今日はこのことを書かないといけないとおもいます。
冤罪で17年もの長い年月を国家によって奪われてしまった方に、自由が戻りました。
足利事件再審無罪 菅家さん「感無量」 逮捕から6689日「自由」(産経新聞) - goo ニュース
「疑わしきは被告人の利益に」
この言葉は意味はともあれ知っている方もいらっしゃるかと思いますが、日本の刑事司法の場では蔑ろにされています。
意味としては、100人の疑うに足る犯罪者を確証なく見逃したとしても、1人の冤罪による被害者を出してはいけないという法曹界の戒めです。
「推定無罪」
こちらは、有罪が確定するまでは無罪と推定されている。という、有罪を確定するまではその人は犯罪者ではない。余計な考えに左右されず判断する事。という意味です。
こんな法格言といわれる戒めがあるにもかかわらず・・・
日本の刑事訴訟システム(逮捕から裁判まで)では冤罪は必ず生まれてしまう仕組みになっている。というのが私の認識です。
まず犯罪が起きます。
それを通報などによって警察の知る事となり、その犯罪についての犯人を捜します。
警察が疑うに足る証拠を持って被疑者を逮捕します。
警察は48時間以内に検察官へ送致します。
その後合計最大20日間、合計23日の身柄拘束が許されます。
(何度かの延長手続きの後)
ここがポイントです。
人はおそらく、厳しい取調べを20日も続けられて拒否できる人なんてそうそういません。
ましてや昔の警察なんて暴行なんか日常茶飯事でしょう。
今だってどうだか・・・
でもたとえ、取調べ中に違法な行為(暴行など)があったとしてもわかりゃしません。
実は違法な行為によって得られた証拠は証拠にならないのですが、辺り一面が敵に囲まれて・・・
寝る間も割かれ、侮辱する発言で追い込まれ、あいつも吐いたよ(ウソの情報による誘導発言は違法)とか、家族に早く会いたいだろうとか言われちゃったら・・・
「やりました・・・」
って言っちゃうでしょう。
んで、検察官が起訴します。
起訴後に無罪になる確率は1%と言われています。
99%が有罪になるのです。
言ってみれば、犯人ありきの証拠集め・・・ばかりではありませんが、まあ同じ様なかんじです。
本当は全ての証拠を出さないといけないのですが、被疑者に不利な証拠(犯人へ直結するような証拠)は出すけど、被疑者に有利な証拠(犯人じゃない事を証明してしまうような証拠)は意図的に紛失したり隠すというような事が往々にして行われている(いた?)ようです。
問題は洗脳状態を作り出す取調べの状態です。
密室で1対大勢にやんややんやとやられる。
何が真実か本当かわからなくなるでしょう。
そんなの昔の話でしょう?
とお思いの方。ついこの前も「志布志事件」という冤罪事件で無罪判決が出されました。
未だに違法捜査は行われているのです。
この事件ではびっくりするような違法も違法のアホ捜査が行われていました。
(詳しくはWikipediaでも読んでください)
その密室捜査を打ち破るのが「取調べ可視化」です。
取調べをずーっと録画録音するというものです。
取調べを担当する警察・検事側からは反対の声が挙がっていますが・・・
まあ、実際違法な取調べをやっちゃってるんだから、ひっくり返すのは無理だと思います。
そのうち立法されて制度化するでしょう。
それにこの足利事件。
弁護人からの再審請求を何度も裁判所が受け付けなかったことも責任が問われて当然だと思います。
何度かDNAの型が不一致だからと再審請求を何度も願っていました。
それを断る理由は無いはずなのに。
何度もそれを断り、真犯人に時効を与え、菅家さんに17年もの空白を与えてしまいました。
裁判官も縦社会の一部に過ぎないのです。
自分達の先輩が言い渡した判決をひっくり返すということは・・・
もしかしたら出世に響くのかもしれません。
さっきも言いましたが今回の足利事件での冤罪が確定した時点で、真犯人が時効により無罪放免ということになっていることを忘れてはいけません。
菅家さんを犯人へでっちあげた司法関係者は、菅家さんへの謝罪もそうですが、その点を司法関係者として恥ずかしく感じてもらいたいと思います。
報道関係者も同様。
ニュースを見てると「逮捕=犯人」と思いがちですが「逮捕=被疑者」ということをもっと報道する側は伝えないといけないと思います。
裁判で刑が確定しなければ犯罪者ではないことを理解して報道して欲しいです。
冤罪で17年もの長い年月を国家によって奪われてしまった方に、自由が戻りました。
足利事件再審無罪 菅家さん「感無量」 逮捕から6689日「自由」(産経新聞) - goo ニュース
「疑わしきは被告人の利益に」
この言葉は意味はともあれ知っている方もいらっしゃるかと思いますが、日本の刑事司法の場では蔑ろにされています。
意味としては、100人の疑うに足る犯罪者を確証なく見逃したとしても、1人の冤罪による被害者を出してはいけないという法曹界の戒めです。
「推定無罪」
こちらは、有罪が確定するまでは無罪と推定されている。という、有罪を確定するまではその人は犯罪者ではない。余計な考えに左右されず判断する事。という意味です。
こんな法格言といわれる戒めがあるにもかかわらず・・・
日本の刑事訴訟システム(逮捕から裁判まで)では冤罪は必ず生まれてしまう仕組みになっている。というのが私の認識です。
まず犯罪が起きます。
それを通報などによって警察の知る事となり、その犯罪についての犯人を捜します。
警察が疑うに足る証拠を持って被疑者を逮捕します。
警察は48時間以内に検察官へ送致します。
その後合計最大20日間、合計23日の身柄拘束が許されます。
(何度かの延長手続きの後)
ここがポイントです。
人はおそらく、厳しい取調べを20日も続けられて拒否できる人なんてそうそういません。
ましてや昔の警察なんて暴行なんか日常茶飯事でしょう。
今だってどうだか・・・
でもたとえ、取調べ中に違法な行為(暴行など)があったとしてもわかりゃしません。
実は違法な行為によって得られた証拠は証拠にならないのですが、辺り一面が敵に囲まれて・・・
寝る間も割かれ、侮辱する発言で追い込まれ、あいつも吐いたよ(ウソの情報による誘導発言は違法)とか、家族に早く会いたいだろうとか言われちゃったら・・・
「やりました・・・」
って言っちゃうでしょう。
んで、検察官が起訴します。
起訴後に無罪になる確率は1%と言われています。
99%が有罪になるのです。
言ってみれば、犯人ありきの証拠集め・・・ばかりではありませんが、まあ同じ様なかんじです。
本当は全ての証拠を出さないといけないのですが、被疑者に不利な証拠(犯人へ直結するような証拠)は出すけど、被疑者に有利な証拠(犯人じゃない事を証明してしまうような証拠)は意図的に紛失したり隠すというような事が往々にして行われている(いた?)ようです。
問題は洗脳状態を作り出す取調べの状態です。
密室で1対大勢にやんややんやとやられる。
何が真実か本当かわからなくなるでしょう。
そんなの昔の話でしょう?
とお思いの方。ついこの前も「志布志事件」という冤罪事件で無罪判決が出されました。
未だに違法捜査は行われているのです。
この事件ではびっくりするような違法も違法のアホ捜査が行われていました。
(詳しくはWikipediaでも読んでください)
その密室捜査を打ち破るのが「取調べ可視化」です。
取調べをずーっと録画録音するというものです。
取調べを担当する警察・検事側からは反対の声が挙がっていますが・・・
まあ、実際違法な取調べをやっちゃってるんだから、ひっくり返すのは無理だと思います。
そのうち立法されて制度化するでしょう。
それにこの足利事件。
弁護人からの再審請求を何度も裁判所が受け付けなかったことも責任が問われて当然だと思います。
何度かDNAの型が不一致だからと再審請求を何度も願っていました。
それを断る理由は無いはずなのに。
何度もそれを断り、真犯人に時効を与え、菅家さんに17年もの空白を与えてしまいました。
裁判官も縦社会の一部に過ぎないのです。
自分達の先輩が言い渡した判決をひっくり返すということは・・・
もしかしたら出世に響くのかもしれません。
さっきも言いましたが今回の足利事件での冤罪が確定した時点で、真犯人が時効により無罪放免ということになっていることを忘れてはいけません。
菅家さんを犯人へでっちあげた司法関係者は、菅家さんへの謝罪もそうですが、その点を司法関係者として恥ずかしく感じてもらいたいと思います。
報道関係者も同様。
ニュースを見てると「逮捕=犯人」と思いがちですが「逮捕=被疑者」ということをもっと報道する側は伝えないといけないと思います。
裁判で刑が確定しなければ犯罪者ではないことを理解して報道して欲しいです。