白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

金剛輪寺参詣2、発作再発、演奏不能

2013-04-27 | 日常、思うこと
今月に入ってから、休日に両親を連れ出して
昼食を取ることが多くなった。
先週は津市の老舗洋食店、東洋軒にお邪魔して
クリームコロッケやブラックカレーを堪能した。





今日は滋賀へボルボを駆って、
彦根近郊、多賀大社行きつけの蕎麦屋「そば吉」で
四色天盛り、すなわち太打ち細うち茶そば梅そばを
堪能した。





その後、湖東三山、金剛輪寺を4年半ぶりに参詣し、
水流れて木漏れ日が揺曳する石畳の細長く続く参道を歩いた。
往時の僧房跡の平場を、水子供養の地蔵が埋めている。
俗に千体地蔵というがその数、おそらくは数千に及ぶ。
供えられた数千の風車、光浴びて、
目覚ましい緑の地面の杉苔を背にして紅黄に回る。
参道を埋める夥しい桜の花弁が死を甘く匂わせる。





息切れてようやく本堂を仰ぐ場に至ると、
鎌倉時代の国宝天台仏堂、七間四方の大建築にて
全容仰ぎ見ること叶わず。
垂れ桜の花々は寂しく散り初めたばかり。
堂内に入り、慈恵大師、四天王、阿弥陀、不動明王、等
諸々の如来菩薩観音混淆配置されており
殊に阿弥陀の姿が美しくあった。





本尊聖観音は秘仏、伝承によれば行基菩薩が一刀三礼で
彫り進めたところ、木肌から一筋の生血が流れ落ちたため
魂が宿った証として粗彫りのまま祀られたという。
厨子に覆われた本尊を前立ち観音越しに祈ると
身を峻厳な涼風で寒からしめられるごとく身震いする。
縮みあがるような恐れが過ぎ、祓われたような清冽さに
鎮められたか、安寧に祈り終えて、
ここにはほんとうの仏様がおられると感じた、と、
4年半前の記述を再掲しておく。





信心の運ばれる道すじというものが少々わかっても
平気の平左で肉と酒を食らって夜更ける。
夜は、牛肉のトマト煮、野菜のスープ、
イタリア色の炒め物を作り、両親に振舞った。





車を駆っている折に、トンネル内でパニック発作を起こし
運転を代ってもらうという失態を犯したことが
痛憤の極みである。





ピアノを弾こうとして、いくら指を動かしても、
音楽はおろか、自分の発する音が演奏にすらならずに
端緒で挫折してしまうことばかりが続いている。
これは、枯渇か。限界か。挫折か。潮時か。





ともあれ、罵声と怒声ばかりを浴び続ける4月が
ようやく終わろうとしている。
明後日には、妹夫婦が姪を連れてやってくる。
抱いて泣かれはせぬか。
泣かれたほうがよいのなら、それでよい。




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