白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

マッコイ・タイナーの思い出

2020-03-07 | 音について、思うこと
マッコイ・タイナーが逝った。

中学生のころ、家にあったジョン・コルトレーンの「A Love Supreme」のレコードを聴いて、そのピアノの熱量と、空間を果てなく拡大していくハーモニーの群れに驚いた。初めてジャズの公演を観に行ったのが大学1年の冬、それが今は無き、桜橋にあったブルーノート大阪での、フロントにチコ・フリーマンを迎えた、カルテットでの来日公演だった。




彼は当時まだ60歳くらいだったから、打鍵の強さもまだ健在だった。彼がつくりあげた、左手で4度を重ね、時にクラスターを交え、右手で高速のペンタトニックスケールを繰り出す奏法を、ライブで観ることが出来たのが、何よりもうれしかった。スタンダードナンバーの演奏に聴かれる、普段の獰猛な音とは無縁の、可憐で、可愛らしい音こそ、実はマッコイの本質ではないか、と感じたことを覚えている。



終演後、サインを求める観客の列に並んだ。目の前に現れたマッコイは、背丈こそ僕とさほど変わらなかったが、恰幅がよく、獣のような風貌もあって、重厚で、迫力があった。持参した彼のレコードにサインをもらい、握手をした。その手は熊のように分厚く、丸ごと、柔らかくしなやかな筋肉で出来ていた。ふと、どこかで聴いたことのあるような嗄れた声がしたので、振り返ると、すぐ後ろに、桂南光師の姿があった。



彼の公演を観たのはそれが最初で最後だった。その後病を得て、彼は別人のように痩せ、指も細くなり、技術を失って、やがて構築的な演奏もままならなくなったようだった。一昨年の正月の深夜に、彼の2017年の公演がNHKで放送されたのを観たとき、その姿は、酷な言い方をすれば、残骸だった。ボロ切れに裂かれたような音が、空中に散っていた。それでも、ステージを囲む客が、彼の人生に大きな拍手と喝采を贈っているように見えた。



マッコイは僕にとってのハーモニーだった。そのハーモニーに憧れたけれど、とても真似が出来なかった。それでも、その音の熱は、僕の現在にもあり、僕の底に響いている。

https://www.nytimes.com/2020/03/06/arts/music/mccoy-tyner-dead.html

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