白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

おのれをひらく

2017-05-06 | 公開書簡
音楽も、また、生きていくこと自体も、
独り占めしたくないな、と、思うようになった。
だから、そう望んで、動いているけれど、
なかなかうまくいかなくて、煩悶したりもする。



理由が全部、じぶんにあるから、
逃げ場もないし、貼られたレッテルは剥がしにくい。



ひとの痛みや気持ちがよくわからないから、
じぶんをなかなか肯定できない。
じぶんを大切にしてこなかったから、
いきおい、わがままで勝手になり、
自制を失って、狭い論理で物事を運ぼうとするようになった。



その結果、ひとを蔑ろにして、大切にしなくなり、
なりたくなかったはずのものに、みずから進んでなっていく。
鏡を見れば、ずいぶん醜い顔になっていて、
齢ばかり重ねてしまって、何ひとつも、出来ていない。



ひとが離れていく理由やら、結果が出ない理由やらを考えていると、
どうしても、じぶんの資質と行為に起因している、という結論に行きつく。



ああ、そういう定めなんだ、許されないんだ、
望んではいけないんだ、となって、閉じこもっていくうちに、
一切をあきらめることで、納得しようとして、
あ、もう、無いんだ、というところに行きついて、
狂いそうになったので、考えるのをやめた。



ピアノを誰にも習わなかったのは、
幼いころ、母親に、ピアノを教えて、とねだったら、
忙しいから、と、断られたからなのかもしれない。
思い返してみると、幼いころの、母親との記憶は全くない。
代わりに、父親に連れ回され、よく殴られていた。



学校ではいじめられ、教師にも目の敵にされ、告発は封じられ、
褒められたことや、認められたこと、そうした実感が、全くない。
ただ、周りはそんなつもりが全くない、ということに感づいたから、
言うのをやめて、封じた。
だから、何も期待しないし、じぶんに何も、望んではいなかった。
他人に優しくするふりをして、その実、復讐していた。
それに気づいて、ひとは、近寄らず、あるいは、去った。



甘えたかったし、抱きしめられたり、
褒められたりはしたかったはず。
だからか、必要とされたり、感謝されると、
どうしていいかわからない。
まず、疑う。そのくせ、過剰に協力し、自己開示もする。



音楽にしろ、仕事にしろ、自己実現ではなく、
存在承認の欲求から発していた自覚がある。
なりたい自己がないわけだから、目標もないし、意欲もない。
学ぼうともしない。
それが、今も続いてしまっているのだろう。
セルフネグレクト、として。



昨年、実妹が出産のために、
姪っ子を連れて、故郷に帰ってきた。
姪っ子とは仲良くやっていて、
彼女は僕を、お兄ちゃん、と呼んでいた。
彼女は、お兄ちゃんを元気にするために生まれてきたんだよ、などと、口にした。



あるとき、両親と、妹家族が、仲睦まじくしているのを、
遠くからみつめたときに感じた疎外感が、
初めてではないように感じた。
そこで、気づいたのかもしれない。



幼少期はほぼ、僕は祖父母に預けられていた。
親しんでいた祖父は、ずいぶん早くに亡くなってしまった。
もちろん、両親から、愛情はたくさん受けていると思うけれど、
無意識下では、どこか、欠落があるような気もしている。



もしかすると、まるごと肯定されることがなかったから、
その代償行動として、同じだけのものを他人に求めたのかもしれない。
それは、他人からすれば、迷惑極まりないことだ。



じぶんを、悲しいと感じ始めた。
じぶんを見つめ、少しずつ受け入れていくなかで、
おのれに真摯に、誠実になろうとし、
ものごとにひたむきに向かうように心がけ、
ひとびとに申し訳なく思いながら、じぶんのしあわせを願うなかで、
そのひとのしあわせを願うようになり、チカラになりたくもなった。
しかしそれは、叶わない。



一切は、じぶんのせいであって、僕がわるい。
糸は、ぷつり、と、切れてしまった。






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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-05-07 00:19:12
こんな人生になってしまって、じぶん自身に申し訳ない。
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