「ノルウェー、テロ、他」
○「ノルウェー、テロ」
犯人の、アンネシュ・ブレイビクさん、悔い改めたら、出ておいで。
私は、21世紀は、悔い改め、の時代になったらいいなあと思っています。
(刑期は)何年だっけ?
なぜこのことを書こうと思ったかは、↓
○「トリイ・ヘイデン先生」
(『ウ゛ィーナスという子』 早川書房)
トリイ・ヘイデン先生(これからは「トリイ先生」と呼ばせていただきます)
トリイ先生は、米国生まれ、現在は英国在住の、素晴らしい先生でいらっしゃいます。
この本を読んで,私は感動しました。が、あろう事か、ショックでもあったのです。
どうしてかというと、トリイ先生は、助手のジュリー先生と合わなかったのです。
トリイ先生のやり方は、こういう訳だからと説明して、たとえば、「金魚鉢の水換えは、あなたがた(10歳以下の児童)は、してはいけない。重たいし、金魚鉢が割れると危険だから。」と言ってあったのに、A君は守らずに、水の入った金魚鉢を持って水道の所まで行こうとしていた。
その時、案の定というか、鉢を落として割ってしまった。
こういう場合、トリイ先生だったら、「だから言っておいたでしょう! どうして金魚鉢に触ったの!」と、その子を叱るそうです。
でも、その場にいたジュリー先生は、そうはしなかった。
「大丈夫? 怪我をしなかった? これは事故よね? わざとやったんじゃ、ないよね。」と、子供を悪者にはせず、叱らなかった。
この指導方法の違いから溝が深まって行き(ジュリー先生はこの方法を変えなかった。このクラスに来る子は家庭に大きな問題を抱えている子だから、叱ってはいけない、受け入れなくてはいけない、というのはジュリー先生の信念だった。)
(ジュリー先生は「助手」という立場なのに)と、二人の間で会話がなくなり、ついに、ジュリー先生を異動させてしまったのです。
私がこのことにこだわる理由は、ジュリー先生の行動パターンは、私のとそっくりだったので、私もーーこれはアメリカでのことです、アメリカ社会ではーー受け入れられないのだ! と思ったからです。
トリイ先生の目から見たら、ジュリー先生は、未熟というか、教師には適していないところがあるのかも知れないけれど、私から見たら、ジュリー先生は熱心な教育者です。
教材を準備しておくとか、クラス全体に目を配るとかは、完璧なくらい行き届いていたと思うし…
私には、「異見があることによって、熱心な二人の先生が別れてしまうことになった」、その事が残念で、残念で… (私にとってはショックだった)
長ったらしく、すいません。大人と大人がぶつかって、異見があった時、説明して理解してもらおうというのは、しても良いことですよね。何が何でも、してはいけない事ではなくて。その事を思ったから、「ノルウエー、テロ」を書かせていただきました。
誤解なきようにお願いします。トリイ先生& ジュリー先生は素晴らしい先生です。特に、この本の著者のトリイ先生は、生まれつき教育者に向いておられた、その事もあったと思います。私も大好き、いえ、尊敬の的です。
ジュリー先生は私自身の分身のような。ぁ、それを言うと、ジュリー先生に失礼ですよね。すいません。
○「まずは表現してみることから」
福島原発事故で思ったのですが、今までは「原発反対」の人が’冷や飯’を食わせられていた(冷遇されていた)。
事故が起きて、一転、「原発反対」を言わなければいけないような空気になったと思う。
「原発反対」を言えることって、ありがたいことなんだなあと、私はこのごろ、そう思っている。それを可能にしたのは、震災だった。
「私はこう思う」とか、「○○は良い(悪い)」を言えることが、まず、第1歩なんだなあと、このごろ、そのことを’発見’した気持ちでいる。
そこで「原発事故」にあやかって、私にとってのそれは、「資本家が、間違っています」です。(結果論ですが)
資本家の仕事は、利益を上げえることでしょう。その事に熱心なあまり、儲かっていない、あるいは儲けの少ない会社を、無視とか、軽視するでしょう? かつ、常にスピーディ。
結果として、’見捨てられる’(いつも無視される)会社が出来てしまうと思う。このやり方を(仕方がないんだよ)、(それが世の中なんだよ)ではなく、(人間に、’要らない人間が作られるのが嫌だから)、変えていこうよ、と思う。
まず、このことが言えるようにならないと、ダメなんだ。「原発」みたいに、誰でも言えるようにならないと、変わらない、と思う。
○「途上国の借金が減らないと、先進国の借金も減らない」
米国で、債務上限引き上げが合意された。けれど、それは、借金の額が少しでも減ったわけではありません。(えらそうに言ってます)
欧州でも、財政危機の国があります。
日本も多額の(いや巨額の)借金を抱えています。
私は途上国の債務が減らない限り、(途上国の債務は先進国に’押し付けられた’面もあると思うから)、先進国の債務も減らないのではないかと思うようになりました。
途上国の債務を帳消しにして、必要な所に(先進国が)水道を敷く、これぐらいのことをやらないと、先進国の借金は減っていかないんじゃないかと思います。そうですって。
あの、旬のもの、野菜でも魚でも、たくさんあって、新鮮で、安いでしょう。価値の高い物が安い、これが自然の理なのに、先進国が独り占めしているような、そんな状態を、天はお許しにならない、って。
でも、欧米は、やらないと思う。慣れていないだろうから。日本はどうかな?
やれるところが、やれること(格差を縮小する方向へ)をしたら、その国でも、団体でも、祝福される! 自然の力がドワーッと入ってくる。
それなら自分たちが、って、どこかやってみられませんか?
○「ノルウェー、テロ」
犯人の、アンネシュ・ブレイビクさん、悔い改めたら、出ておいで。
私は、21世紀は、悔い改め、の時代になったらいいなあと思っています。
(刑期は)何年だっけ?
なぜこのことを書こうと思ったかは、↓
○「トリイ・ヘイデン先生」
(『ウ゛ィーナスという子』 早川書房)
トリイ・ヘイデン先生(これからは「トリイ先生」と呼ばせていただきます)
トリイ先生は、米国生まれ、現在は英国在住の、素晴らしい先生でいらっしゃいます。
この本を読んで,私は感動しました。が、あろう事か、ショックでもあったのです。
どうしてかというと、トリイ先生は、助手のジュリー先生と合わなかったのです。
トリイ先生のやり方は、こういう訳だからと説明して、たとえば、「金魚鉢の水換えは、あなたがた(10歳以下の児童)は、してはいけない。重たいし、金魚鉢が割れると危険だから。」と言ってあったのに、A君は守らずに、水の入った金魚鉢を持って水道の所まで行こうとしていた。
その時、案の定というか、鉢を落として割ってしまった。
こういう場合、トリイ先生だったら、「だから言っておいたでしょう! どうして金魚鉢に触ったの!」と、その子を叱るそうです。
でも、その場にいたジュリー先生は、そうはしなかった。
「大丈夫? 怪我をしなかった? これは事故よね? わざとやったんじゃ、ないよね。」と、子供を悪者にはせず、叱らなかった。
この指導方法の違いから溝が深まって行き(ジュリー先生はこの方法を変えなかった。このクラスに来る子は家庭に大きな問題を抱えている子だから、叱ってはいけない、受け入れなくてはいけない、というのはジュリー先生の信念だった。)
(ジュリー先生は「助手」という立場なのに)と、二人の間で会話がなくなり、ついに、ジュリー先生を異動させてしまったのです。
私がこのことにこだわる理由は、ジュリー先生の行動パターンは、私のとそっくりだったので、私もーーこれはアメリカでのことです、アメリカ社会ではーー受け入れられないのだ! と思ったからです。
トリイ先生の目から見たら、ジュリー先生は、未熟というか、教師には適していないところがあるのかも知れないけれど、私から見たら、ジュリー先生は熱心な教育者です。
教材を準備しておくとか、クラス全体に目を配るとかは、完璧なくらい行き届いていたと思うし…
私には、「異見があることによって、熱心な二人の先生が別れてしまうことになった」、その事が残念で、残念で… (私にとってはショックだった)
長ったらしく、すいません。大人と大人がぶつかって、異見があった時、説明して理解してもらおうというのは、しても良いことですよね。何が何でも、してはいけない事ではなくて。その事を思ったから、「ノルウエー、テロ」を書かせていただきました。
誤解なきようにお願いします。トリイ先生& ジュリー先生は素晴らしい先生です。特に、この本の著者のトリイ先生は、生まれつき教育者に向いておられた、その事もあったと思います。私も大好き、いえ、尊敬の的です。
ジュリー先生は私自身の分身のような。ぁ、それを言うと、ジュリー先生に失礼ですよね。すいません。
○「まずは表現してみることから」
福島原発事故で思ったのですが、今までは「原発反対」の人が’冷や飯’を食わせられていた(冷遇されていた)。
事故が起きて、一転、「原発反対」を言わなければいけないような空気になったと思う。
「原発反対」を言えることって、ありがたいことなんだなあと、私はこのごろ、そう思っている。それを可能にしたのは、震災だった。
「私はこう思う」とか、「○○は良い(悪い)」を言えることが、まず、第1歩なんだなあと、このごろ、そのことを’発見’した気持ちでいる。
そこで「原発事故」にあやかって、私にとってのそれは、「資本家が、間違っています」です。(結果論ですが)
資本家の仕事は、利益を上げえることでしょう。その事に熱心なあまり、儲かっていない、あるいは儲けの少ない会社を、無視とか、軽視するでしょう? かつ、常にスピーディ。
結果として、’見捨てられる’(いつも無視される)会社が出来てしまうと思う。このやり方を(仕方がないんだよ)、(それが世の中なんだよ)ではなく、(人間に、’要らない人間が作られるのが嫌だから)、変えていこうよ、と思う。
まず、このことが言えるようにならないと、ダメなんだ。「原発」みたいに、誰でも言えるようにならないと、変わらない、と思う。
○「途上国の借金が減らないと、先進国の借金も減らない」
米国で、債務上限引き上げが合意された。けれど、それは、借金の額が少しでも減ったわけではありません。(えらそうに言ってます)
欧州でも、財政危機の国があります。
日本も多額の(いや巨額の)借金を抱えています。
私は途上国の債務が減らない限り、(途上国の債務は先進国に’押し付けられた’面もあると思うから)、先進国の債務も減らないのではないかと思うようになりました。
途上国の債務を帳消しにして、必要な所に(先進国が)水道を敷く、これぐらいのことをやらないと、先進国の借金は減っていかないんじゃないかと思います。そうですって。
あの、旬のもの、野菜でも魚でも、たくさんあって、新鮮で、安いでしょう。価値の高い物が安い、これが自然の理なのに、先進国が独り占めしているような、そんな状態を、天はお許しにならない、って。
でも、欧米は、やらないと思う。慣れていないだろうから。日本はどうかな?
やれるところが、やれること(格差を縮小する方向へ)をしたら、その国でも、団体でも、祝福される! 自然の力がドワーッと入ってくる。
それなら自分たちが、って、どこかやってみられませんか?