舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

踊り屋、フィギュアを語る

2010-02-27 02:12:58 | ダンス話&スタジオM
今日、フィギュアスケート女子フリーの競技が行われ、順位が決定しました。
日本人選手は、浅田真央選手の銀メダルを筆頭に、全員が入賞という素晴らしい成績でした。
男女を合わせて見ても、日本人選手のメダル&入賞の割合ときたら半端ではありません。
ここまで総合的な結果の優れている国は、他に無いですよ。
日本はもっとその事を誇って良いと思います。金メダルが取れなかったとか、表彰台に一人ずつしか乗れなかったとか嘆くんじゃなくてね。


...と、一般的な感想を一通り述べた上で。
ここからは、四半世紀踊りに携わって来た者からの、超個人的な意見です。
つまり、国ごとの依怙贔屓もありませんし、技に対する審査の仕方についても皆目知らない人間の、ただただ踊り屋目線で見た感想だという事を、どうぞあらかじめお含みおきくださいね。



銀メダルになった浅田さんは、確かに技の完成度は素晴らしいです。女子では非常に難易度の高い技を何度も成功させた事は、確かに高く評価されるべきです。

しかし、じっさいに優勝したのは真央ちゃんではなくキム・ヨナ選手でした。
真央ちゃんほど難しい技を決めていない彼女が何故? 何より、いくら真央ちゃんにミスがあったからって、あの点数の差は無いんじゃないの!?
そう思った人は(とりわけ日本人には)数多かったと思います。

では、キム・ヨナ選手の方が優れていたものとは、一体なんだったのか。
それは「点」と「線」の「線」の部分です。


「表現力」という言葉は、彼女を形容するものとしてさんざん使い回されていますし、第一こんな曖昧な言い方では、彼女の力を正確に伝える事が出来ません。

踊り屋の目線から、その「表現力」なる代物が何なのかを具体的に表現するなら、これは「線」の部分におけるレベルの高さだと言う事が出来ます。

言うまでもなく「点」とはひとつひとつのジャンプやターン、ステップなどのいわゆる技もので、「線」とはその技と技の間の部分です。
重要なのはあくまでも技=点じゃないか、と思う人は多いでしょう。
しかし、紙にいくつかの点を書き、それらを線でつないでみれば明白なように、点より線の長さの方が遥かに長いのです。

それだけではありません。線の引き方も大切です。
点を繋いだ線が、もし途切れ途切れだったり汚く歪んだりしていたら、点がどれだけ美しかろうと、全体像は決して美しくはなりません。
線が完璧な直線であったり、あるいは優美な曲線を描いたりして、初めて点の美しさも活きるのです。

これと同じ事がダンスにも言えます。あらゆるダンスにです。
少なくとも、私のやったダンスは(20年以上やっているものから、少々かじった程度のものまで)全てそうでした。
たとえ切れ味の必要とされるダンスでも、観客にお見せするのがコマ送りの画像ではなく、動いている状態である以上、この「線」にあたる繋ぎの部分は必ず存在します。


10年以上前、ダンスの師である母マミちゃんはいつも私の踊りをガサツだと言っていました。
しかし、私にはどうしたらそれがガサツではなくなるのか、皆目見当がつきませんでした。
それも当然です。当時の私は「点」にばかり目がいっていて、「線」の存在にすら気づいていなかったのですから。
当時の反動か、私は最近の10年を、ひたすら「線」を美しく引く事に費やしています。

こういった誤解に陥るのは私だけではないらしく、特にフラはひとつひとつの動きを言葉に(「愛」や「海」など)してしまえる事が却って災いし、あたかも点の連続のみで成り立っているかのように誤解されがちです。

このような誤解をしそうになった時は、美しいダンサーを注意深く観察する事をお勧めします。
ぜひ、目を引く派手な動きや技モノに気を取られないように注意して見てください。
きっと、動作1と動作2が途切れる事の無い線で結ばれ、どこからどこまでが動作1だったのか分らないほど、流れるように繋がっている事が分るはずです。


説明が長くなってしまいました。本題に戻ります。
それと同じ事を、キム・ヨナ選手はスケートのプログラムにおいて行っているのです。

例えばジャンプのとき、多くの選手はしばし何もせずに滑って準備を整えたあと、「せーの、それっ!」って感じで思い切ってジャーンプ!!...というのが一般的です。
ジャンプの踏切は確かに選手の心身に多大なプレッシャーをかける瞬間ですから、それも致し方ないですね。

なのにキム・ヨナ選手はそうではありません。
ジャンプ自体ではなく、その前後に注目すると一番分りやすいです。
今までの演技の流れを途切れさせることなく、流れの延長線上でジャンプして、更に着氷したあとも、次の技までその流れは続いて行きます。
ジャンプに集中するとおろそかになりがちな姿勢や手の動きも、キム・ヨナ選手にあっては流れが停止する事なく、気を抜く事もなく、高いレベルで点と点の間の線を引き続けているのです。

ですから「表現力」などという曖昧なものではなく、キム選手の「線」つまり動きと動きを繋ぐ部分のレベルの高さは、最早技術のひとつと言っていいでしょう。


このように「線」の部分に着目すると、一部で聞かれる「キム・ヨナにはどうしてあんなに異様に高い得点がつくの?」とか「どうしてミスに対する減点がきょくたんに少ないの?」といった尤もな疑問にも、自ずと答えが見えて来るような気がします。

ダンスにおいて(同時にフィギュアスケートでも)「線」はかように非常に重要な要素なのですが、えてして見落とされ、あるいはないがしろにされやすい部分です。
まして、技ごとに点数をつけなければならないフィギュアスケート競技の世界では尚更です。その存在に気づかれない事さえあるようなものに対して点数という明確な評価を下すのは極めて難しい。
しかしながら、審査員もプロの専門家であれば、「線」の重要さはよくご存知のはずです。私はそう信じたい。

そこで審査員は、「線」そのものに対して点を付ける代りに、これに対する評価も技への評価として点数に組み入れているのではないでしょうか。
厳密にいえば、技に入る直前および終わった直後の完成度も、その技を構成する要素といえます。
そう考えると、キム選手のように技と技の繋ぎが美しい選手について、「音楽との一致」とか「芸術点」とかだけで評価する事は出来ません。これも技術のうちなのですから。

男子のライサチェク選手とプルシェンコ選手が良い例です。
プルシェンコ選手は確かに4回転を決めましたが、4回転もそれ以外のジャンプも、着氷時にかなり乱れが見られました。
その点、ライサチェク選手は、4回転こそしませんでしたが、すべての技を非常に美しくこなしました。もちろん、全体の流れも美しく繋がっており、さっきから言っている「線」の部分の完成度も、大変高いレベルだったと思います。

この結果、金メダルを取ったのはライサチェク選手であった。それを考えると、キム選手のジャンプやスピンにことごとく与えられる、過大評価ではないかと言われかねないような高得点の数々も、ある意味で理にかなっているのではないかと思います。


踊り屋である私としては、大技を決めるのも確かに凄い事ですが、フィギュアはあくまでも芸術性を忘れないで欲しいと思っておりますので、こういった審査傾向は喜ばしく感じられます。
折よく、日本の誇る高橋選手も、かなり「踊る選手」ですしね。

そういえば、芸術性という意味で、キム・ヨナ選手の衣装も良かったですね。一見シンプルでありながら、よく見ると緻密にこだわったシルエットであったり、ゴージャスな素材を惜しみなく使っていたりするところは、線の美しさを追求したダンスと同様に、私の理想とするところであります。

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