今 日 の 出 来 事

今日あった出来事、感じた事を綴ります…

コロナ深刻化

2020年03月30日 | 日記
入院している志村けんさんが亡くなったそうだ。てっきり「だいじょうぶだぁ」といって普通に退院してくるもんだと思っていたから、この突然の訃報は吃驚と通り越して信じ難い。しかもコロナの糞ッタレが原因とあっては怒りのぶつけようがない。その天才的な活躍ぶりは今更記するまでもないだろう。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
これでコロナ感染拡大の恐怖は更に深刻化した。在宅自粛の重要性もアップした。
でも生活インフラ行動はやむを得ないので夕方外に出る事にした。
以前、御徒町に行った時何となく立ち寄ったスパゲティ専門店にまた行ってみたくなり、でもそれのためにわざわざ電車に乗るのもどうかと思い、もしかしたらチェーン店で近くにないかとネットで調べたら何と池袋にもあった!
しかも御徒町店と池袋店の2店だけ!
その名は「葉°す多家」というスパゲッティ専門店でデカ盛りで人気らしい。しかしこれで「ぱすたや」って読ませるのって凄いネーミングセンスだな(笑)

先に券売機での前払いシステムで、とりあえず今回はジェノベーゼを頂いてみた。パスタは茹で置きだが個人的にアルデンテが丁度良くて好感触。提供も早くなかなか美味くて値段もお手頃と結構コスパは良い店だ。これは間違いなくリピーターになるね。
という事で頭の中のパスタ地図が完成した。東のパンチョ、西のパスタ家、両口五右エ門てな感じで、またひとつ外食ルーティンが増えた。
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肉の日に相応しい限定品

2020年03月29日 | 日記
今日はほぼ半日外出を控えてヒッキーになった。今日の用事は不要不急なので特に問題ナシなんだけど、これでは寝落ちのバータレの思うツボである。
日中は寝落ちの隙をついて洗濯や掃除をする。まあ特に日記ネタにする程の事もないが、お食事は不要不急ではないので夕方やっと外出した。

この時期いつもなら開花とともに撮りまくるのだが、コロナ騒動でサクラの花見なんかすっかり忘れていた。メトポリの夜桜ライトアップが綺麗だ。一応節目として記録に残しておこう。
今日のシーメーはお肉芸。
今バーガーキングで「還元キャンペーン第2弾」として「超ONE POUND BEEF BURGER」というオッタマゲのハンバーガーを販売している。今月27日から4月2日までの限定と少々期間は短いが、今日なんか正しく「肉の日」に相応しい逸品だ。ビーフパティ4枚を積んだ計500g超えの素晴らしい肉芸を見逃してはならぬと地元のキングにテイクアウトしに行った。

とてもパンチの効いた素晴らしい肉景色!これはイイ!暫く眺めて一気に頂いた。4パティでワンポンドを越えるそうでバンズおまけ感が半端ない。バーガー故の手軽さで5分で満腹ゲトったが、夜にこの量は少々重い。できれば昼に頂きたいのだが、販売が14時からなので致し方ない・・・
コレできたら限定じゃなくて定番メニューに入れて欲しいね。
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自粛と肉と買い物

2020年03月25日 | 日記
今日は本当だったら長野(or仙台)にでもふらっと行こうかと密かに企んでいたのだが、見事な寝落ちで実現ならず。という事で外出のモチベーションが下がっちゃったので、今日はおとなしく自粛しよう。
その後、気絶と蘇生また気絶と、自粛という名の寝落ちを繰り返してミヤネ屋を迎える。
そのまま終日自粛でも良かったのだが、今日中に買うものがあった事を思い出し、ついでにまだメシ食ってない事も思い出し、って事で申し訳なさそうに家を出た。

肉!メンタルが弱り気味の時こそ肉。今日はパスタのトッピングを添えて1ポンドを完食。これでメンタルが正常に戻った。これで免疫力もアップしてくれれば直良しなのだが。
その後ドンキホーテに行ってあれこれ探し回った結果、頭に描いていた相応品を見つけてゲトった。これで明日からの仕事も少し円滑になるだろう。

という事で夕方帰宅して自粛続行・・・
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谷根千辺りを歩く

2020年03月24日 | 日記
日々コロナの事を気にして自粛自粛では面白くないので、今日は息抜きに外に出よう。
毎月恒例の御朱印散歩道の集い、前回で秩父の札所巡礼は無事完結したので、今回は久々の都内、谷根千(谷中・根津・千駄木)界隈を集印散歩する事にした。朝10時にメトロ千駄木駅でG君と合流、C君は寝坊して遅れるそうだ。ぶらぶら歩きながら谷中銀座を覗いたが、まだシャッターが目立つのでそのまま西日暮里駅方面へ進む。この辺は初めて歩くので景色が新鮮で面白い。
まずは初っ端の神社参拝から。スマホの地図ではJR西日暮里駅の至近に鳥居マークがあり、そこを目指して線路沿いの急坂を登って行く。この辺は結構高低差があって、アッという間に高架の駅ホームよりも高い位置に登り詰めた。そこから先は平坦になり軈て石鳥居が見えてきた。

JRの線路を見下ろす高台に割と広い境内を抱える「諏方神社」だ。信州の諏訪神社から勧請して鎌倉時代の元久2年(1205)に創建された凄く歴史のある神社。諏方神社という「方」と書く諏訪は古来の表記で、昔は諏方と表すのが殆どだったそうだ。日本全国に諏訪神社は1万社以上在るが、その中で「諏方神社」表記は3社か4社程度しかないという激レア神社なのだ。

何より有り難いのは境内に3ケ所も喫煙所がある事だった。今やコロナレベルの嫌われ者の喫煙者を暖かく迎えてくれるこの神社は好感度MAX!
御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)で日暮里・谷中の鎮守である。まだまだ都内未開拓の自分にとって荒川区の神社を参拝するのは初めてなのでテンション上がる。暫くしてC君がやっと到着してメンバーが揃った。参拝後、社殿脇の社務所で御朱印を頂いた。荒川初の御朱印は500円也。

神社を後に腹が減ってきたのでワイン片手にブラブラ歩いて谷中銀座に向かった。ポータルの中近東の雑貨屋さんで綺麗な彩色タイルを数点お土産に買って、割と観光客の多い銀座を進む。
途中でたこ焼の看板が目に入ったので迷わず入店した。昼飯にはちょっとショボいがブランチって所かな。

谷中銀座を堪能した後は根津に向かった。根津といえば美術館や神社で有名な文京区の町。いや、谷中が僅かに荒川区と跨るだけで、そもそも谷根千って文京区界隈だったという事を今更ながら初めて知ったのだった。
今までコンビニすらない秩父郊外を幾度も歩いてきた一行にとって、交通量の激しい街中を歩くのは初めてかもしれない。当たり前だが、腹減った・喉乾いた・金が足りない等々の欲求をいとも簡単に満たしてくれる都会。今日はそのコンビニエンスな有難さ&安心感をいつも以上に犇々と感じたのだった。
程なくしてようやく根津神社に着く。

都内の神社は割とマイナーな所ばかり細々と巡ってきたが、ビッグネームは初めてかも・・・。何せ東京十社に数えられる程の有名処である。嚆矢は約1900年前に日本武尊が創祀したというオッタマゲな古社だ。名前だけは知っていたが参拝は今日が初めてなのでテンション上がる。しかしそれにしても境内がやたらと広くて感動ものだ。

こんな有名な神社でも平日とあってか参拝客は疎ら。それともコロナ自粛の影響か。悪菌撲滅を真摯に祈って御朱印を頂いた。その御朱印を眺めてピンときた。根津神社の墨書は書ではなく判だったのだ。試しにG君の貰った御朱印を見せてもらったら墨書は全く同じだった。こういうオールハンコの御朱印ってパターンは初めてではなくたまに出てくる。名のある社だけに需要が多すぎて手書きでは追い付かないからなのだろう。

そして後から気付いたのだが、その墨書は扁額の書体そのものだったのだ。これは何か意味があるのか。あるとしたら何を意味しているのか?・・・そんな僅かな発見も御利益が増した感がある。
根津神社を出て不忍通りを歩く。時間稼ぎで地下鉄に乗る事も予定していたが、せっかくだから歩数計稼ぎにしよう。本日はイイ天気で気温も13℃とGOODな散歩日和だが風が強い。聞くと風速約18mの強風だ。やがて不忍池にさしかかり、お次の参拝地「湯島天満宮」へ。

地図的には大した事ないが歩きっぱなしで膝が笑い出した。一行は谷根千エリアを外れて上野界隈に駒を進める。ヘトヘトになりかけた辺りで湯島天満宮に着いた。ここも根津神社並みにビッグネームな有名処だ。菅原道真公を祀る故、学問の神として合格祈願で凄く人気があるのは言わずもがなである。

まあ学問だとか合格だとか今のウチらには全く縁がないが、縁があるない言い出したらキリがないので置いといて、まずは宝物館から見学してみた。素晴らしい。どう素晴らしいかはググって下さい。
一段落の喫煙所も人気スポットと化していて、普段いかに虐げられてるかが窺い知れる(笑)

湯島天満宮は湯島天神とも言うが、湯島天満宮が正しく湯島天神は通称で、旧称は湯島神社と言い、これと似た湯島聖堂は全くの別物で所在地も違う。創建は言い伝えによれば雄略天皇の年代(西暦458年)とこれまたオッタマゲな古さだ。
さて参拝。NNSを唱え宥和を願ってその檀に合格せんと真摯に意味不明な参拝を済ませて御朱印を頂いた。
今回の集印散歩は神社のみ三社で終了。C君が秋葉原に行きたいと申し出たので、そのまま徒歩を続けて秋葉原に展開した。このエリアは流石に人通りが凄まじいが、心なしかいつもより人出が少ないように感じた。散歩のシメにフレスカで遅い昼食を取って無事終了。

いやいや今日は流石に歩きまくった。歩数計の結果は17820歩と2万歩に届かずだったが、15000歩は越えたので良しとしましょう。食後に一服して流れ解散となったが、さて来月はどうしようか?・・・事態が事態だけにもしかしたら中止になるかもしれない。
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仕事は楽か?

2020年03月20日 | 日記
今日は春分の日の祝日で、世間的には土日を絡めて三連休らしいがウチは仕事。道路はホント車が居ない。まるで三が日のようにスカスカだ。

仕事は流石に三連休初日という事もあって忙しかったが、峠を越えたら後はほぼ開店休業状態だった。2時間ぐらい昼寝しちゃったので返って調子が狂ったが、午後の道路事情も狂っていた!
なんだこの異様な渋滞は?

まぁお彼岸の墓参りなんでしょうけど、皆さんコロナ感染拡大とか平気なんでしょうか?
エライ学者さんか誰かが「都心へ行くのは自殺行為、地方に行くのは殺人行為」と言っていたが大丈夫だろうか。なんかこの車列を見てるとどんどん感染が広がって行くような気がしてならない。
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外出をやめる

2020年03月19日 | 日記
昨日に買い物を済ませてしまったので、今日の用事は特に急がないし散歩なんていつでも出来るので、終日ヒッキーする事に決めた。今後もこういった不要不急外出ネタオミット芸は増える事でしょう。
日記潰しのKYクソコロナを皆様、どうか恨んでやって下さいまし・・・
という事で帰りは雨が降っていた。雨で花粉が減るみたいにコロナも減ってくれれば良いんだけどねぇ・・・
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実家は大丈夫か?

2020年03月18日 | 日記
仕事中に実家に連絡を取ったが電話が一向に繋がらない。まあ繋がらない事は時々あるのだが、事態が事態だ。まさか糞コロナにやられてしまったか?・・・とにかく連絡がとれないので悪い方にばかり思考が逝ってしまふ(爆)
という事で仕事が終わった直後そのまま首都高速に乗って実家に向かった。

いつもの移動時間とは違って混む時間帯だから、案の定池袋方面はジャンクションから流れが止まっていた。五反田大井方面は幸い流れている・・・と思ったらトンネルに入った途端に流れが淀んだ。
その後は断続的に詰まって30分オーバーで横浜着。
実家に着いたら玄関に灯りが・・・? もしや第一発見者!?
と思ったらスーパー袋さげた母が立っていた。足音が近づいてくるから警戒していたらしく、お互い其々ビックリしたというオチで終了。まずは無事で良かった。
買い物に行っちゃったという事は、明日はどうしようか・・・まあコロナの好きにはさせたくないので終日外出は控えましょうかね。
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自転車北上

2020年03月16日 | 日記
またまた自転車を出して集印散歩に出かけた。今日は過日の池袋氷川神社の先、まだ走った事のないエリアに駒を進めてみた。氷川神社を過ぎると間もなく区界を越えて板橋区に入る。その先東上線の踏切を渡ると小さな森と鳥居が現れた。「子易神社」という安産・子宝の御利益とまた自分には縁がないが、御朱印を書き入れてげさる神社として参拝してみた。

天気が良くてなかなかGOODなお散歩日和だが、今日は春一番かと思う程風が強い。境内に停めた自転車が倒れやしないかと心配になる。さて子易神社はよくある「子安神社」とは字が違うちょっと珍しい神社。安という字は仏教関連であるらしく明治の神仏分離で「易」に変えたそうだ。
位置的には板橋区役所に近く、東武東上線の下板橋駅と大山駅、都営地下鉄三田線板橋区役所前駅のほぼ中央に位置し、どの駅からも徒歩5~10分程度で行ける。過去には神社の近くに東上線の金井窪という駅が存在していたそうだ。昭和初期に駅間が短すぎて廃止になったという。
参拝を済ませて御朱印を頂きに社務所へ行ったらなんと御朱印NGの張り紙が・・・

「暫くの間お休みさせていただきます」との案内だった。恐らくコロナ感染自粛だろうか。神社で御朱印空振りってのは珍しくないが、ここみたいにちゃんと表示してくれるのは良心的で有難い。でも暫くの間じゃアバウト過ぎていつ再開なのか分からないので、その点はハッキリ書いて欲しいところである。いずれにしてもここはまたリベンジ参拝しよう。・・・てか「復讐参拝」って意味不明(爆)
神社を後に椎名町まで一気に南下して、いつもの満洲で遅い昼食を取った。

麻婆豆腐を筆頭にラーメン・餃子と茶系の三神はテンション上がる。でも糞コロナの自粛もせんとアカンね・・・
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自転車集印散歩

2020年03月12日 | 日記
今日は電アシで散歩に出かけた。晴天で気温16℃は丁度良い散歩日和だがちょっと膝が痛い。今回は音羽護国寺の傍らにひっそりと佇む「吹上稲荷神社」を訪ねた。過日に参拝した時は宮司不在で「御朱印できません」の張り紙があったので今日は二度目の参拝。所在は豊島区を外れて文京区になる。

不忍通りからサンシャイン60に通じる坂下通りに面して石鳥居と石柱が立っていて、町会掲示板とセットの景色が実にイイ雰囲気だ。ここから住宅地の中を参道が奥に続くと二ノ鳥居が現れる。背後の森はおとなりの皇族墓所・豊島ヶ岡御陵で、ビル乱立と違ってコレが都心か?と思ってしまうほど、緑の景色は実に絵になる。

保食之大神(うけもちのおおかみ)を祭神とする神社で、江戸時代の元和8年(1622)に徳川秀忠が日光より御神体を戴いて創建したとされる。境内は小さいながらも玉砂利が敷かれて綺麗に整備されている感じ。今日は2人ほど参拝者が訪れていた。
お守り授与や御朱印は右手の社務所でインターホン対応で、めでたく御朱印をいただけた。

さてお次は不忍通りに出て春日通りを越えて昔の通勤ルートを辿った。高低差のある道程を毎日のようにN馬の奥地からバイクで行き来していた苦労は、今にして思えば二度と再現したくない苦い黒歴史だ。そんなルート上に神社があったなんて今まで全く気がつかなかった。例えば信号の交差点名に「〇〇神社前」とか出ていればそれとなく分かるが「窪町東公園」では全く分からない。その信号を住宅地の中に進むと立派な神社の入口が現れた。吹上稲荷神社は表に鳥居があるけど、この神社は表通りからは分からない、正に隠れキャラ神社だ。その名は簸川神社。

綺麗に整備された石畳の参道と石鳥居がデ~ンと構え、石段が上に伸びている。この辺も結構な高低差るものだ。簸川神社と書いて「ひかわじんじゃ」と読む。普通の人はスラスラ読めない難読神社だ。江戸時代は氷川大明神と言われた旧小石川村の鎮守で、大正時代に由緒は出雲ノ国にあるとして簸川神社に改称された。氷川神社の末社だが「簸川」の字を当てるのは大変珍しいのだそうだ。

歴史はとても古くて第5代・孝昭天皇時代の御宇3年(473年)に古墳の上に創建したと言い伝えられ、今まで参拝した中ではトップクラスの古社だ。祭神は素盞嗚命・大己貴命・稲田姫命で病患平癒、商売繫盛、縁結びに御利益があり、また文芸の神としても知られる。社殿は古さを感じない現代風のコンクリート建築で、これは関東大震災と東京大空襲で2度焼失した経緯から、再建は木造でなくコンクリートにしたのだそうだ。

社殿横の社務所でインターホンを呼び出して御朱印を頂いた。本日伺った二社とも有人対応で御朱印帳に書き入れてくれたが、恐らくどちらも不在時は書置き対応になるだろう。まあ今日はラッキーだった。
帰路は少しコースアウトしながらのんびり戻る。電アシのおかげで漕ぎ出しも上り坂もラクで本当に助かる。でも足腰に適度な疲労感があるので多分イイ運動になってる・・・かも?
今回の往復でバッテリー消費は10%だった。仕上げにペッパーランチで遅い昼食を300で締めた。
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お食事会とぶらり散歩

2020年03月06日 | 日記
今日は久しぶりに〇ベー君が池袋にやってきた。なんとお互い偶然にも同業他社の間柄で積もる話もあれこれ。ならば食を交えてジジィ放談しましょうって事になったが何処に腰を下ろすか決まってない。しかしモタついてるうちに正午を迎え昼食サバイバルタイムに入ってしまった。となると店探しは時間の無駄なので咄嗟に目に付いた「青龍門」という台湾料理の店に決定。高そうだから敬遠していたんだけど?・・・と思ったら意外とランチはお手頃だった。

店内はドーナツ状の洒落た円形フロアで中国福建省の集合住宅様式「福建土楼」をモチーフにしているそう。土楼ってどんなもんか知らんけど、デートにも使えそうな雰囲気なのに喫煙可というのが有り難い。昨今クッソ虐げられてるスモーカーには居心地が良い。といっても4月以降はどうなるか分からないが。ラーメンのランチメニューはミニ炒飯、点心、ドリンクが付いてなかなかマイウ~だったのでCP値は想定以上だった。入口はビルの地下に降りていく、いかにも高そうな雰囲気なので今まで何十回と素通りしてきたけど、敷居が低くなったのでまた利用させてもらおう。
店を出た後はお決まりの伯爵へ。

いつもの炭焼珈琲で積もる話に放談は盛り上がり、お互い丸ノ内線の新型車両2000系にまだ乗った事がないという鉄ネタに転じて、ならば乗りに行こうと伯爵を出て駅に向かった。
丸ノ内線のホームに降りて新型車両が来るまで待とうとしたら1本目にいきなり来たのでズッコケてめでたく初乗車。デビューは2019年2月だからもう1年経っているので新鮮味はちょっと薄れてきてるが、それでも真新しい車両はテンション上がる。

昔乗ってた300系時代の真っ赤な車体色に白帯と銀のサインウエーブも再現されていてなかなか芸が細かい。でも出来たら昔のまんまの塗装デザインで再現してほしかったね。〇ベー君は都合よく茗荷谷に用があるらしいので付き合う事にした。茗荷谷といえば以前営業所移転で2年ほど通った経緯があって、通勤が大変な上に職場環境も最低の黒歴史なのであまり良い印象が無かった。

まあこんな機会がないと下車する事はないだろう。今となっては懐かしい思い出である。しかしこの駅、地下鉄なのにホームが半分外に出てるってのが面白い。これは元来ホームは地下だけど、高低差のある地形の関係で外に出ちゃってるのだという。このような半地下半地上というホーム形態は地下鉄路線としては珍しいそうだ。
改札を出ると早速黒歴史が蘇って懐かしい。現役時代だったらオフの日は寄り付きもしないだろうね(爆)。せっかくだからジジィ放談の続きをやりながら一駅歩く事にした。小石川や伝通院など懐かしい銘板を見ながら春日通りを進む。どうも放談内容だと〇ベー君の来月は結構ヤバイ事になるらしいがココでは伏せよう。のんびりと30分程かけてお隣の後楽園駅まで来た。どこかで一服しようとしたが喫煙可の茶店が無かったので、そのまま駅改札でお開きとなる。

今日は少々変則的な食事会となったが、電車に乗ったり歩いたりと予定しない要素が加わってイイ息抜きになった。という事で再び丸ノ内線で池袋まで戻って胃袋の仕切り直し。毎度のペッパーランチで少々量を落として肉塊300gを頂いた。
さてさて今月は新型糞コロナのせいで日記ネタはかなり減るかもしれない・・・
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地元自転車散歩

2020年03月01日 | 日記
電動アシスト自転車のバッテリー充電完了、タイヤ空気充填、他に経年ヘタリ無し。という事で久しぶりに電アシ復活して自転車散歩に出た。幸い膝の痛みは然程影響なさそうなので漕ぎ出しのフィーリングは良い。
色々調べていると生活圏界隈には沢山の神社があって、それぞれ地元の鎮守として古くからそこに在る不動の存在感が大変興味深い。今回もそんな歴史の重みに触れようと北に向かった。
前回は池袋に御嶽神社があるのを知ったが、氷川神社もあった。

氷川神社はあちこちにいっぱいあるので区別する意味で「池袋氷川神社」が正式名称らしい。創建年は古文書に記載がないので不明だが、戦国時代の天正年代(1573~1593)の創建ではないかとされている。
住宅街の通り沿いに石鳥居が現れ、そこから奥に参道が伸びている。なかなか立派な神社だ。
大宮の大元・氷川神社の分社とされる。

昭和20年の東京大空襲で社殿が焼失して、その後復興を遂げたので上物は近代のものだ。広い境内には土俵(画像左端)もあって夏には相撲大会が開かれるそうだ。また、ここには有名な富士塚があって社殿の脇に聳えている。残念ながら入山は禁止だが7月1日の山開きには登れるらしい。

ここはずっと行ってみたかった神社なので地図にブックマーク出来てめでたしめでたし。富士塚の裏手にある社務所でインターホン呼び出しで御朱印を頂いた。今時500円と高値だがここは300円だった。てか一気に200円も値上げっておかしくね?

交通は住所的には池袋だが最寄り駅は東武東上線の下板橋駅で、歩いて5~10分程の住宅街に鎮座している。後になって取引先のスタッフさんがすぐ近くに住んでると聞き「寄ってくれたらコーヒーでも出したのに」と言われたが、いやいやこの時はそんな事しりませんから(笑)
近くのコンビニで支払いを済ませて散歩続行。少し南下して山手通りに出た。そして交通の途絶えない名だたる川越街道と山手通りの交差点角に神社が在る。昔からここに在るのは知っていたが改まって参拝するのは初めてだ。熊野町熊野神社という喧騒の傍らの静寂。

立派な鳥居の前に首都高速、そして対岸にドンキホーテという騒々しい街並みに祭神もクリビツの事だろう。一礼して鳥居をくぐる。創建は定かでなく室町時代の応永年代(1394~1427)とされる。ここも池袋界隈かと思ったらギリギリ区界で板橋区に入る。ここも東京大空襲で建物の全てを焼失してからの復興だ。クルマの往来の激しい場所が場所だけに境内は静寂とは言えないが、精神的に何かシェルターにでも入ったような安心感を覚える。

アクセスは交通の便が微妙で、東武東上線の北池袋駅、下板橋駅、大山駅、メトロ有楽町線と副都心線の要町駅のどれからも行けるが何処も離れているので結構歩く。こういう交通事情での自転車の有難味計り知れないものがある。
社殿で参拝して横の社務所で御朱印を頂いた。ここもインターホン対応だが書置きでなくちゃんと書き入れしてくれるのが有り難い。しかも300円、尚更有り難い。

という事で今回は近くの神社攻略芸で無事終了。さっさと帰ってブログの遅れを取り戻さなければ!・・・と危機感を抱きながら寝落ちzzz
それはそうと本日で勤続25年を迎えた。まあよく続いたというかアホというか、可能性に賭けて色々な畑を渡り歩くよりは安定を選んだ四半世紀だった。社畜じゃないからどーでもいいネタですが(汗)
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