、そのままにして置いただけでも1年も経てば、葉はボロボロになってこれも立派な用土になる。

労力と時間は食うが、天然の贈り物を利用しないのはもったいない。幸い、時間はたっぷりあるし、労賃はただだ。おまけにいい運動になる。街路樹の大量の落ち葉はどう処分しているのだろう。


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2000年11月24日(水)海での一日

昨日は最高の一日だった。O君のヨットで晩秋の松島湾を満喫した。とても11月下旬とは思えない小春日和で無風。べた凪で帆走できなかったのは残念であったが、遠く牡鹿半島を望む外洋近くにヨットを漂わせて、ゆったりしたうねりに揺られながら、O君が捕った小エビの佃煮、チーズとナッツを摘みにワインを飲んだ。

どこまでも真っ直ぐに伸びて行く飛行機雲を眺め、降り注ぐ陽光と海の香りに包まれていると、時間が止まってしまったかのような不思議な感じがした。海は心が安らぐ。嵐や冬の荒れた海は別だろうが、穏やかな海は揺りかごの中にいるようだ。人間の遠い祖先が海で誕生し、その遥かに遠い思い出が、現代人の遺伝子にも受け継がれているからかもしれない。

昼食は島に上陸していただいた。O君の奥様の手料理である。防波堤の日溜りにシートを広げ、ライフジャケットを座布団代わりにして座った。シートに並べられた料理の材料はほとんどO君夫妻が作ったり海で捕ったものばかりである。

シュンギクのゴマ和え、蕾菜のお浸し、ブロッコリーのマヨネーズ味、カブラとミョウガの浅漬け、アナゴ飯等々。野菜は石ころだらけの斜面を何年もかかって耕して作った畑で収穫したものだし、アナゴはO君がわざわざドウを仕掛けて捕ってくれたものである。

どれもこれも、ご夫妻の労力と心遣いがいっぱい詰まったものばかりだ。どんな高級料亭でも味わえない真心の味がした。新鮮な野菜はうまいし、アナゴ飯は大好物と来ている。お土産のつもりで持参したワインを飲みのみ、同行のS君と遠慮なく頂いた。

O君のヨットは三隻目である。前回乗せてもらったのは7人が寝泊まりできるイギリス製双胴の大きなヨットだったが、維持やメンテナンスがたいへんなので、今春アメリカ製の小型ヨットに替えたのだそうだ。条件の良い日にはこのヨットで奥様と海に出、ときには借りている小型漁船で魚を捕り、海に出ない日は畑仕事と読書、もの書きをいているという。

誠に羨ましい生活と傍目には見えるが、ほぼ自給自足の生活を続けるのは容易なことではないらしい。たまに訪れる部外者はそんな苦労も知らずに、ただただ楽しませてもらった。O君ご夫妻本当にありがとう。


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2000年11月25日(木)思いこみ

埼玉県越谷市の資源化センターで、今年5月ごみの中から見つかった現金1900万円の保管期限が切れ、越谷市のものになるそうだ。間違ってごみと一緒に出したものか、金が有り余って捨てたものか、曰く付きの表に出せない金を隠したのか分らないが、「落とし主?」が現れなかった。

小生なら一万円無くなっても大騒ぎする。ついこの間も、財布をいつもと別の場所に置いたのを忘れて見つからなくなり慌てた。もしかして酔ってタクシーで帰宅した時に落としたかもしれないとも考えた。もしそうなら、現金は大したことがないが、カードを悪用されたら困ると心配になった。

しかし、落ち付いて考えてみると、玄関先までタクシーで来てお金を払ったのだから、タクシーに置き忘れることはまずない。また、その夜頂いて財布に入れた名刺がデスクに置いてあるのは、財布を家の中まで持ちこんだ証拠である。

でも、その先がどうしても思い出せないのだ。家内に聞いても知らないと言う。その夜着ていたジャケットやズボンのポケットを探したが、出てきたのは半分空になった、たばこの箱だけである。

外出の時間は迫るし諦めかけたころ、はいていたズボンの色がモスグリーンではなく濃紺であったことを思い出した。飛んで行って後ポケットを探ると、あった。なぜズボンの色をモスグリーンだったと思いこんだのか分らないし、それより不思議なのは一度取り出した財布をまたズボンのポケットに戻した理由である。

「酔っ払いのすることはそんなもんだ」と言えばそうかもしれない。でも、間違った思いこみとその後の行動が人生を大きく狂わせることもある。オウムやライフスペースに捕り込まれた人たちは、それこそ「思いこんだら命がけ」なのだろうから恐ろしい。

高度文明と物質的に恵まれた「先進国」に住んでいることが、何かと便利で幸せだと感じてはいる。でも、本当に幸せなのだろうか。物が乏しくて、もっと不便であった時に比べて、生活の充足感が高まっただろうか。人生の喜びが増えただろうか。

何だかこの平穏な生活が、思いこみと錯覚の上に成り立っているような、そんな気がふとすることがある。


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2000年11月26日(金)小鳥たち

庭木の枝に吊るしたフィーダーに入れてあるヒマワリの実が、毎朝空っぽになっている。最近まではいくらか残っていたのだが、食べに来る小鳥が増えたのだろう。そう言えばシジュウカラやヤマガラの姿を頻繁に見かけるようになった。

シジュウからやヤマガラは留鳥だから年中来ているはずだが、春から秋にかけては木の葉が茂っているので見落としているのかも知れない。来ているのならフィーダーの餌も減りそうなものだが、暖かいうちは昆虫など他のものを食べているのだろう。

彼らがフィーダーに集るのは、これから来春までである。ヒマワリや麻の実をくわえて近くの枝に移り、器用に殻を剥いて食べる。冬の寒さに備えてカロリーの高い脂肪質の餌を多く摂るようになるのだろう。牛脂も大好きだ。針金などで食べやすいように吊るしておくと、たちまちなくなる。

食べた後は水が欲しくなるようだ。フィーダーの下の庭石に置いてある水入れから、うまそうに飲んでいる。厳寒期に水が凍ると水入れの縁に止まって戸惑っている。

喧嘩別れしたのか数が減ったスズメが、また元の大集団に戻った。意見が合わないと集団から離れたのか、追い出されたのか、その辺の事情は定かでない。しかし、迫り来る冬を前に餌を巡って休戦協定が成立したに違いない。

スズメの数が減ったとき、キジバトが餌場に来るようになった。ハトがスズメを追い払うわけではないが、1羽で餌入れが占領されてスズメはうろちょろするばかり。家内はスズメの餌を横取りするのはけしからんと、見かけるたびにハトを追い払っていた。

ところがスズメの大集団が復活すると、ハトはぱったり来なくなった。集団の力に圧倒されたのだろう。

今朝、裏庭の柿の木にルリビタキが来ていた。先日はジョウビタキを見かけた。雑木の葉が落ちると小鳥の姿が良く見えるようになる。いよいよバードウオッチングの季節である。


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2000年11月27日(土)冬の花

寒波が来ている。仙台地方は今朝初氷がはったそうだ。昨日までに寒さに弱い植物を室内に取り込んでおいて助かった。もう1日遅れたら危うく一昨年の二の舞で幾鉢かの植物を枯らすところだった。

我が家の場合、毎年室内で越冬させる鉢物は30鉢弱だからたいしたことはない。しかし室内の棚の掃除に始まり、枯葉や雑草の整理、鉢や水受けの皿を洗浄して全部並べ終えるまで2日がかりだった。作業の手際が悪いのかも知れないが、結構時間を食う仕事である。

シンビジウム、シャコバサボテン、デンファレなど冬の花は、たいがい頂戴物が何時の間にかたまったものなので、粗末にはできない。寒さから守ったり、植え替えをしたりする世話が、ときに煩わしく感じるところを見ると、小生は本物の植物好きではないようだ。それでも、面倒を見た甲斐あってきれいな花を開いてくれると、とたんに嬉しくなる。

ものぐさ植物愛好家には、ファレノプシス(胡蝶蘭)のようにデリケートな花は向かないようだ。何度か頂戴して楽しんだことはあるが、そのとき限りで全部枯らしてしまった。丈夫だと言われるオリヅルランさえ駄目にしてしまうのだから情けない。今出盛のシクラメンも数回鉢植えを買ったが、2年と持ったことがないので諦めた。

そんな訳で、手のかかる植物は敬遠して、何の世話をしなくても戸外で越冬し、来年また元気に育ってくれる多年草に頼ることになる。地植えだからよほどの旱魃でもない限り水遣りの心配もない。フクジュソウ、サクラソウ、ヒヤシンス、水仙・グラジオラス・コルキカムなどの球根・根茎類、宿根カスミソウ、ギボウシ、シオンなどの類だ。

手がかからないこれらの植物は、早春から晩秋まで絶え間なく庭を彩ってくれる。でも木枯らしが吹くころまで頑張っているキクもやがて姿を消すと、庭はまったく殺風景になってしまう。

年中花を楽しもうとするなら、やはり労を惜しんでは駄目なようだ。シャコバサボテンやシンビジウムはこの冬うまく咲いてくれるだろうか。


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2000年11月28日(日)トロイカ

一週間に一度は会っている友人のk君から昨日はがきが届いた。またすぐ会えるのに、はがきとは何だろうと文面を見ると、K君も小生も通ったロシア料理兼酒場が、25日ひっそりと店を閉じたという知らせである。

閉店する噂を聞いてK君が訪れた25日が最後の日だった。「きょうでおしまい。手紙で知らせるのは恥ずかしいから、そっとやめるのよ」と頬笑んだという。店のあるじは70歳代半ば、通称「光ちゃん」。いかにもあの人らしい閉店だなと思った。

はがきの切手の消印を見ると、26日の朝に投函したことが分る。小生が電話嫌いであることを知っているし、EメールをやっていないK君は、一刻も早く知らせたくて、25日のうちにはがきを書いて出したのだろう。

店の名は「トロイカ」、昭和29年の開店である。当時全国的に広まった「歌声酒場」の仙台における草分け的存在だった。仙台の高級キャバレー(今では死語か)のナンバーワンだったのをやめて結婚し、夫君と一緒に始めた店だった。

1階が細長いカウンター、2階では夫君が奏でるアコーデオンに合わせて、歌声が響き渡った。歌うのはロシア民謡を中心に、話題の映画主題歌、歌い継がれた日本の歌謡など、様々であったが、どれも誰にも馴染み深いものばかりだった。

社会人になったばかりの小生も友人と連れ立ってよく通った。ボルシチ、ピロシキなどロシア料理の名前と味に出会ったのもこの店だった。

K君からはがきを頂いて、「トロイカ」の愛唱歌集があったのを思い出して探したら、第9から11まで3冊見つかった。どの冊子も真っ先にトロイカの歌詞が載っている。

♪雪の白樺並木 夕日が映える 走れトロイカほがらかに 鈴の音高く
♪ひびけ若人のうた 高鳴れバイヤン 走れトロイカかろやかに 粉雪けって
♪黒い瞳が待つよ あの森越せば 走れトロイカ今宵は たのしいうたげ

青春の1ページを飾った店がまた一つ消えた。一緒に通ったO君もS君も故人になった。


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2000年11月29日(月)大掃除

今朝はぶるっとした。昨夜仙台市内で初雪が降ったそうだ。うちの辺りは雨だったようで道路がしっとり濡れている。障子を開けて外を眺めてから、また布団に潜り込んだ。暖房のスイッチを入れて部屋が少し暖まってから起きようという魂胆だ。

歳を重ねるごとにものぐさに成る。若いころは少々寒くても、目覚めたらすぐ起き出すほうだったが、、出勤の時間を気にすることはないし、無理して風邪をひいてもつまらないと、妙な理屈をつけて、寝床の温もりを楽しんだ。

あと2日で12月である。晩秋から初冬へ。カレンダーを一枚めくるとあっという間に年末になる。兄と約束した海外旅行の出発日が1月末にずれたのをもっけの幸いと、年賀状の準備は手付かずのままだし、障子の一部張替え、大掃除もしなければならない。

大掃除はふだんこまめに掃除していれば「小掃除」くらいで済むはずである。しかし我が家は文字通りの大掃除になる。よそのお宅ではそんなことはないのだろうが、恥ずかしながら部屋の隅や神棚、テレビや家具の陰など、去年の大掃除いらい一度も掃除したことのない場所がたくさんあるのである。

これは大ごとである。ふだん掃除しないところはだいたい掃除が面倒なところばかりだ。神棚は細々したものがたくさん載っているし、テレビや家具の陰をきれいにするには、重いものをよっこらしょと動かさなければならない。動かしたものはまた元の位置に戻さなければならないと考えただけでもうんざりする。

物の陰はよくぞこんなに、と思うほど埃が貯まっている。ふわふわした灰色の綿埃の塊、変色した紙切れ、干からびた虫の死骸など、出るは出るは。そのくせ1000円札一枚出てきた試しはない。

ま、気が進まないことは12月になってから考えることにしよう。これだから切羽詰って慌てることになるのだが、追い込まれないとエンジンがかからないのだから仕方がない。


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2000年11月30日(火)オシドリ(鴛鴦)

書斎の絵が初夏からずっとカワセミだったことに気付いて取り替えることにした。獲物を狙って今まさに水中に飛びこもうとしているカワセミの姿は、暑い季節には涼感を誘っていいが、こう寒くなると似つかわしくない。

風景画の小品にしようか、花の絵にしようかと迷ったが、今回も野鳥の絵に落ち着いた。冬にぴったりなのはオシドリである。なぜならオスの羽色がいちばん美しくなる季節だから。繁殖期に備えてメスの注意を惹くために、創造主が与えてくれた装いである。

橙色をしたイチョウの葉形の飾り羽がひときわ美しい。赤い嘴、青緑の前頭部、その後の赤褐色、顔の淡黄色と贅沢な色使いである。野生のオシドリの生息地を見たことはないが、水辺にある高木の洞を好んで営巣するそうだ。

絵は雪が積もった木の枝につがいのオシドリがとまって、オスが羽づくろいしている構図である。鳥の世界ではおしゃれするのはオスで、メスは一般に目立たない色をしている。オシドリの場合もメスは暗褐色で美しいとは言えない。

仲のいい夫婦を「おしどり夫婦」という。オシドリは本当に中睦まじいのだろうか。研究の結果、実際はそうでないことが明らかになった。オスは雛が誕生するまでは一緒に生活するが、子供ができると離縁してしまう。

そしてきれいな衣装を脱ぎ捨てて、メスに似た地味な羽毛に衣更えする。子育てはメス任せで手伝うこともない。独身に戻ったオスは遊び暮らすだけである。独身だからカミサンのご機嫌を気にすることもないし、髪結いの亭主以上に気楽なものだ。

遊び暮らして英気を養ったオスは、次の繁殖シーズンになると、また着飾って別のメスを選ぶのだそうだ。なんとも羨ましいご身分である。メスには気の毒だが、その方が多様な遺伝子を持った子供が生まれる可能性が高くなるわけで、種の保存のためには合理的なのだろう。

■10年前に書いた閑話365日だ。旅行や入院以外書いている。見習い事であります。

2000年11月22日(水)人情 (10年前)

2010-11-22 12:17:00 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
2000年11月22日(水)人情

20日の閑話を休んだのは19日の午後から、9月末に亡くなった友人を偲ぶ1泊旅行に出たからである。亡き友がこよなく愛した東鳴子の鄙びた温泉へ、いつも行動を共にしたもう一人の友人と出かけたのである。

周辺の山が薄っすらと雪化粧した寒い1日であったが、温泉で芯から温まったのはもちろんのこと、それ以上に人情の暖かさに触れた旅だった。

行くたびに世話してくれる元気なおばさんが、夕暮れの玄関先に出て待っていてくれた。列車が近くの駅に着くたびに、何度も寒い玄関に出てくれたのだろう。都会のホテルや観光地の大きな温泉旅館で見られる、慇懃ではあるがマニュアル化された出迎えとは違った、素朴で飾らない、それでいて客をもてなす心が滲み出ている笑顔がまぶしかった。

前回訪れたとき、「パチンコの景品だから遠慮しないで飲んで」とご馳走してくれた焼酎のお礼に、心ばかりの土産を差し出すと、「あら、お土産なんて・・」と恥じらいながらも「嬉しい」と素直に受け取ってくれた。

今では珍しくなった混浴の温泉で、のんびり、ゆったり体を温めてから、別室に用意された夕餉の席についた。サトイモの煮つけ、トビウオの塩焼き、刺身、野菜サラダ、酢のもの、吸い物、温泉卵、漬物などが並んでいる。

飾り立てた料理は一つもない。これが嬉しい。ビールを頼んでいっぱいやっていると、「これは私のサービス」と言って、大きな皿にコイの洗いを持って来てくれた。エビでタイならぬコイを釣った形になった。恐縮しながらプリプリした身を黄身酢につけていただいた。二人同時に「うまい」というと「ああ、良かった」と本当に嬉しそうだ。

酒が合いそうだというと、すぐ熱燗が運ばれてくる。「お好きなようだから」と焼酎の大瓶も持ってきてくれた。これもサービスだという。酒好きだった亡き友人のことを覚えていてくれて、ひとしきり思い出話をした。

翌朝、朝食の給仕に来たときに「旦那さん方、梅干好きですか」と問う。好きだと答えたら「そしたら、うちで漬けた梅干少し持っていってけさい」という。前夜、コイの洗いと焼酎をご馳走になったほかに、梅干まで土産にくれるというのだ。「少し」が大量なのに驚いた。

忘れた頃にしかやって来ない客に対する、この心遣い、暖かさはどうだろう。都会の人間が忘れてしまった大事なものを思い出させられた旅であった。


2010年11月22日(月)自転車と歩行者の事故

2010-11-22 12:11:23 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
2010年11月22日(月)自転車と歩行者の事故

今朝の朝日新聞によると過去10年間で自転車が歩行者を巻き込む事故が3.7倍に増えているそうだ。小生も歩道を歩いていて後ろから来た自転車と接触しそうになりヒヤリとしたことが何度かある。ちょっとした怪我ぐらいで済めばいいが、老人だと転倒して骨折、運が悪ければ死に至ることもある。

自転車と歩行者の事故が増えた背景には、経済的な乗り物として自転車利用が増えていることがある。しかし、そればかりではなく自転車に乗る側のマナーの悪さ、道路整備の遅れなどの要素も絡んでいる。それだけに一朝一夕に事故を減らす妙案はないのが実情である。

だが、これからも不景気が続けば自転車利用者は増え続けるだろうから、何とかして事故を減らす手立てが必要である。道交法では自転車は軽車両に分類される。だから歩道に乗り入れることが許されている道以外は車道のいちばん左側を通行しなければならない。しかし、自動車の交通量が多いところでは危険を避けるために歩道に乗り入れるケースが後を絶たない。

このことが人と自転車の事故を招くのだろうから、人と自転車を分離することを先ず考えるべきだろう。大都市の幅が広い歩道に歩行者と自転車の通行帯を設けているところが多いけれども、あれはナンセンスである。なぜならば歩行者も自転車利用者もルールを無視して勝手に通行しているから、危険はなくならないからである。

いっそのこと、自転車に割り当てている歩道部分を自転車専用車道にして、自転車を歩道から締め出すことを考えるべきだと思う。大都市ではこれだけで事故の多くが減るのではなかろうか。スピードが出る自転車の方にマナーを守るように期待してもダメである。歩道は歩道らしく、考え事をして歩こうが、上を見上げようが、立ち止まっておしゃべりしようが歩行者が勝