白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

まちづくりに関する一考察

2011-02-20 | 哲学・評論的に、思うこと
1.はじめに  数年前、アメリカのクレジットカード会社のテレビCMが話題を呼んだ。それを例に引くことから始めたい。 ニューヨークのホテルの一室で、母と娘がドレスを試着している。二人は旅行でこの街に訪れたらしい。ベッドのまわりには、街で買ってきたドレスやアクセサリーが並べられている。娘が選んだドレスを恥ずかしそうに試着する母に、娘は「似合ってるよ」と語りかける。窓辺のテーブルには父へのおみやげの包 . . . 本文を読む

「誰」を待つ

2009-08-16 | 哲学・評論的に、思うこと
グラクソスミスクライン・デルモベートを 両の腕の皮膚に塗布してから 紫外線の直接照射を防ぐために長袖を着て、 人いきれに咽かえる丸ノ内線に乗っていたときは 腕に茸でも生えやしないかと、少しく不安になった。 細かな水泡が、あちらこちらに出来ていたためで、 これまでいくら酷い陽焼けをしても、疼痛こそあれ 赤黒い半球を生じるようなことはなかったから。 幸いにして、台風が東京に運び込んだ大量の蒸 . . . 本文を読む

メルロ=ポンティ 読書ノート

2008-11-01 | 哲学・評論的に、思うこと
これを弁証法による偉大な成果と呼ぶべきか。 ************************ 空が青すぎる。許しがたい。 たとえそうだと言って、空に薄墨を混ぜ込むことなど 出来やしない。 *************************** 夢想、物思いのなかで、いまこの眼の前にあるものを どこまで信頼する事が出来ようか。 認識の働きが、その端緒から、 . . . 本文を読む

1:1.618

2007-11-10 | 哲学・評論的に、思うこと
黄金比(おうごんひ、En:Golden ratio, The Golden Mean/Rectangle)(=PHI)は、最も美しいとされる比。近似値は1:1.618、約5:8。線分を a, bの長さで 2 つに分割するときに、a : b = b : (a + b) が成り立つように分割したときの比 a : b のことである(出典:wikipedia) . . . 本文を読む

Vertigo

2006-10-11 | 哲学・評論的に、思うこと
1989年秋、落合博満にもらったサインである。 当時野球を覚えたての僕は、その独特の構えと鞭のように しなるように見えるバットスイングに魅了されていた。 このサイン会のとき、質問コーナーがあり、 僕は彼に「星野監督はどんなひとですか?」と聞いた。 彼は思わず上向きに笑ってから、じっと僕の顔を見つめ、 「気難しいひと。」と、寛いだ様子で答えてくれた。 実にあたたかで、おおらかな空気をたたえたひとだっ . . . 本文を読む

花火宇宙の夢

2006-07-30 | 哲学・評論的に、思うこと
花火の宇宙が消滅したあと、硝煙くすぶる一面の葦原は 雄大に沈思する大河を撫で渡ってきた涼風にさざらと揺れ、 見上げれば、数千光年の銀河の群れ、恒星、大三角、プレアデスを、 水墨の薄く延ばされた雲が時折僕の目から遮断した。 深更、虚空から切断しておいた、消滅した花火宇宙たちを タロットのように並べて、眠る。                                            . . . 本文を読む

影絵の世界 1

2006-07-09 | 哲学・評論的に、思うこと
『理論があって絵があるのではありません。 あるとすればそれは追随です。 絵があって理論があるのではありません。 あるとすればそれは批評の分野です。 製作を通じての思索と苦しい試行錯誤のなかから あふれ出たものが、そのひとそれぞれの 「絵のことば」になるのでしょう。 直観的に強い絵ではなく、 漸達的にして追々に光輝を発する絵。 絵を慈母のごとく仰いでその懐中に抱かれんとする者、 美的礼拝者 . . . 本文を読む

影絵の世界 2

2006-07-09 | 哲学・評論的に、思うこと
感覚と思想が矛盾無く調和していることにこしたことはなく、 両者の弁証的、対立的な関係のどこかに一致点を持ち、 それが歴史の発展の力になっていることが望ましい。 しかし、われわれの時代の宿命的な不幸は、それら両者に 調和も統一もない、感覚と思想の分裂のみが存在することだ、と 唐木順三は述べた。 唐木の言葉を引こう。 *************************** . . . 本文を読む

影絵の世界 3

2006-07-09 | 哲学・評論的に、思うこと
非現実の存在を肯定的に捉えることにより、 空間や時間の因果律から逃れた「影画の世界」において シュール・レアリスムが試みた奔放な空想、狂気、妄想の 表出による、科学的世界観への平手打ちと現実からの脱走も、 芸術が、芸術と信じられた時代であったからこそ有効であった。 作品に対する鑑賞者の能動的な観照のエネルギーが摩滅し、 ただ、作品が受容されるがままに過ぎ去られる現在では、 芸術作品から我々が受ける . . . 本文を読む

誤読の可能性 (前)

2006-03-04 | 哲学・評論的に、思うこと
「こんにゃく問答」という落語がある。 久しく無人となっていた寺に、 ある流れ者が住み込むことになった。 寺に住むということは当然、住職をつとめる、と いうことなのだが、 この男は道楽者の成れの果て、お経のひとつも 読むことができない、インチキ坊主である。 なぜこんな男が住職を勤められるのかというと、 誰も住むものがいないのでは寺は荒れるばかり、 これではいけない、体面上、住職は . . . 本文を読む

誤読の可能性 (後)

2006-03-04 | 哲学・評論的に、思うこと
京都龍安寺の庭は、日本が誇るべき、日本の精神文化の 象徴として世界に広く知られているが、 これはかつて、彫刻家イサム・ノグチが、 「無を表現するにはこれだけの石が必要なのです」 という、ある仏教哲学者の言葉に感銘を受け、 この庭を外国(特にアメリカ)に広く紹介したためである。 実は、この仏教哲学者は、 西洋哲学に非常に大きな影響を受けていた。 西洋の思想を「有」の思想、東洋の思想を「無」 . . . 本文を読む