報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

タイの混乱はなぜ長引くのか <後編>

2010年04月11日 23時21分00秒 | タイ


                           タクシン派団体UDDのデモンストレーター 2009年1月31日 バンコク




IMFの化身

 タクシンが、愛国党を設立した98年は、IMF占領の真っ只中だが、タクシンは一貫してIMFに批判的な発言をしている。悪化し続ける経済に、国民はIMFへの反発と憎悪を強めていた。したがって、国民の支持を得る最も確実な方法は、反IMF的な発言をすることだ。既存与党の民主党は占領軍に逆らえず、忠実に政策を実行していたので人気は急降下していた。タクシンは、IMFを批判するだけで、民主党の票を奪うことができた。タクシンの反IMF的な姿勢は政治的信念というよりも、単なる政治的戦術と見たほうがよい。それは後のタクシン政治を見れば分かる。彼の政策や方針は決してIMFと対立するものではない。それどころか形を変えたIMF路線にすぎない。

 タクシンは、世界のグローバル化に迎合し、タイの政治、経済、社会に新しい価値観と制度を導入しようとしていた。タクシンの理想は世界資本主義であり市場原理の導入だった。まさにIMFの望むところだ。タクシンは、自身の手に権力を集中し、既存の体制を破壊し続けた。そしてこのタクシン改革という独裁制の実現には、王制の無力化は不可欠な要素だった。IMFにとっても、国王の掲げる「足るを知る経済」の理念は、市場原理の定着を阻む邪魔ものだった。タクシンとIMFの利害は多くの点で一致していた。強引な実行力で旧体制を破壊するタクシンは、IMFから見れば構造改革の頼もしい継承者だった。

 同じ頃日本の首相となった小泉純一郎(敬称略)は、IMFとそっくりの政策を連呼していた。「構造改革なくして成長なし」、「改革には痛みを伴う」というフレーズはIMFの常套句だ。小泉純一郎も、抵抗勢力をなぎ倒すようにして構造改革を進めた。日本の構造改革は、橋本政権による金融の規制緩和(ビッグバン)にはじまり、小泉改革の本丸「郵政民営化」によってひとまず終了したと言える。IMF流の構造改革が進んだにもかかわらず、日本経済はまったく好転する気配がない。これは一体どういうことなのだろうか。小泉純一郎は、自民党をぶっ壊さず、IMF流の構造改革で日本をぶっ壊した。

 もし、タイで政変が起こっていなければ、タクシンも、改革の本丸である王制の廃止に着手していたはずだ。それが実現すれば、タイの構造改革もほぼ完成したと言える。あとは、日本と同じ運命が待っている。社会の活力も経済成長力も失われ、出口の見えない低迷状態が果てしなく続く。それはIMF占領の結果と同じものだ。

 IMF占領によって、タイはIMFに対するアレルギー体質になった。もし、再びIMFが前面に出てくるようなことがあれば、過剰な反応がおこることは間違いない。日本では、小泉純一郎が首相に就任した数ヵ月後、IMFが日本の銀行の特別審査を要求したことがある。このとき日本の政財界は日本がIMFの管理下に置かれてしまうと大騒ぎになった。IMFは、自分たちは前面に出ない方が賢明であることを理解したはずだ。

 タクシンも小泉純一郎も、たとえ本人に自覚がなかったとしても、IMFの喜ぶような構造改革を一心不乱に推し進めていたことに間違いはない。IMFから見れば、彼らは自分たちの分身なのだ。

 分身の二人はまるで双子のように似ている。二人とも選挙において圧倒的多数を獲得し、議会を完全支配した。そして、共に異例の長期政権を実現した。首相在任時期もほとんど同じだ(2001~2006年)。どちらも極めて押しが強く、戦闘的で、絶対に後ろに引かない。この二人は、事前交渉や根回しのような回りくどいことはせず、力ずくで一気に政策を進めた。IMFはこうしたタイプの政治家の扱いが得意だ。IMFの融資を受けてきた国は独裁的国家が多い。あるいは、IMFが関わった国は独裁的国家に変貌することが多い、と言い換えてもよい。

 IMFは豊富なリソースを使って自分たちの分身をバックアップできる。同じワシントンにあるアメリカ財務省とIMFはほとんど一体の関係にある。ジョゼフ・E・スティグリッツ教授は「IMFとはすなわちアメリカ財務省のことだ」と言い切っている。世界の多国籍金融資本はIMFの政策によって最も利益を享受してきた緊密なパートナーだ。そして、世界の中央銀行は同じ理念でIMFと固く結ばれている。アメリカ財務省、多国籍金融資本、各国中央銀行、このトライアングルの中心にIMFは位置している。これだけのリソースを活用できるIMFは、世界で最も強力な権力機構のひとつであることは間違いない。

 そのIMFの分身として構造改革に励んだタクシンと小泉純一郎の二人に順風が吹かなかったとしたら、その方がおかしい。二人は、自分の帆がつねに順風でいっぱいに満たされているのを感じていたはずだ。逆に、このIMFの逆鱗に触れたら、それはとんでもない逆風が吹き荒れるに違いない。

 インドネシアの故スハルト元大統領は、32年間もインドネシア大統領として君臨した極めつけの独裁者だった。スハルトは、97年のアジア通貨危機に際してIMFの支援を受け入れたものの、その過酷な政策の実施にはほとんど着手しなかった。業を煮やしたIMFとアメリカ財務省の高官がジャカルタに飛び、政策の実施を再調整したが、それでもスハルトは動かなかった。次にアメリカの元副大統領がスハルトに面会したが、これも無駄足だった。数ヵ月後、インドネシア全土で大暴動が発生し、すさまじい焼き討ちと虐殺が吹き荒れた。スハルトは鎮圧する努力をすることもなく、暴動発生から二週間後に、大統領を辞任した。32年にもおよんだスハルト絶対体制があまりにもあっけなく幕を閉じた。そして暴動は鎮圧する必要もなく自然消滅した。その後のスハルトは、汚職の被告として法廷に引きずり出され、屈辱の日々の中、2008年にこの世を去った。

 グローバル化の化身として、帆に順風を満ちるほど受けて疾走するか、それともグローバル化に背を向けて、逆風に翻弄されるか。逆風を選んだマハティールとスハルトの歴史的評価は最低に近い。化身の道を進んだタクシンは、あらゆる不正に対する免罪符を手にしている。


未来を賭けた戦い

 マハティールやスハルトは、なぜあえて逆風を選んだのか。
 スハルトが腐敗した独裁者であったことは事実だが、インドネシアに幅広い産業を興し、国民所得を飛躍的に向上させ、「東アジアの奇跡」の一角を実現したことも事実なのだ。IMFの言いなりになれば、その成果が、一瞬にして30年前にタイムスリップしてしまうことが彼にはわかっていた。企業が軒並み倒産し、産業が衰退し、国民生活がどん底に落ちていくのを誰がみすみす傍観できるだろうか。

 タイと韓国は「IMF優等生」と呼ばれた。
 IMFを信じ、忠実に政策を実行したからだ。
 そのため、すさまじい地獄を経験することになった。

 韓国大統領の李明博(イ・ミョンバク)は、2007年の大統領就任の演説で「外国の言いなりになって危機に陥った韓国経済を立て直す」と宣言した。リーマン・ショック後の世界で、いちはやく成長をはじめたのはアジア経済だが、その中でも韓国経済のめざましい回復力は世界から驚異の目で見られている。地獄で得た教訓が生かされているはずだ。

 アジアの中で、中国やインドはIMF流の構造改革をほとんど受入れていない。IMFの占領を受けたタイ、韓国、インドネシアの構造改革は不完全に終わった。こうしたアジア諸国が、リーマン・ショック後の世界で、いち早く経済成長をはじめたのは当然だと言える。そして、IMF流の自由市場至上主義を何の疑問も抱かずに自ら実践するアメリカやヨーロッパ、そして日本が、リーマン・ショックの中で迷走し続けているのもまた当然だと言える。

 
 タクシンは帆が張り裂けんばかりに順風を受けてタイ王国に迫っている。
 タイ国内では、逆風が吹き荒れはじめている。
 しかし、この戦いに妥協はない。
 もし、再度タクシンがタイ王国に凱旋するようなことがあれば、今度こそ本当に国がタイムスリップしてしまう。
 タイ王国はいま孤独な戦いを続けている。



タイの混乱はなぜ長引くのか : 資料編 1
タイの混乱はなぜ長引くのか : 資料編 2

 
               機動隊と対峙するタクシン派団体UDDのデモンストレーター 2009年1月31日 バンコク首相府前



                                      警戒線を破壊突破するUDD 2009年1月31日 


                           早朝まで首相府前で抗議を続けるUDDと警備の軍隊 2009年2月1日


                                         首相府を警備する軍隊 2009年2月1日
 



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