白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

ミクロコスモス

2008-10-04 | 日常、思うこと
昨夜、NHK教育テレビ「芸術劇場」において
今年7月3日、東京・紀尾井ホールにて行われた
エグベルト・ジスモンチと東京フィルハーモニーによる
演奏会の模様が、インタビューやリハーサル風景と併せて
実に2時間15分にわたり放送された。
ジスモンチの音楽は、キース・ジャレットの音楽と並んで
かねてから僕にとって大きな位置にある。





僕は7月4日に大阪・フェニックスホールにおいて
ジスモンチのソロ・コンサートを聴いた。
当時、感想を以下のように書いている。
長くなるが、引用しておく。





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係員が、携帯電話の電源を切るように促すプラカードを
客席の全方向に向けて掲げた後、しばらくして会場は暗転した。
やがて下手から、12弦・14弦ギターを高々と掲げながら、
堂々たる体躯のエグベルト・ジスモンチが、上下のデニムに
赤いニット帽をかぶり、灰色の棕櫚箒のような後ろ髪を束ねて
ステージに現れた。
ホールはこれから生み出される音楽への期待と、ジスモンチと
いま、ここで居合わせていることの僥倖への感謝に満ちた、
熱を帯びた拍手に包まれた。





コンサートは2部構成、第1部はギター、第2部はピアノ、
それは虹彩が鼓膜に蒸着するような音楽だった。
放たれる光が、蛍のように「あわいに明滅」せずに
「光よりも速く」、射抜くように心臓に黒点を穿った。
音の散弾が、花を植えて消えていった。





ギター、右手は弦を弾き、叩き、障り、こすり、
倍音奏法を行い、胴をパーカッションとして扱い、
左手は指盤を抑え、弦を叩いた。
伝統的なギターの奏法からは遠いが、それは破壊性ではなく、
楽器としての可能性の追求に根ざしていた。
一曲一曲が終わる毎に念入りなチューニングを施して、
ジスモンチは、まるでギターに木霊が宿っているかのように
耳を楽器にぴったりと寄せ、
森の、黒緑のさざめく葉をかき分け黄金の燐粉のような光と、
地のにおいに分け入るようにして演奏に入っていった。





音の向こう側から、土と常緑の葉の匂いが漂ってきた。
それはしかし、あるがままのようにして生まれてきたような
音ではない。
奔放な即興のようでありながら、恐ろしいほど明晰な造形と
構成をもって演奏が組み上げられている。
それはクラシック音楽の奏法や音楽理論に基づいている。
理知的かつ厳格な構成のなかに、ジスモンチの生きている
大地の熱と光が無邪気に戯れているようですらあって、
僕は彼を密林に分け入ったバッハだと思った。





恐ろしく生気に溢れたリズムに乗せられた、多調に基づく
ポリフォニーと旋律の処理や、ポリリズムに則って
進行していく対位法など、
相当高度の技巧と即興力を求められるはずの、演奏不能とも
思われるような作品群をジスモンチはやすやすと演奏した。
眼前の光景と音がどうしても信じられぬうちに、第1部が
終了した。





20分の休憩ののち、第2部が開始された。
ジスモンチの名曲として知られているものが次々に現れた。
まったく別の曲の中から、トレモロの音の霧が晴れてきて、
まったく別の旋律が奏でられる。
音が鉱物のように渾然と煮込まれた錬金術師の鍋の中から
すくい上げられた瞬間に、結晶化して虹彩となるような音、
かくも美しいキメラがあるものか、と思った。
ジスモンチという主体はいつの間にか消滅していて、
音楽が音楽として生まれ、自律的に、自由に羽ばたいていく。
それは逃走ではなく、飛翔である。





ジスモンチは、中東とラテンの血をひき、ブラジルで育ち、
ナディア・ブーランジェによるクラシック音楽の正統の教育を
受けたという。
一見しても分裂してしまいそうな自らの出自、来歴の流浪性の
覚束なさのなかで、彼は音楽における雑食性というものに
逞しく根を張っている。
怪物のような巨樹でありながら、枝葉は美しい整序に芽吹き
総体としての調和を保っている。





ホール内は音の夢が様々な光の糸を織りなして群れ飛び、
花となり、蝶となり、鸚鵡となり、樹林となり、魚となって、
天衣無縫の線描で織りなす1枚の熱帯のタペストリーとなった。
僕は涙し、微笑み、ヘッドバンギングし、踊った。





終演後、会場は総立ちとなり、大喝采となった。
アンコール曲となり、フェニックスホールのステージ背景の
ブラインドが捲られ、梅田新道から北新地にかけての御堂筋、
ビルの群れやタクシーの車列の電灯があらわになったとき、
走り過ぎる自動車が刻む標準時と、ジスモンチの音が響く
ホールの中の心拍の刻む時間が、まったく次元を異にして
いるのにきづいた。
街の光はホールの中に差し込んでいた。
光は空間を侵食してつなぐことができていた。
しかし、光はホール内の時間を曲げて、聴衆を標準時へと
引き戻すことに失敗していた。
僕は光は時間を創造することはできないのだと思った。
Loroからジスモンチが指を離し、2時間半の演奏会は終わった。





ほんとうに素晴らしい演奏会だった。
興奮状態がさめないコンサートは、いつ以来のことだったろう。
(中略)
それにしても、エグベルト・ジスモンチの凄絶な演奏、
思い返すと、身体の微弱な部分がざわめきだすように感じる。
ポール・ヴァレリーが「夢の化生が魂の中に目覚める」と
言ったように、からだの奥の奥の底の、ほんとうにかすかな
場所で、ジスモンチの音の種の胚芽がさざめいているように
感じる瞬間がある。
身体はやがて熱帯の色彩の音の森に飲み込まれるのだろうか。





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昨日のテレビプログラムを視聴していて、
からだの奥の奥の底の、ほんとうにかすかな場所で、
ジスモンチの音の種の胚芽がさざめいているのを感じた。
指が旋律を仮想鍵盤の上でひとりでに追っていたのに気づいた。
聴きたいと思う音を弾きたいと感じていたのだと思う。
そうして1か月半ぶりに触れた鍵盤はとても重くて、
演奏にすらならなかったけれど、すこし平安な気持ちがした。





つながっていたいと思っていたひとと途絶して、
誰からの便りも誰に送る便りもなくて、
音も枯れ果てたと思っていたけれど、枯死まではしていなかった。
絶望していることに変わりはないけれど、指は動こうとする。





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3年前にこんな言葉を書きつけていた。
以下に引用する。





今 僕の音は必要とされていないけれど
いつか 必要とされるのだろうか
そんなことを考える前にはもう
指が鍵盤を求めて彷徨っている
自分の指を切り落としたとしても
それでも僕はピアノに触れると思う
いつかきっと僕の指から生まれる音のために
僕は生きていこうと思ってみたりもする





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明日は初めて自分のために弾くことをしてみようと思う。







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