地球の危機!

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「親(前)」

2008-09-15 06:58:58 | Weblog
「親(前)」

母親が左半身が不自由になったので、食事とかをしに、行っています。

私の親は、一人前になるまでに、とても冷たい。

私は親に反抗し、家を出、心は離れていた。子どもの側(=私)は、(親に散々苦労させられた)と思っているのだが、親の方は、(自分は他の人にストレスを与えている)という思いは全然無いようなのだ。

今回も、私は食事を作っているのに(材料が要るのに)、父親は畑で穫れた物をくれないのだ。父親はいつもこのパターンなのだ。

父は、父の母の(つまり私の祖母)の愛情に飢えていた。父は、母親から叱られることしかなかったのだ。

私は自分の親に対して、(クソ爺! クソ婆!)と言い続けてきた。今回もそう言いながら、じっと注意して見てみると、父も母も、本気でやっているようなのだ。今までそのように導かれてきたから、できないヤツには冷たくしなければならんのだと、義務感を持って、やっているようなのだ。

自分が指導される立場であった時に、このようにされて来たのだ。子どもから大人になるまで;戦争中(戦争中のことは一切言わない);造園家になるまで(父は造園家)。

戦争中も、このようであったのだろう。

・自分の頭で考えたり、他の人を思いやったりすることは、なかったに違いない。

・「始めに行動ありき」であったに違いない。三にも四にも、五にも六にも、「行動、行動」、だったに違いない。

父には、癒しは、一切なかったのか? 自分の好きな仕事ができても、慰められることはなかったのか?

父は、傷つけられた心がそのままになっている、手付かずだ、と思った。


結論:こういう教育の仕方は、間違っている」と認識するのが、最初ではないのか?

   これを乗り越えて行くのが人生なのか? それは、「より弱い人に、より重い荷を担がせれ   ばいいんだ」といっているのと同じだと思う。