「「チッ、チッ、チッ… 」は、やはり間違っていると思う」
「9、11」に関しては、米人に任せれば良いと思いますが、何が言いたかったかというと、「アメリカはこんなにも損をしていると思いますよ」という事が言いたかったのです。
「チッ、チッ、チッ…」というのは、例えば、「日本語で「こんにちは」を、英語で何と言うでしょう? はい、チッ、チッ、チッ… 10秒、チッ、チッ、… 20秒… 」のようなやり方のことです。
それがどうした? と思われると思いますが、出来る人は。
このやり方は、指導者にとっては当たり前の事でしょう。
英会話が大体できる人も、苦にはならないでしょう。
問題は、初心者とか、英語が苦手な人です。
焦らされると、余計分からなくなるもんなんです、人間は。
苦手な人が余計苦手になって(させられて)、焦らされて、惨めになって… でもその痛い思いを誰も分かってくれる人がいなくて…
つまり、出来るようになるまでに、惨めな思いをさせるのが当たり前。誰も分かってやらない。そのやり方が、後輩へ、後輩へ受け継がれて行っていると思うのです。
非(反)社会的行動をするのは、こうして、惨めな思いをさせられた人だと思うのです。
私は(よし、指導法を変えれば、テロ行為だってなくなるぞ。世紀の発見だ!)と思ったのです。(笑)
米国人は(こういうことに関しては)「シーン」かな。ま、いいや。
日本人は、できない人とか、溶け込めないでいるような人→ちょっと変わったような人がいると、その人にちょっと注意するようにしてーー焦らさないとか、責めないとかーーアメリカのやり方とは違います、ということを、やや目立つようにしたらどうだろう?
日本は、アラブ世界から攻撃の標的にされている。私自身、上の理由でアメリカを攻撃したいのだ。(米国を攻撃したい気持ちは分かるつもりです)
でも日本が、「アメリカよ、ここが間違っている。直しなさい」のようなやり方をすると、アメリカはキレると思う。(その状況も私は分かるつもり、自分自身がそうだった)
だから、米社会は「される側にとって、どうか」という事はあまり考えないと思うから、日本人は考えるようにして、その、アメリカとの違いを際立たせるように(普通にやれば良いのだけれど)したらどうだろう、と思うのだ。
「チッ、チッ、チッ… 」のやり方は、(する側は)良かれと思ってしているのだと思う。でも、社会全体にとっては、絶対に損だと思いますよ。
「9、11」に関しては、米人に任せれば良いと思いますが、何が言いたかったかというと、「アメリカはこんなにも損をしていると思いますよ」という事が言いたかったのです。
「チッ、チッ、チッ…」というのは、例えば、「日本語で「こんにちは」を、英語で何と言うでしょう? はい、チッ、チッ、チッ… 10秒、チッ、チッ、… 20秒… 」のようなやり方のことです。
それがどうした? と思われると思いますが、出来る人は。
このやり方は、指導者にとっては当たり前の事でしょう。
英会話が大体できる人も、苦にはならないでしょう。
問題は、初心者とか、英語が苦手な人です。
焦らされると、余計分からなくなるもんなんです、人間は。
苦手な人が余計苦手になって(させられて)、焦らされて、惨めになって… でもその痛い思いを誰も分かってくれる人がいなくて…
つまり、出来るようになるまでに、惨めな思いをさせるのが当たり前。誰も分かってやらない。そのやり方が、後輩へ、後輩へ受け継がれて行っていると思うのです。
非(反)社会的行動をするのは、こうして、惨めな思いをさせられた人だと思うのです。
私は(よし、指導法を変えれば、テロ行為だってなくなるぞ。世紀の発見だ!)と思ったのです。(笑)
米国人は(こういうことに関しては)「シーン」かな。ま、いいや。
日本人は、できない人とか、溶け込めないでいるような人→ちょっと変わったような人がいると、その人にちょっと注意するようにしてーー焦らさないとか、責めないとかーーアメリカのやり方とは違います、ということを、やや目立つようにしたらどうだろう?
日本は、アラブ世界から攻撃の標的にされている。私自身、上の理由でアメリカを攻撃したいのだ。(米国を攻撃したい気持ちは分かるつもりです)
でも日本が、「アメリカよ、ここが間違っている。直しなさい」のようなやり方をすると、アメリカはキレると思う。(その状況も私は分かるつもり、自分自身がそうだった)
だから、米社会は「される側にとって、どうか」という事はあまり考えないと思うから、日本人は考えるようにして、その、アメリカとの違いを際立たせるように(普通にやれば良いのだけれど)したらどうだろう、と思うのだ。
「チッ、チッ、チッ… 」のやり方は、(する側は)良かれと思ってしているのだと思う。でも、社会全体にとっては、絶対に損だと思いますよ。