2月1日(月)高級音楽
音楽に高級とか低級があるかどうか知らない。何しろ音楽については無知に等しいから本来何も言う資格はないのである。ただ好き嫌いはある。その嫌いな部に入るものに、我が家で言うところの「高級音楽」がある。
ラジオの音楽番組はよく聴く方だと思う。テレビと違って仕事の邪魔にならないのがいい。だがある種の音楽になると、女房殿と「ちょっと高級過ぎないか」と意見が一致してスイッチを切ってしまう。
どんな音楽かと問われても即座には答えられない。とにかく違和感があってゆったりした気分で聴いていられなくなる音楽である。強いていえば現代の西洋音楽に「高級」なものが多いといえようか。
その点バロック音楽や、いわゆるクラシック音楽は、多少の好き嫌いはあっても許容範囲内に納まる。バッハ、ヘンデルを頂点とするバロックでは、モンテベルディ、ビバルディ、スカルラッティの音楽も好きだ。クラシックとなると枚挙に暇がない。もちろん嫌いなものもあるが概して安心して聴いていられる。
してみると、「高級」と感じるヨーロッパ音楽は普段聴きなれないもの、とくに不協和音としか感じられない(小生にとって)現代音楽の音の組み合わせであるような気がする。これは聴く方の責任でその音楽の善し悪しとは関係ない。同じようなことが邦楽についてもいえる。義太夫、長唄といった邦楽の世界は、小生にとっては異国である。だから聴いても分からない「邦楽の時間」はすぐラジオを止めてしまう。
これはたいへんおかしなことだ。小学校で邦楽について習った覚えがない。今もおそらく教えていないのではないか。義務教育期間中に日本の伝統音楽について学べる機会がないのは、どう考えても変である。
文部省は家元制度で受け継がれている邦楽は、学校教育には馴染まないと考えているのだろうか。ヨーロッパで生まれた音楽は必須科目として教えるが、自国の音楽は教えないというのでは片手落ちである。多少なりとも邦楽についての基礎教養があれば、邦楽アレルギーにならずに済んだのではないかと悔やまれるのである。
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1999年2月2日(火)ホテル・ぺラ・パラス
きのうの某紙に、謎とされていたミステリー作家アガサ・クリスティーの失跡は、夫の浮気を邪魔するためだったとする、新著の紹介が載っていた。推理小説好きの家内に話したら、「そんな事は公然の秘密よ」と一蹴された。そのうえで、次のような講釈を聞かされた。
浮気した夫は金蔓を失い、クリスティーはいい人と再婚して幸せを掴んだ。二度目の夫は穏やかな人柄の考古学者で、それ以降のクリスティーの作品には考古学の話が頻繁に現れるようになったという。(本当かどうか疑わしい)。
クリスティー(1891~1976)はイギリスの作家で、髭がトレードマークの名探偵エルキュール・ポアロを主人公とした本格推理小説を多数発表している。「アクロイド殺人事件」「そして誰もいなくなった」「予告殺人」などの傑作を残した。個人的にはミス・マープルものも好きである。(生年は1890年とする説もある)。
ポアロが活躍する彼女の作品に「オリエント急行殺人事件」がある。パリとコンスタンティノープル(今のイスタンブール)を結ぶこの急行が開通したのは1883年のことで、小説の舞台はこの列車である。クリスティーはこの小説をコンスタンティノープルのホテル・ぺラ・パラスで執筆した。
このホテルは、オリエント急行の開通でコンスタンティノープルに押しかけたヨーロッパの王侯貴族・上流階級のために、1892年にがオープンしたもので、今も営業している。暮れのトルコ旅行の際、お上りさんよろしく見物に行った。
あいにく横殴りの雨で外観をじっくり観察できなかったが、緑の外壁をした石造りの堂々たる建物であある。1階の喫茶店でカプティーノを飲んでから、ボーイに頼んでクリスティーが滞在した部屋を見せてもらった。
1台しかないエレベーターがなかなか来ないので、階段を4階まで登った。彼女の部屋は11号室である。豪華とはいえないがアンティークの家具調度で、しっとりと落ちついた部屋だった。ドアの真向かいの壁にクリスティーのポートレートが掛けてあった。
唐草模様の鉄扉に、木製のボックスという骨董品みたいなエレベーターにも乗ってみたかったが果たせなかった。
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1999年2月3日(水)ルリビタキ
雪の朝、裏庭に美しい小鳥が姿を現わした。背がオリーブ色がかった褐色、尾が青、そして脇腹がオレンジである。枝先や堆肥囲いの板、立てかけた棒の先などを移りながら、尾を細かく振る動作を繰り返している。スズメよりやや小ぶりだ。
図鑑で調べてルリビタキの雌と分かった。雄は以前に見たことがある。雄は頭から尾まで青、翼の大半も青で、脇腹がオレンジ色だ。雌より数段美しい。
スズメ目ヒタキ科ツグミ亜科の鳥で、日本全国に分布する。しかし普段あまり見かける機会がないのは、冬でないと低地に下りてこないからだ。温かいうちは標高2000メートル近い亜高山帯で生活している。宮城県辺りが越冬地の北限で、仙台市内で見られるのは稀な鳥なのである。命名は雄に目立つ瑠璃色からだろう。
今朝は見かけなかったが、近い仲間のジョウビタキも庭を訪れる常連である。黒い翼によく目立つ白い紋、橙色の腹がきれいな鳥だ。仙台地方ではモンツキ(紋付)と呼んで親しまれてきたから土着の鳥かと思っていた。ところが繁殖地はシベリアで、日本には冬鳥として飛来することを最近知った。
1年を通じているスズメ、ヒヨドリ、キジバト、シジュウカラ、メジロ、ウグイスなどに劣らず、渡りや季節によって住む場所を変える鳥たちによって我が家の庭は賑わっているのだ。
今日は節分、暦のうえでは明日は立春である。しかし寒さとはまだ当分付き合わねばなるまい。ツグミやルリビタキ、ジョウビタキなどの姿が見られなくなるのは寂しいが、彼等が去るころ本当の春がやってくる。
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1999年2月4日(木)食べ物の記録
今朝はご飯と雪菜・凍み豆腐の味噌汁、大根葉油炒め、メザシの朝食だった。この類の素朴な食事が好きである。食い意地は張っている方だが、豪華なものは望まない。というよりも年金生活では高価な食材を使うわけには行かないのだ。勢い食事は質素になる。それがかえって老人の健康にはいいようだ。
ふと去年の今ころは何を食べていたのか興味を惹かれて日記を見た。朝食は予想通りろくなものを食べていない。4日:凍み豆腐・岩海苔の味噌汁と納豆。5日:ゆうべの鍋の残りに餅を入れて。6日:開きイワシのオイル焼き、雪菜・凍み豆腐の味噌汁。
変わり映えのしない朝食が続いている。夕食は鍋物が多いようだ。4日:魚屋に貰った鱈のアラで野菜鍋、肝臓がとろけるようで旨い。5日:記録なし。6日:飲みに出かけて夕食抜き。7、8日:記録なし。9日:鮟鱇鍋、アンキモ美味。
寒いから鍋は暖まっていい。アンコウは買ったのだろうが、鱈のアラはもらい物とはいじましい。
食い物の記録が欠落している所は、もっと興味のあることが優先したのだろう。
6日:沖縄県の太田知事が海上へリポート建設に反対する意向を明らかにした。これで普天間基地返還の見通しがつかなくなった。
7日:長野五輪開会式。華やかでユニーク、未来を担う子供たちが大勢参加して、とてもいい演出だ。小沢征爾指揮の五大陸を結ぶベートーベン第九の大合唱もすばらしかった。
8日:沖縄県名護市市長選挙で、代替へリポート建設賛成派が押した岸本氏が当選、12月の住民投票と反対の結果が出た。ヘリポート問題は前市長時代に決着済みとして争点に持出さなかった岸本氏の戦略勝ちだろう。
食い物の記録よりこちらの方がずっと面白い。5日には高橋竹山さんが87歳で、竹原はんさんが95歳で亡くなっている。
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2月5日(金)タイヤ
昨日の新聞各紙に世界第三位のタイヤメーカー、グッドイヤー(米)と第五位の住友ゴム工業提携の記事が出ていた。住友ゴム工業の前身は1909年に神戸で創業した英ダンロップ社の極東工場で、60年に住友グループが資本参加した。製品はダンロップの名で市場に出ている。
今日はダンロップタイヤの生みの親であるジョン・ボイド・ダンロップ(1840~1921)が生まれた日である。ダンロップはイギリスの発明家で、もともとは獣医であった。その彼が1888年に自転車用の空気入りタイヤを発明し、1889年にはこれを企業化しダンロップ・タイヤを設立した。
初めは自転車、その後自動車の普及に支えられて世界企業に発展し、子会社として日本に設立したのが神戸工場だった。
提携先のグッドイヤーの方はアメリカの発明家、チャールズ・グッドイヤー(1800~1860)が1839年にゴム加硫法の特許権を友人から買収、改良を加えて設立したゴム工業会社に始まる。グッドイヤー自身は特許権をめぐる紛争で多くの借金を残して死んだが、息子のチャールズ(親と同名)が事業を引き継いだ。
彼が改良したゴムの加硫法は現代ゴム工業の技術的基礎を築いたものであり、一方のダンロップは自動車社会に欠かせない空気入りタイヤを世に出した。昨日の記事は単なる企業提携を超えた、19世紀の偉大な発明を企業化したもの同士が時を経て結びつく、歴史的な局面を報じたものとしてことさら興味をそそられた。
いまや自動車の履物として欠かせないタイヤの基礎は、上記の二つの会社が最初に手をつけたものなのである。そのタイヤを使っている一般のユーザーがタイヤを構成する主要部分の役割を何処まで正確に認識しているだろうか。
トレッド、カーカス、サイドウォール、ブレーカー、ビードワイヤ、チエーファー。興味のある方は調べてみていただきたい。これが結構面白いのである。
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1999年2月6日(土)ウサギの肉
近年は野性動物の肉を食べる機会が滅多になくなった。イノシシの牡丹鍋はまだ残っているがシカ、クマ、ウサギ、ヤマドリなどを食べさせる所はほとんどなくなった。欧米では今も狩猟シーズンになると野生動物の肉が豊富に出まわる。それをレストランや家庭で味わうのが季節を感じる一つの楽しみにもなっているようだ。
日本で広く食べていたものに野性ウサギ肉があった。子供のころ冬になると毎年籠を背負ったおばちゃんが売りに来た。筍の皮に包んだその肉は白に近いピンクで、鶏肉に似ていた。どのように調理して食べたかはっきりした記憶はないが、柔らかく癖がないあっさりした味だったことを覚えている。
貧乏所帯でも買えたのだから、長らく下賎の者が食べるものと思っていた。ところがさにあらず。江戸時代には将軍家でも食していた。元旦(旧暦)の午前6時、譜代、外様の大名が年頭の挨拶のために登城する。儀式が済むと将軍が諸大名をもてなす。その時にウサギの吸い物が出るのである。
徳川家がまだ地方の一勢力に過ぎなかったころ、家臣が大晦日にウサギを献上し、元旦にこれを吸い物にして食べてから運が開けたという故事に由来するのだそうだ。何時のころとも分からないから史実かどうかも分からない。
タンチョウヅルやハクチョウを食べていた将軍家のことだから、眉唾ものだと勘ぐりたくなる話である。しかし、苦難の往時に思いを馳せ、家臣に贅沢を戒める儀式と思えばありそうなことでもある。
この習慣をもとにした川柳が残っている。「お家がら うさぎはとんだ御立身」。ウサギの吸い物をいただくとは、あの家柄もとんだ(ウサギにかけている)ご出世だという訳である。
我が家もとんだ御立身をしたものだ。このごろしょぼくれているのはウサギを食べないせいか。
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1999年2月7日(日)無題
久しぶりに寒気が緩んだ。梅の蕾はまだ固いが、心なしか少し膨らんできたような気がする。フクジュソウは黄ばんだ花びらの先を覗かせている。毎年たくさん出てくるフキノトウをさがした。早い年だともう顔を出してもいいころなのに、今年はまだである。熱い味噌汁に散らしたフキノトウの香りと、ほろ苦さに再会する日が待ち遠しい。
宮城県内のナシの産地では不要な枝の剪定の時期だという。落葉樹の選定は芽が休眠している今が適期なのだろう。去年の徒長枝がのさばっているウメ、、ヒメリンゴ、カキ、ロウバイなどの枝切りをしなければならない。秋野菜を収穫して放置してある畑の天地返しも急がなくてはなるまい。
寒肥をやらないうちに寒が明けてしまった。何もかも後手後手になっている。若いころは思い立ったらすぐ行動に移ったのに、近年は億劫で腰が重くなった。これも老化現象の現れであろう。
そのくせ種苗店のカタログで珍しい種や苗を見つけると、前後も省みず買いたくなる。失敗するものが多いが、うまく育ったときは自慢したくなる。
去年植えたウッディーコーンというトウモロコシは面白かった。いま流行りのピーターコーンやハニーバンタムはほとんど黄色一色の粒であるが、これは黄、白、紫の染め分けで見た目が美しいばかりか、食味が優れている。戦前によく植えられていたモチトウモロコシに配色は似ているが、独特の粘り気はない。
このように色が入り混じったトウモロコシをトルコでも見た。黒に近い濃い紫色を主体にしたもので、薄皮を縛って乾燥したものを売っていた。リースなどの飾りに使うものか、種として売っていたものか不明であるが、トウモロコシ栽培の世界的な広がりを改めて感じた。
中南米原産のトウモロコシをヨーロッパに伝えたのは、もちろんコロンブスであるが、16世紀の前半にはもうトルコで栽培されていた。日本で普及したのは19世紀であるから、トルコの方が大先輩である。
話がとんだ方向に逸れてしまった。近着の種苗カタログを見ながら、今年はゴーヤ(ニガウリ)に挑戦してみようと思っている。あと3ヶ月も先のことであるがゴーヤ・チャンプルーの味を思い出して今から植え時を心待ちにしている。
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1999年2月8日(月)運六読考書
今朝のNHKテレビ「元気の食卓」で紹介された俳優・多々良純さんが創り出した生活を律する言葉である。最初は老人がよく発する「うんとこどっこいしょ」に引っ掛けたおまじないかと思ったら、一つ一つの漢字に多々良さんなりの意味が込められているのだという。
生涯現役の役者でいるためには、肉体的にも精神面でも健康でなければならない。そのための心得を五つの漢字に託したのだそうだ。
「運」は運動。多々良さんは毎日運動を欠かさない。40歳から始めたトレーニングをずっと続けている。自宅にそのための部屋を作ったほどである。
「六」は腹六分目。腹八分目よりもっと食の摂生に努めている。その代わり食べ物には気を使っている。ニンニクが大好きで、いろいろな調理法で食べている。
「読」は読書。仕事がないときはよく読書する。食べ物に関する記事のスクラップも繰り返し見て食事に生かすそうだ。
「考」は文字通り考える。読みっぱなしでなくよく考える。また散歩に出たときに立ち寄る公園のベンチで、目にした人の生活をいろいろ想像する。どんな仕事をしている人か、子供がいるか、不幸かしあわせかなど、目の前にいる人を通じて考えることが役者の仕事に役立つという。
「書」は考えたことを書く。書くことによって考えたことが整理され確かなものになる。
顧みてわが身はどうか。運動はしない、好きなものは満腹するまで食べる、読書もこのごろあまりしない、考えるのはくだらないことばかり、無駄と知っているから真剣に考えない、考えないから書く材料もない。多々良さんの逆を行っているような生活である。一芸に秀でている人は違うな、と感心するばかりである。
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1999年2月9日(火)ユキがつく花
庭の日溜りにスノードロップが咲いた。草花としてはトップバッターである。南欧、カフカス原産の球根植物で、一度植えると毎年花を楽しめる。和名はユキノハナ、マツユキソウともいう。
地際から10~15センチの線形葉が2~3枚生え、10センチほどの花茎の先端に白い半開きの花を一輪、下向きに開く。内外3枚ずつの花被片があり、内側の3枚の上部が緑色をしている。目立たないが清楚な早春を告げる花である。
庭にはもう一つ頭にスノーがつく球根植物がある。4~5月に開花するスノーフレーク(スズランスイセン)で、こちらは中・南欧原産。もう5センチほど葉を伸ばしている。スノードロップよりずっと大型で40センチくらいの茎の先に数個の釣鐘状の白花を下向きに付ける。これも緑色の部分があるが、花の先端である。
春を告げる花にユキワリソウがある。普通淡紅色の花が開くサクラソウ科の多年草を指すが、キンポウゲ科のミスミソウも同じ名前で呼ばれている。ユキヤナギも春の花といえるだろう。細い枝一面が小さな白花で覆われ、まるで春の淡雪が積もったようだ。
同じユキがつく花で夏に咲くものもある。晩春から初秋にかけてダイモンジソウにそっくりの花を開くユキノシタだ。石垣の間などに植えられているのをよく見かける。白い斑があるフキの葉に似た植物で、葉は食用や民間薬として使われる。子供のころ葉を火であぶって、しもやけにに貼ってもらった記憶がある。
一進一退を繰り返しながら季節は春へと向かっている。風花が舞う日もあろうが、初冬から飛んでいたユキムシ(ワタムシ)の姿はもうない。
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1999年2月10日(水)たばこ
きのう歯医者でぐらついている歯を抜いてもらった。歯槽膿漏が進んで助けようがない代物だから、いとも簡単に抜けてすっきりした。序に歯石を取り、たばこの脂(やに)で染まった葉をきれいに掃除してもらった。
歯の掃除には高圧の塩辛い水を使う。どんな成分を含むものか知らないがたばこの脂は頑固でなかなか取れないものらしい。30分ほどかかって一通りは終わったけれども、また来週続きをすることになった。
歯医者は歯と歯茎に対するたばこの害を指摘して、さりげなく禁煙を勧めたが、止める気はさらさらないというと、定期的な歯の清掃を命じて手を打ってくれた。
さて、そのたばことの付き合いはかれこれ50年近くなる。銘柄はいろいろ変えた。缶入りの両切りピースが長かったが、最近はフィルターつきのショートホープに落ちついている。弓矢のマークが濃紺の強い方である。タール14mg、ニコチン1.2mgだ。体によくないのは分かっているが、これくらい強烈でないとたばこを吸った気がしない。
一時期パイプたばこにも凝った。ハーフ・アンド・ハーフ、サー・ウォルター・ラリーといったアメリカたばこを片っ端から試し、最後はダンヒルのマイ・ミックスチャーの落ちついた。旨さの点ではパイプたばこの方が紙巻たばこより勝る。
パイプたばこを始めると喫煙道具にも凝る。最初は国産の安物ブライヤーで我慢していたが、外国製に手を出し、遂にはこれもダンヒルの最高級品ホワイトスポットにまで手を伸ばした。高級品にはそれなりのよさがある。
火持ちがいいのはもちろんであるが、ブライヤーの木目の美しさ、しっとりしたシェルブライヤーの手触りなどがなんともいえない。煙をくゆらさなくても、触っているだけで気分が落ち着くのだ。その分たばこの消費量も少なくて済む。
歯医者さんへ恭順の意を表するためにも、家にいるときはパイプたばこだけにしようかと思っている。
音楽に高級とか低級があるかどうか知らない。何しろ音楽については無知に等しいから本来何も言う資格はないのである。ただ好き嫌いはある。その嫌いな部に入るものに、我が家で言うところの「高級音楽」がある。
ラジオの音楽番組はよく聴く方だと思う。テレビと違って仕事の邪魔にならないのがいい。だがある種の音楽になると、女房殿と「ちょっと高級過ぎないか」と意見が一致してスイッチを切ってしまう。
どんな音楽かと問われても即座には答えられない。とにかく違和感があってゆったりした気分で聴いていられなくなる音楽である。強いていえば現代の西洋音楽に「高級」なものが多いといえようか。
その点バロック音楽や、いわゆるクラシック音楽は、多少の好き嫌いはあっても許容範囲内に納まる。バッハ、ヘンデルを頂点とするバロックでは、モンテベルディ、ビバルディ、スカルラッティの音楽も好きだ。クラシックとなると枚挙に暇がない。もちろん嫌いなものもあるが概して安心して聴いていられる。
してみると、「高級」と感じるヨーロッパ音楽は普段聴きなれないもの、とくに不協和音としか感じられない(小生にとって)現代音楽の音の組み合わせであるような気がする。これは聴く方の責任でその音楽の善し悪しとは関係ない。同じようなことが邦楽についてもいえる。義太夫、長唄といった邦楽の世界は、小生にとっては異国である。だから聴いても分からない「邦楽の時間」はすぐラジオを止めてしまう。
これはたいへんおかしなことだ。小学校で邦楽について習った覚えがない。今もおそらく教えていないのではないか。義務教育期間中に日本の伝統音楽について学べる機会がないのは、どう考えても変である。
文部省は家元制度で受け継がれている邦楽は、学校教育には馴染まないと考えているのだろうか。ヨーロッパで生まれた音楽は必須科目として教えるが、自国の音楽は教えないというのでは片手落ちである。多少なりとも邦楽についての基礎教養があれば、邦楽アレルギーにならずに済んだのではないかと悔やまれるのである。
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1999年2月2日(火)ホテル・ぺラ・パラス
きのうの某紙に、謎とされていたミステリー作家アガサ・クリスティーの失跡は、夫の浮気を邪魔するためだったとする、新著の紹介が載っていた。推理小説好きの家内に話したら、「そんな事は公然の秘密よ」と一蹴された。そのうえで、次のような講釈を聞かされた。
浮気した夫は金蔓を失い、クリスティーはいい人と再婚して幸せを掴んだ。二度目の夫は穏やかな人柄の考古学者で、それ以降のクリスティーの作品には考古学の話が頻繁に現れるようになったという。(本当かどうか疑わしい)。
クリスティー(1891~1976)はイギリスの作家で、髭がトレードマークの名探偵エルキュール・ポアロを主人公とした本格推理小説を多数発表している。「アクロイド殺人事件」「そして誰もいなくなった」「予告殺人」などの傑作を残した。個人的にはミス・マープルものも好きである。(生年は1890年とする説もある)。
ポアロが活躍する彼女の作品に「オリエント急行殺人事件」がある。パリとコンスタンティノープル(今のイスタンブール)を結ぶこの急行が開通したのは1883年のことで、小説の舞台はこの列車である。クリスティーはこの小説をコンスタンティノープルのホテル・ぺラ・パラスで執筆した。
このホテルは、オリエント急行の開通でコンスタンティノープルに押しかけたヨーロッパの王侯貴族・上流階級のために、1892年にがオープンしたもので、今も営業している。暮れのトルコ旅行の際、お上りさんよろしく見物に行った。
あいにく横殴りの雨で外観をじっくり観察できなかったが、緑の外壁をした石造りの堂々たる建物であある。1階の喫茶店でカプティーノを飲んでから、ボーイに頼んでクリスティーが滞在した部屋を見せてもらった。
1台しかないエレベーターがなかなか来ないので、階段を4階まで登った。彼女の部屋は11号室である。豪華とはいえないがアンティークの家具調度で、しっとりと落ちついた部屋だった。ドアの真向かいの壁にクリスティーのポートレートが掛けてあった。
唐草模様の鉄扉に、木製のボックスという骨董品みたいなエレベーターにも乗ってみたかったが果たせなかった。
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1999年2月3日(水)ルリビタキ
雪の朝、裏庭に美しい小鳥が姿を現わした。背がオリーブ色がかった褐色、尾が青、そして脇腹がオレンジである。枝先や堆肥囲いの板、立てかけた棒の先などを移りながら、尾を細かく振る動作を繰り返している。スズメよりやや小ぶりだ。
図鑑で調べてルリビタキの雌と分かった。雄は以前に見たことがある。雄は頭から尾まで青、翼の大半も青で、脇腹がオレンジ色だ。雌より数段美しい。
スズメ目ヒタキ科ツグミ亜科の鳥で、日本全国に分布する。しかし普段あまり見かける機会がないのは、冬でないと低地に下りてこないからだ。温かいうちは標高2000メートル近い亜高山帯で生活している。宮城県辺りが越冬地の北限で、仙台市内で見られるのは稀な鳥なのである。命名は雄に目立つ瑠璃色からだろう。
今朝は見かけなかったが、近い仲間のジョウビタキも庭を訪れる常連である。黒い翼によく目立つ白い紋、橙色の腹がきれいな鳥だ。仙台地方ではモンツキ(紋付)と呼んで親しまれてきたから土着の鳥かと思っていた。ところが繁殖地はシベリアで、日本には冬鳥として飛来することを最近知った。
1年を通じているスズメ、ヒヨドリ、キジバト、シジュウカラ、メジロ、ウグイスなどに劣らず、渡りや季節によって住む場所を変える鳥たちによって我が家の庭は賑わっているのだ。
今日は節分、暦のうえでは明日は立春である。しかし寒さとはまだ当分付き合わねばなるまい。ツグミやルリビタキ、ジョウビタキなどの姿が見られなくなるのは寂しいが、彼等が去るころ本当の春がやってくる。
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1999年2月4日(木)食べ物の記録
今朝はご飯と雪菜・凍み豆腐の味噌汁、大根葉油炒め、メザシの朝食だった。この類の素朴な食事が好きである。食い意地は張っている方だが、豪華なものは望まない。というよりも年金生活では高価な食材を使うわけには行かないのだ。勢い食事は質素になる。それがかえって老人の健康にはいいようだ。
ふと去年の今ころは何を食べていたのか興味を惹かれて日記を見た。朝食は予想通りろくなものを食べていない。4日:凍み豆腐・岩海苔の味噌汁と納豆。5日:ゆうべの鍋の残りに餅を入れて。6日:開きイワシのオイル焼き、雪菜・凍み豆腐の味噌汁。
変わり映えのしない朝食が続いている。夕食は鍋物が多いようだ。4日:魚屋に貰った鱈のアラで野菜鍋、肝臓がとろけるようで旨い。5日:記録なし。6日:飲みに出かけて夕食抜き。7、8日:記録なし。9日:鮟鱇鍋、アンキモ美味。
寒いから鍋は暖まっていい。アンコウは買ったのだろうが、鱈のアラはもらい物とはいじましい。
食い物の記録が欠落している所は、もっと興味のあることが優先したのだろう。
6日:沖縄県の太田知事が海上へリポート建設に反対する意向を明らかにした。これで普天間基地返還の見通しがつかなくなった。
7日:長野五輪開会式。華やかでユニーク、未来を担う子供たちが大勢参加して、とてもいい演出だ。小沢征爾指揮の五大陸を結ぶベートーベン第九の大合唱もすばらしかった。
8日:沖縄県名護市市長選挙で、代替へリポート建設賛成派が押した岸本氏が当選、12月の住民投票と反対の結果が出た。ヘリポート問題は前市長時代に決着済みとして争点に持出さなかった岸本氏の戦略勝ちだろう。
食い物の記録よりこちらの方がずっと面白い。5日には高橋竹山さんが87歳で、竹原はんさんが95歳で亡くなっている。
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2月5日(金)タイヤ
昨日の新聞各紙に世界第三位のタイヤメーカー、グッドイヤー(米)と第五位の住友ゴム工業提携の記事が出ていた。住友ゴム工業の前身は1909年に神戸で創業した英ダンロップ社の極東工場で、60年に住友グループが資本参加した。製品はダンロップの名で市場に出ている。
今日はダンロップタイヤの生みの親であるジョン・ボイド・ダンロップ(1840~1921)が生まれた日である。ダンロップはイギリスの発明家で、もともとは獣医であった。その彼が1888年に自転車用の空気入りタイヤを発明し、1889年にはこれを企業化しダンロップ・タイヤを設立した。
初めは自転車、その後自動車の普及に支えられて世界企業に発展し、子会社として日本に設立したのが神戸工場だった。
提携先のグッドイヤーの方はアメリカの発明家、チャールズ・グッドイヤー(1800~1860)が1839年にゴム加硫法の特許権を友人から買収、改良を加えて設立したゴム工業会社に始まる。グッドイヤー自身は特許権をめぐる紛争で多くの借金を残して死んだが、息子のチャールズ(親と同名)が事業を引き継いだ。
彼が改良したゴムの加硫法は現代ゴム工業の技術的基礎を築いたものであり、一方のダンロップは自動車社会に欠かせない空気入りタイヤを世に出した。昨日の記事は単なる企業提携を超えた、19世紀の偉大な発明を企業化したもの同士が時を経て結びつく、歴史的な局面を報じたものとしてことさら興味をそそられた。
いまや自動車の履物として欠かせないタイヤの基礎は、上記の二つの会社が最初に手をつけたものなのである。そのタイヤを使っている一般のユーザーがタイヤを構成する主要部分の役割を何処まで正確に認識しているだろうか。
トレッド、カーカス、サイドウォール、ブレーカー、ビードワイヤ、チエーファー。興味のある方は調べてみていただきたい。これが結構面白いのである。
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1999年2月6日(土)ウサギの肉
近年は野性動物の肉を食べる機会が滅多になくなった。イノシシの牡丹鍋はまだ残っているがシカ、クマ、ウサギ、ヤマドリなどを食べさせる所はほとんどなくなった。欧米では今も狩猟シーズンになると野生動物の肉が豊富に出まわる。それをレストランや家庭で味わうのが季節を感じる一つの楽しみにもなっているようだ。
日本で広く食べていたものに野性ウサギ肉があった。子供のころ冬になると毎年籠を背負ったおばちゃんが売りに来た。筍の皮に包んだその肉は白に近いピンクで、鶏肉に似ていた。どのように調理して食べたかはっきりした記憶はないが、柔らかく癖がないあっさりした味だったことを覚えている。
貧乏所帯でも買えたのだから、長らく下賎の者が食べるものと思っていた。ところがさにあらず。江戸時代には将軍家でも食していた。元旦(旧暦)の午前6時、譜代、外様の大名が年頭の挨拶のために登城する。儀式が済むと将軍が諸大名をもてなす。その時にウサギの吸い物が出るのである。
徳川家がまだ地方の一勢力に過ぎなかったころ、家臣が大晦日にウサギを献上し、元旦にこれを吸い物にして食べてから運が開けたという故事に由来するのだそうだ。何時のころとも分からないから史実かどうかも分からない。
タンチョウヅルやハクチョウを食べていた将軍家のことだから、眉唾ものだと勘ぐりたくなる話である。しかし、苦難の往時に思いを馳せ、家臣に贅沢を戒める儀式と思えばありそうなことでもある。
この習慣をもとにした川柳が残っている。「お家がら うさぎはとんだ御立身」。ウサギの吸い物をいただくとは、あの家柄もとんだ(ウサギにかけている)ご出世だという訳である。
我が家もとんだ御立身をしたものだ。このごろしょぼくれているのはウサギを食べないせいか。
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1999年2月7日(日)無題
久しぶりに寒気が緩んだ。梅の蕾はまだ固いが、心なしか少し膨らんできたような気がする。フクジュソウは黄ばんだ花びらの先を覗かせている。毎年たくさん出てくるフキノトウをさがした。早い年だともう顔を出してもいいころなのに、今年はまだである。熱い味噌汁に散らしたフキノトウの香りと、ほろ苦さに再会する日が待ち遠しい。
宮城県内のナシの産地では不要な枝の剪定の時期だという。落葉樹の選定は芽が休眠している今が適期なのだろう。去年の徒長枝がのさばっているウメ、、ヒメリンゴ、カキ、ロウバイなどの枝切りをしなければならない。秋野菜を収穫して放置してある畑の天地返しも急がなくてはなるまい。
寒肥をやらないうちに寒が明けてしまった。何もかも後手後手になっている。若いころは思い立ったらすぐ行動に移ったのに、近年は億劫で腰が重くなった。これも老化現象の現れであろう。
そのくせ種苗店のカタログで珍しい種や苗を見つけると、前後も省みず買いたくなる。失敗するものが多いが、うまく育ったときは自慢したくなる。
去年植えたウッディーコーンというトウモロコシは面白かった。いま流行りのピーターコーンやハニーバンタムはほとんど黄色一色の粒であるが、これは黄、白、紫の染め分けで見た目が美しいばかりか、食味が優れている。戦前によく植えられていたモチトウモロコシに配色は似ているが、独特の粘り気はない。
このように色が入り混じったトウモロコシをトルコでも見た。黒に近い濃い紫色を主体にしたもので、薄皮を縛って乾燥したものを売っていた。リースなどの飾りに使うものか、種として売っていたものか不明であるが、トウモロコシ栽培の世界的な広がりを改めて感じた。
中南米原産のトウモロコシをヨーロッパに伝えたのは、もちろんコロンブスであるが、16世紀の前半にはもうトルコで栽培されていた。日本で普及したのは19世紀であるから、トルコの方が大先輩である。
話がとんだ方向に逸れてしまった。近着の種苗カタログを見ながら、今年はゴーヤ(ニガウリ)に挑戦してみようと思っている。あと3ヶ月も先のことであるがゴーヤ・チャンプルーの味を思い出して今から植え時を心待ちにしている。
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1999年2月8日(月)運六読考書
今朝のNHKテレビ「元気の食卓」で紹介された俳優・多々良純さんが創り出した生活を律する言葉である。最初は老人がよく発する「うんとこどっこいしょ」に引っ掛けたおまじないかと思ったら、一つ一つの漢字に多々良さんなりの意味が込められているのだという。
生涯現役の役者でいるためには、肉体的にも精神面でも健康でなければならない。そのための心得を五つの漢字に託したのだそうだ。
「運」は運動。多々良さんは毎日運動を欠かさない。40歳から始めたトレーニングをずっと続けている。自宅にそのための部屋を作ったほどである。
「六」は腹六分目。腹八分目よりもっと食の摂生に努めている。その代わり食べ物には気を使っている。ニンニクが大好きで、いろいろな調理法で食べている。
「読」は読書。仕事がないときはよく読書する。食べ物に関する記事のスクラップも繰り返し見て食事に生かすそうだ。
「考」は文字通り考える。読みっぱなしでなくよく考える。また散歩に出たときに立ち寄る公園のベンチで、目にした人の生活をいろいろ想像する。どんな仕事をしている人か、子供がいるか、不幸かしあわせかなど、目の前にいる人を通じて考えることが役者の仕事に役立つという。
「書」は考えたことを書く。書くことによって考えたことが整理され確かなものになる。
顧みてわが身はどうか。運動はしない、好きなものは満腹するまで食べる、読書もこのごろあまりしない、考えるのはくだらないことばかり、無駄と知っているから真剣に考えない、考えないから書く材料もない。多々良さんの逆を行っているような生活である。一芸に秀でている人は違うな、と感心するばかりである。
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1999年2月9日(火)ユキがつく花
庭の日溜りにスノードロップが咲いた。草花としてはトップバッターである。南欧、カフカス原産の球根植物で、一度植えると毎年花を楽しめる。和名はユキノハナ、マツユキソウともいう。
地際から10~15センチの線形葉が2~3枚生え、10センチほどの花茎の先端に白い半開きの花を一輪、下向きに開く。内外3枚ずつの花被片があり、内側の3枚の上部が緑色をしている。目立たないが清楚な早春を告げる花である。
庭にはもう一つ頭にスノーがつく球根植物がある。4~5月に開花するスノーフレーク(スズランスイセン)で、こちらは中・南欧原産。もう5センチほど葉を伸ばしている。スノードロップよりずっと大型で40センチくらいの茎の先に数個の釣鐘状の白花を下向きに付ける。これも緑色の部分があるが、花の先端である。
春を告げる花にユキワリソウがある。普通淡紅色の花が開くサクラソウ科の多年草を指すが、キンポウゲ科のミスミソウも同じ名前で呼ばれている。ユキヤナギも春の花といえるだろう。細い枝一面が小さな白花で覆われ、まるで春の淡雪が積もったようだ。
同じユキがつく花で夏に咲くものもある。晩春から初秋にかけてダイモンジソウにそっくりの花を開くユキノシタだ。石垣の間などに植えられているのをよく見かける。白い斑があるフキの葉に似た植物で、葉は食用や民間薬として使われる。子供のころ葉を火であぶって、しもやけにに貼ってもらった記憶がある。
一進一退を繰り返しながら季節は春へと向かっている。風花が舞う日もあろうが、初冬から飛んでいたユキムシ(ワタムシ)の姿はもうない。
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1999年2月10日(水)たばこ
きのう歯医者でぐらついている歯を抜いてもらった。歯槽膿漏が進んで助けようがない代物だから、いとも簡単に抜けてすっきりした。序に歯石を取り、たばこの脂(やに)で染まった葉をきれいに掃除してもらった。
歯の掃除には高圧の塩辛い水を使う。どんな成分を含むものか知らないがたばこの脂は頑固でなかなか取れないものらしい。30分ほどかかって一通りは終わったけれども、また来週続きをすることになった。
歯医者は歯と歯茎に対するたばこの害を指摘して、さりげなく禁煙を勧めたが、止める気はさらさらないというと、定期的な歯の清掃を命じて手を打ってくれた。
さて、そのたばことの付き合いはかれこれ50年近くなる。銘柄はいろいろ変えた。缶入りの両切りピースが長かったが、最近はフィルターつきのショートホープに落ちついている。弓矢のマークが濃紺の強い方である。タール14mg、ニコチン1.2mgだ。体によくないのは分かっているが、これくらい強烈でないとたばこを吸った気がしない。
一時期パイプたばこにも凝った。ハーフ・アンド・ハーフ、サー・ウォルター・ラリーといったアメリカたばこを片っ端から試し、最後はダンヒルのマイ・ミックスチャーの落ちついた。旨さの点ではパイプたばこの方が紙巻たばこより勝る。
パイプたばこを始めると喫煙道具にも凝る。最初は国産の安物ブライヤーで我慢していたが、外国製に手を出し、遂にはこれもダンヒルの最高級品ホワイトスポットにまで手を伸ばした。高級品にはそれなりのよさがある。
火持ちがいいのはもちろんであるが、ブライヤーの木目の美しさ、しっとりしたシェルブライヤーの手触りなどがなんともいえない。煙をくゆらさなくても、触っているだけで気分が落ち着くのだ。その分たばこの消費量も少なくて済む。
歯医者さんへ恭順の意を表するためにも、家にいるときはパイプたばこだけにしようかと思っている。