白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

はじめまして

2008-10-08 | 日常、思うこと
聴く人のいない音は音楽ではない。
演奏でしかない。
だから、聴いてくれませんか、
一緒に試みてくれませんか、と、思いながら
叶わずにひとり試みてきた。
演奏を音楽にしたくて仕方がなかった。
あなたがいなければ音楽にならない、
音楽にならないから音楽が解らない。
だから切に願ってきたけれども、
どうにも演奏する機会も仲間も客もいない。
どうしてかと考えたところ、
下手なのに上手ぶるので嫌われているからだと
気づいて、気を入れ替えて研究して練習した。
誰に向けて弾くことも出来ないのは
避けられているのと忘れられているのと
縁がないのと嘲られているからだと気づいて、
自分に向けて演奏しようとしたら狂いかけたので
とうとう演奏のために弾くしかなくなったが、
誰を動かすことも出来ない音しか発せられない
自分のひどさにまた弾けなくなって、
送るべき便りも送る便りもなくて、独語した。
はじめまして、僕はピアノを弾いている者です。 

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2 コメント

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Unknown (愛読者)
2008-10-08 10:33:47
ピアノと貴方は惹かれあっていると思います。
惹かれあっていなければ、互いに触れることもないでしょう。
貴方がピアノに触れる時、ピアノもまた貴方に触れているのです。

演奏する仲間や聴衆がいないなら、今はピアノとの仲を更に深めるために演奏してみてはいかがでしょう。
それは、やがて音楽に育っていくと思います。

最初は孤独を感じる作業だと思います。
「一人で何やってるんだ?」と思うかもしれません。

でも、きっと何か良い変化が訪れるような気がします。

そんな風に感じました。
偉そうにごめんなさい。
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Unknown (lanonymat)
2008-10-08 22:50:54
いえいえ、ありがとうございます。


http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/373599af164cb53b1c421a544c771bfb


こんなイメージはかつてあったのですが、
どうにももう青臭くていけません。
かといって、ピアノは自己実現の手段ではないし
楽譜から音を開放する翻訳機でもない。

僕自身、いい音を弾いている、と思うときには
楽器との間の交感というか、相互浸潤のような
恍惚感というものを経験しました。
キース・ジャレットのピアノを弾く姿などは
ピアノを犯しているとしか言いようがない。
けれどそうした性的な関係を取り結ぶのもまた
うさんくさくもあり怪しくも感じる。

ぽつぽつとつぶやくように、無邪気にじゃれる
猫の遊びのように楽器と戯れたいとは思います。

楽器を信頼してピアノに全てを伝え預けること、
自分を包み隠さず話すこと、ですかね。
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